チェーホフ『ワーニャ伯父さん』(神西清 訳)

ソーニャ ああ厭だ厭だ、どうして不器量に生れついたんだろう! ほんとに厭だこと! しかも私は、自分の不器量さかげんをよく知っているわ、ようく知っているわ。……こないだの日曜、わたしが教会から出てきたら、みんなで噂をしているのが聞えたっけ。「あのかたは親切で、優しい人だけれど、惜しいことに器量がね」って……不器量……不器量……不器量……

チェーホフ『ワーニャ伯父さん』(神西清 訳)

アーストロフ 僕に言わせるとですね、僕の時代はもう過ぎてしまって、今じゃ何もかも手後れなんです。年はとるし、働きすぎてへとへとだし、俗物にはなるし、感情はすっかり鈍ってしまうし、今ではもう僕は、とても人間とは結びつけそうもありません。現に僕は、誰ひとりとして好きな人はないし、これから先も……好きな人はできますまい。そんな僕の心を、まだ捉える力があるのは、ほかでもない、美しさというものです。なんぼ僕だって、これだけには、平気じゃいられません。

チェーホフ『ワーニャ伯父さん』(神西清 訳)

ソーニャ あなたは、すっきりしたかたで、とても優しい声をしてらっしゃるわ。……わたしの知っている誰よりも彼よりも、ずっとりっぱなかたですわ。だのに、なぜあなたは、飲んだくれたり、カルタをしたり、そんな凡人のまねがなさりたいの? ね、そんなまねはなさらないで、お願いですわ! いつもあなたはおっしゃるじゃないの、――人間は何ひとつ創り出そうとせずに、天から与えられたものを毀してばっかりいる、って。なぜあなたは、なぜあなたは、ご自分でご自分を台なしになさるの? いけないわ、いけませんわ、後生です、お願いですわ。

谷川俊太郎『旅』「旅3 Arizona」

地平線へ一筋に道はのびている
何も感じない事は苦しい
ふり返ると
地平線から一筋に道は来ていた


風景は大きいのか小さいのか分らなかった
それは私の眼にうつり
それはそれだけの物であった


世界だったのかそれは
私だったのか
今も無言で


そしてもう私は
私がどうでもいい
無言の中心に到るのに
自分の言葉は邪魔なんだ

チェーホフ『ワーニャ伯父さん』(神西清 訳)

アーストロフ 人間というものは、何もかも美しくなくてはいけません。顔も、衣裳も、心も、考えも。なるほどあの人は美人だ、それに異存はありません。けれど……じつのところあの人は、ただ食べて、寝て、散歩をして、あのきれいな顔でわれわれみんなを、のぼせあがらせる――それだけのことじゃありませんか。あの人には何ひとつ、しなければならない仕事がない。あべこべに、人の世話にばかりなっているんです。……そうでしょう? しかし、無為安逸な生活は、清らかな生活とは言えません。(間)もっとも私の見方は、すこしきびしすぎるかもしれない。私も、お宅のワーニャ伯父さんと同様、生活に不満なのです。それで二人とも、だんだん愚痴っぽくなってくるんですよ。
ソーニャ そんなに生活にご不満?
アーストロフ そりゃ一般的に言えば、私も生活が好きです。けれどわれわれの生活、この田舎の、ロシアの、俗臭ふんぷんたる生活は、とても我慢がならないし、心底から軽蔑せざるを得ませんね。そこで、じゃお前自身の生活はどうなんだ、と言われると、正直の話、なんともかとも、何ひとつ取柄はないですねえ。ねえ、そうでしょう、まっくらな夜、森の中を歩いてゆく人が、遥か彼方に一点のともしびの瞬くのを見たら、どうでしょう。もう疲れも、暗さも、顔を引っかく小枝のとげも、すっかり忘れてしまうでしょう。……私は働いている――これはご存じのとおりです。この郡内で、私ほど働く男は一人だってないでしょう。運命の鞭が、小止(おや)みもなしに私の身にふりかかって、時にはもう、ほとほと我慢のならぬほど、つらい時もあります。だのに私には、遥か彼方で瞬いてくれる燈火(ともしび)がないのです。私は今ではもう、何ひとつ期待する気持もないし、人間を愛そうとも思いません。……もうずっと前から、誰ひとりとして好きな人もないのです。
ソーニャ 誰ひとり?
アーストロフ ええ、誰ひとり。ただ、ある種の親しみを、お宅のばあやさんには感じています――昔なじみとしてね。ところが百姓連中ときたら、じつに単調で、無知蒙昧で、不潔きわまる暮しをしているし、インテリ連中はどうかというと、これまた、どうも反りが合わない。頭が痛くなるんですよ。つきあい仲間のインテリ連中は、誰も彼も、料簡は狭いし、感じ方は浅いし、目さきのことしか何も見えない――つまり、どだいもうばかなんです。一方、少しは利口で骨のある手合いは、ヒステリーで、分析きちがいで、反省反省で骨身をけずられています。……そうした手合いは、愚痴をこぼす、人間嫌いを標榜する、病的なほど人の悪口(あっこう)をいう、人に近づくにも横合いから寄っていって、じろりと横目で睨んで「ああ、こいつは気ちがいだよ」とか、「こいつは法螺吹きだよ」とか決めてしまう。相手の額に、どんなレッテルを貼っていいかわからなくなると、「こいつは妙なやつだ」と言う。私が森が好きならこれも変てこ。私が肉を食べないと、これもやっぱり変てこ。いや、今日(こんにち)ではもう、自然や人間に向って、じかに、純粋に、自由に接しようとする態度なんか、薬にしたくもありはしません。……あるものですか!(飲もうとする)

チェーホフ『ワーニャ伯父さん』(神西清 訳)

ワーニャ 年なんか関係ないさ。本当の生活がない以上、幻に生きるほかはない。とにかく、何もないよかましだからね。
ソーニャ 草刈はすっかり済んだというのに、まいにち雨ばっかり、せっかくの草がみんな腐りかけているわ。だのにあなたは、幻を追うのがご商売なのね。

谷川俊太郎『旅』「旅2」

乞食(ジプシー)が
車の窓をたたいて喚いた
通ぜぬ言葉とてなかった
オスティア


泥に埋まる泥の壁
涸れた井戸
松毬(まつかさ)


其所は此処
余所ではない此処
乞食の此処私の此処
私は此処


逃れるすべはない
青空にすら
人の手はとうに触れている

チェーホフ『ワーニャ伯父さん』(神西清 訳)

エレーナ ねえ、ワーニャさん、あなたは教育のある、頭のできたかたですから、おわかりのはずだと思いますけど、この世の中を滅ぼすのは、強盗でも火事でもなくって、むしろ怨みだとか憎しみだとか、そういったごくつまらないいざこざなのですわ。……ですからあなたも、不平ばかり仰しゃらずに、みんなを仲直りさせる役にお回りになるといいわ。
ワーニャ じゃ、まず第一に、この僕を僕自身と仲直りさせてください。ああ、エレーナさん……(彼女の手に唇を当てようとする)
エレーナ いけません! (手を振りはなす)あちらへいらしって!
ワーニャ もうじき雨もあがるでしょう。そして草も木もあらゆるものが生き生きとよみがえって、胸いっぱい息をつくことでしょう。しかし僕だけは、あらしも神鳴りも、心の曇りを洗い落してはくれないのだ。自分の一生はもう駄目だ、取返しがつかない、という考えが、まるで主(ぬし)か魔物のように、よる昼たえまなしに、僕の胸におっかぶさっているのです。過ぎ去った日の、思い出もない。くだらんことに、のめのめと浪費してしまったからです。じゃ現在はどうかと言うと、いやはやなんともはや、なっちゃいない。これでも僕は生きているつもりです。これでも僕は、人間らしい愛情を持っているつもりです。だがそれを、一体どうしたらいいんです? どうしろとおっしゃるんです? 僕の人間らしい気持は、まるで穴ぼこに射した陽の光のように、むなしく消えてゆくんです。そして僕という人間も、自滅してゆくんです。
エレーナ あなたが、その愛だの愛情だのという話をなさると、あたしはなんだかぼうっとしてしまって、どう言っていいかわからなくなるわ。済まない――とは思いますけれど、何ひとつ申しあげることができないの。(行こうとする)おやすみなさい。

チェーホフ『ワーニャ伯父さん』(神西清 訳)

エレーナ あの人のおかげで、へとへとだわ。今にも倒れそうだわ。
ワーニャ あなたは、あの人のおかげ。ところが僕は、ほかならぬ僕自身のおかげで、すっかりへとへとですよ。これでもう三晩も寝ないんですからね。

谷川俊太郎『旅』「旅1」

美しい絵葉書に
書くことがない
私はいま ここにいる


冷たいコーヒーがおいしい
苺のはいった菓子がおいしい
町を流れる河の名は何だったろう
あんなにゆるやかに


ここにいま 私はいる
ほんとうにここにいるから
ここにいるような気がしないだけ


記憶の中でなら
話すこともできるのに
いまはただここに
私はいる

チェーホフ『ワーニャ伯父さん』(神西清 訳)

セレブリャコーフ ツルゲーネフは、痛風から扁桃腺が腫れたという話だ。わたしも、そうならなければいいが、まったく、年をとるということは、じつになんともはや厭なことだな。いまいましい。年をとるにつれて、われとわが身がつくづく厭になるよ。お前たちだってみんな、このわたしを見るのが、さぞ厭だろうなあ。
エレーナ 年をとった年をとったって、まるでそれが、あたしたちのせいみたいに仰しゃるのね。
セレブリャコーフ さしずめお前なんか、いちばんわたしを見るのが厭な組だろうよ。


    エレーナ立ちあがって、少し離れたところに腰をおろす。


セレブリャコーフ お前がそう思うのも、無理はないさ。わたしもばかじゃないから、そのぐらいのことはわかる。お前は若くて、健康で、器量よしで、生きる望みに燃えている。だのに、わたしは老いぼれて、まずもって死人も同然だ。今さら、どうしようもないじゃないか? そのへんのことが、わからんわたしだとでも言うのかね? そりゃもちろん、わたしがこの年まで生きてきたのは、ばかげたことさ。だが、もう暫くの辛抱だ。じきにお前たちみんなに、厄介払いさせてやるからな。そういつまで、ぐずぐずしているわけにもゆくまいからなあ。
エレーナ あたし、病気になってしまう。……後生だから、何もおっしゃらないで。
セレブリャコーフ お前の言うことを聞いていると、まるでわたしのせいでみんな病気になって、退屈して、せっかくの若い盛りを虫ばまれているのに、このわたしだけが生活を楽しんで、なに不足なく暮しているように聞えるね。うん、まあ、そんなこったろうね!
エレーナ 何もおっしゃらないでよ! まるで責め殺されるみたいだわ!
セレブリャコーフ どうせそうだよ、みんなわたしに責め殺されるのさ。
エレーナ (泣き声で)ああ、たまらない! だから、このあたしに、どうしろと仰しゃるの?
セレブリャコーフ 別にどうとも。
エレーナ それじゃ、もう何もおっしゃらないでよ。後生だから。
セレブリャコーフ 妙な話じゃないか。あのワーニャだの、脳みその腐ったお袋さんだのが喋りだすと、みんな一も二もなく、黙って拝聴するが、わたしが一言でも口を利こうものなら、すぐみんな白けた顔をするんだ。声を聞いても、ぞっとするというやつだ。なるほど、わたしは厭なやつで、がりがり亡者で、暴君かもしれない。――だがそれにしたって、わたしはこの年になってまで、自分の意見を持ちだすいささかの権利もないと、いうのだろうか? わたしは、それだけの値打ちもない男なのだろうか? どうだね、わたしは気楽な老後を送る権利もなければ、人様にいたわってもらう資格もない人間なのかね。
エレーナ 誰も、あなたの権利のことなんぞ、とやかく言ってやしないわ。(窓が風にあおられてバタンとしまる)風が出てきた。窓をしめましょう。(しめる)一雨来そうだわ。誰もあなたの権利のことなんぞ、とやかく言ってやしないわ。


    間。夜番が庭で拍子木を打ち。鼻唄をうたう。


セレブリャコーフ わたしは一生涯、学問に身をささげ、書斎になじみ、講堂に親しみ、れっきとした同僚たちと交際してきたものだ。――それが突然、いつのまにやら、こんな墓穴みたいなところへ追いこまれて、来る日も来る日も、愚劣なやつらを見たり、くだらん話を聞かなければならんのだ。……わたしは生きたい、成功がしたい、有名になって、わいわい言われたい。ところが、ここときた日にゃ、まるで島流しみたいなものじゃないか。のべつ幕なしに、昔のことをなつかしがったり、他人の成功を気に病んだり、死神の足音にびくついたいるする。……ああ、たまらん! やりきれん! だのにここの連中は、わたしの老後を、いたわってもくれないのだ!
エレーナ もう少しの辛抱よ。もう五、六年もすれば、あたしもお婆さんになりますわ。

谷川俊太郎「これが私の優しさです」

窓の外の若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときに


あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?


それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強くなっていいですか
あなたのおかげで

チェーホフ『ワーニャ伯父さん』(神西清 訳)

エレーナ どうしてあなたがたは、自分のものでもない女のこと、そう気に病むんでしょうねえ。わかっていますわ、それはドクトルの仰しゃるとおり、あなたがたは一人のこらず、破壊とやらの悪魔をめいめい胸の中に飼ってらっしゃるからなのよ。森も惜しくない、鳥も、女も、お互い同士の命も、何ひとつ大事なものはない。……