孫引き引用

諸葛亮「出師表」

先帝臣(せんていしん)が謹愼(きんしん)なるを知る。故に崩(ほう)ずるに臨みて臣(しん)に寄するに大事(だいじ)を以てせり。命を受けて以來、夙夜(しゅくや)憂慮し、付託效(かう)あらず、以て先帝の明を傷(やぶ)らんことを恐る。故に五月濾(ろ)を渡り、深く不…

『大和物語』(第一五五段)

昔、大納言の娘いとうつくしうてもち給うたりけるを、帝に奉らむとてかしづき給ひけるを、殿に近う仕うまつりける内舎人(うどねり)にてありける人、いかでか見けむ、この娘を見てけり。顔かたちのいとうつくしげなるを見て、よろづの事おぼえず、心にかかり…

「古詩十九首」(十九首の内一首)

生年百に滿たず、常に千歳(せんざい)の憂ひを懷(いだ)く。 晝(ひる)は短くして夜の長きに苦しむ、何ぞ燭を秉(と)って遊ばざる。 樂しみを爲すは當に時に及ぶべし、何ぞ能く來玆(らいじ)を待たん。愚者は費を愛惜して、但だ後世の嗤ひと爲る。 仙人王子喬(わ…

『伊勢物語』(第二三段/筒井筒)

昔、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出でて遊びけるを、大人になりにければ、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男は、この女をこそ得めと思ふ。女は、この男をと思ひつつ、親のあはすれども、聞かでなむありける。さて、この隣の男のもとより、か…

『伊勢物語』(第二三段/筒井筒)

昔、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出でて遊びけるを、大人になりにければ、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男は、この女をこそ得めと思ふ。女は、この男をと思ひつつ、親のあはすれども、聞かでなむありける。さて、この隣の男のもとより、か…

李商隱「夜雨に北に寄す」

君歸期(きき)を問ふに未だ期有らず、 巴山(はざん)の夜雨(やう)秋池(しうち)に漲る。 何(いつ)か當に共に西窓(せいさう)の燭を翦(き)って、 郤(かへ)って巴山の夜雨の時を話(かた)るべき。 (語釈) ◇北=北地の意であるが、巴山に対して、おそらく都の地を…

『伊勢物語』(第九段/東下り)

昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、「京にはあらじ、東の方(かた)に住むべき国求めに。」とて行きけり。もとより友とする人、ひとりふたりして行きけり。道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。三河の国、八橋(やつはし)といふ所に至りぬ…

『荀子』(性悪)

夫れ人は性質の美有りて、心(こころ)辨知(べんち)すと雖も、必ず將に賢師を求めて之れに事(つか)へ、良友を擇(えら)びて之れを友とせんとす。今(いま)不善人(ふぜんにん)と處(を)れば、則ち聞く所の者は欺誣詐僞(ぎふさぎ)なり。見る所の者は汙漫淫邪貪利(を…

『伊勢物語』(第一段/初冠)

昔、男、初冠して、平城(なら)の京、春日の里にしるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男、かいま見てけり。思ほえず、ふるさとに、いとはしたなくてありければ、心地惑ひにけり。男の、着たりける狩衣の裾を切…

『孟子』(告子下)

宋牼(そうかう)將に楚に之かんとす。孟子石丘(せききう)に遇ふ。曰はく、先生將に何(いづ)くに之かんとするやと。曰はく、吾聞く、秦楚(しんそ)兵を構ふと。我將に楚王に見(まみ)え、説いて之れを罷めんとす。楚王悦ばざれば、我將に秦王に見え、説いて之れ…

『落窪物語』(巻一)

暗うなるままに、雨いとあやにくに、頭(かしら)さし出づべくもあらず。少将、帯刀(たちはき)に語らひたまふ。「くちをしう。かしこにはえ行くまじかめり。この雨よ」とのたまへば、「ほどなく、いとほしくぞはべらむかし。さはべれど、あやにくなる雨は、い…

『孟子』(離婁上)

曾子曾セキ(「セキ」は、上部「析」+下部「日」)を養ふに、必ず酒肉有り。將に徹せんとするや、必ず與(あた)ふる所を請ふ。餘り有りやと問へば、必ず有りといふ。曾セキ死す。曾元(そうげん)曾子を養ふに、必ず酒肉有り。將に徹せんとするや、與ふる所を請…

『竹取物語』

八月十五日ばかりの月にいでゐて、かぐや姫、いといたく泣きたまふ。人目も、今はつつみたまはず泣きたまふ。これを見て、親どもも、「何事ぞ。」と問ひ騒ぐ。かぐや姫、泣く泣く言ふ、「さきざきも申さむと思ひしかども、かならず心惑はしたまはむものぞと…

井上ひさし「ロマンス」

(マリヤ役の女優)あなたが去って/時がたった/けれども四つの芝居は/いまも大流行(おおはやり)/(オリガ役の女優)あなたが去って/噂がのこった/いいのもあれば/いやなのもある/(六人でリフレイン)そう、胸を病み血を吐いたチェーホフ/主義もな…

津島佑子「ナラ・レポート」

かすかな光の点滅のように、あるいは、とても小さなさざ波のようにはじめは感じるものなのだろうか。それとも、こそばゆい感覚とともに、なにかが遠くをよぎっていくように感じるのかもしれない。 少年は思いを集中させつづける。とまどいながらも確信をこめ…

川上弘美「溺レる」

少し前から、逃げている。 一人で逃げているのではない、二人して逃げているのである。 逃げるつもりはぜんぜんなかった、逃げている今だって、どうして逃げているのかすぐにわからなくなってしまう、しかしいったん逃げはじめてしまったので、逃げているの…

遠藤周作「深い河」

やき芋ォ、やき芋、ほかほかのやき芋ォ。 医師から手遅れになった妻の癌を宣告されたあの瞬間を思い出す時、磯辺は、診察室の窓の下から彼の狼狽を嗤うように聞こえたやき芋屋の声がいつも甦ってくる。 間のびした呑気そうな、男の声。 やき芋ォ、やき芋、ほ…

金井美恵子「柔らかい土をふんで、」

柔らかい土をふんで、そうでなくとももともと柔らかいあしのうらは音など滅多にたてずごく柔らかなふっくらとして丸味をおびた肉質のものが何かに触れる微かな音をたてるだけなのだが、固いコンクリートや煉瓦の上や、建物の一階分だけ正面の壁と床にチェス…

小川洋子「冷めない紅茶」

その夜、わたしは初めて死というものについて考えた。風が澄んだ音をたてて凍りつくような、冷たい夜だった。そんなふうに、きちんと順序立てて死について考えたことは、今までなかった。 確かにそれまでにも、わたしの周りにいくつかの死はあった。 小学校…

池澤夏樹「スティル・ライフ」

この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。 世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。 きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知って…

村上春樹「ノルウェイの森」

僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルグ空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空…

富岡多恵子「波うつ土地」

以前は夜になるとテレビジョンを見ていた。よく見た番組に若い男女のお見合いゲームのようなものがある。はじめは男女が顔を見ないで声だけをアテに相手を想像していたのが、司会者のゴタイメーンという合図で両者の間にあった仕切りがあがると、はじめてふ…

中上健次「千年の愉楽」

明け方になって急に家の裏口から夏芙蓉の甘いにおいが入り込んで来たので息苦しく、まるで花のにおいに息をとめられるように思ってオリュウノオバは眼をさまし、仏壇の横にしつらえた台に乗せた夫の礼如さんの額に入った写真が微かに白く闇の中に浮きあがっ…

向田邦子「かわうそ」

指先から煙草が落ちたのは、月曜の夕方だった。 宅次は縁側に腰かけて庭を眺めながら煙草を喫(す)い、妻の厚子は座敷で洗濯物をたたみながら、いつものはなしを蒸し返していたときである。 二百坪ばかりの庭にマンションを建てる建てないで、夫婦は意見がわ…

竹西寛子「管絃祭」

春の彼岸である。 東京は、まだ寒い。 町家に挟まれた浄念寺では、先刻から通夜の読経が続いている。古い造りの、町なかにしては大きな本堂だが、入口の階段下には男の靴も女の靴も数えるほどしかなくて、女物の草履が一足、少し離れた場所に脱がれている。 …

宮本輝「道頓堀川」

三本足の犬が、通行人の足元を縫って歩いてきた。耳の垂れた、目も鼻も薄茶色の痩せた赤犬だった。/まだ人通りもまばらな戎橋を南から北へと渡りきると、犬は歩を停めてうしろを振り返った。

宮本輝「螢川」

銀蔵爺さんの引く荷車が、雪見橋を渡って八人町への道に消えていった。/雪は朝方やみ、確かに純白の光彩が街全体に敷きつめられた筈なのに、富山の街は、鈍い燻銀(いぶしぎん)の光にくるまれて暗く煙っている。

宮本輝「泥の河」

堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川(あじかわ)と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川がまじわる所に三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建蔵橋(はたてくらばし)、それに船津橋である。/藁や板きれや腐った果実をうかべてゆるやかに流…

村上龍「コインロッカー・ベイビーズ」

女は赤ん坊の腹を押しそのすぐ下の性器を口に含んだ。いつも吸っているアメリカ製の薄荷入り煙草より細くて生魚の味がした。泣き出さないかどうか見ていたが、手足を動かす気配すらないので赤ん坊の顔に貼り付けていた薄いビニールを剥がした。段ボール箱の…

村上龍「限りなく透明に近いブルー」

飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいた虫の羽音だった。蠅よりも小さな虫は、目の前をしばらく旋回して暗い部屋の隅へと見えなくなった。 天井の電球を反射している白くて丸いテーブルにガラス製の灰皿がある。フィルターに口紅のついた細長い煙草…