2010-12-01から1ヶ月間の記事一覧
滝の水三次元半の空を飛ぶ
湯殿より人死にながら山を見る
わが夏帽どこまで転べども故郷
学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地
水打って路地には路地の仁義あり
だが思考を活性化するのはもっぱら批判ではなく肯定である。
ブルース・リーが武道家として示した態度は、「武道」への批判であった。
「そうだわ。誰にもすまないなんて思わない。幸福って、素直に、ありがたく、腕いっぱいにもらっていいものなのね」
「あっちには病人がおり、こっちにはもう数週間で結婚する二人がいる。人生ってそうしたもんさ。そうして朝は、誰にとっても朝なんだからな」
おそらく他人の心のわかりすぎる人間は、小説なんか書かないのであろう。
自分につながる人は、みんな死んでしまう。
「君、あの子の目を知っている?」 「ええ、ちらっと見たわ。」 「あの目が、僕の目の前で燃えているんだよ。」
「あなたの虚無なんか、情熱の不足だけよ。みなといっしょに歌が歌えないだけよ。」 「いっしょに歌が歌えないだけでも、りっぱな虚無じゃないか。」 「虚無上戸(じょうご)っでわけ……? 泣き上戸にもなれないの?」 「ああ、なれないね。飲んで泣けるような…
「なんだか急にそこいらが寂しく成った」
「こうして――一生――山の中に埋れて了(しま)うのかナア」
「ああ、自分のようなものでも、どうかして生きたい」
「母親さんはどういう積りで僕のような人間を造(こしら)えたんですか」 母親は長火鉢の灰をならしながら、苦笑(にがわらい)した。 「そういうことを聞くのは、一番親不孝な言葉だそうだ」
隙のちっともない人間と云うのは、会っていて厭な気がする。
家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりついている守宮(やもり)のようなものだ。 それは何時(いつ)からと云うことなしに、そこにいる。その姿は不吉で油断がならない。しかし、それはあたかも家屋の内部の調度品の一つであるかの如くそこにいるので、つ…
「しかし、五十歩と百歩とでは、やっぱり違うやろ」
誰だって生きたくないと思う奴はないだろう。たとえ死にたいと思っていながらも生きているかぎり、とにかく、死にたいということそのものを目標に生きてるわけだから、あまりいばれたもんじゃない。
ただでさえ生きているのは健康に悪いのに。
――田舎に行けば、いくらでも空気はあるんだけどね。別の理由で窒息しちゃうから。