2010-12-01から1ヶ月間の記事一覧

品川良夜

滝の水三次元半の空を飛ぶ

吉岡実

湯殿より人死にながら山を見る

寺山修司

わが夏帽どこまで転べども故郷

小沢信男

学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地

鈴木真砂女

水打って路地には路地の仁義あり

阿部和重『アメリカの夜』

だが思考を活性化するのはもっぱら批判ではなく肯定である。

阿部和重『アメリカの夜』

ブルース・リーが武道家として示した態度は、「武道」への批判であった。

三島由紀夫『永すぎた春』

「そうだわ。誰にもすまないなんて思わない。幸福って、素直に、ありがたく、腕いっぱいにもらっていいものなのね」

三島由紀夫『永すぎた春』

「あっちには病人がおり、こっちにはもう数週間で結婚する二人がいる。人生ってそうしたもんさ。そうして朝は、誰にとっても朝なんだからな」

三島由紀夫『永すぎた春』

おそらく他人の心のわかりすぎる人間は、小説なんか書かないのであろう。

川端康成『川のある下町の話』

自分につながる人は、みんな死んでしまう。

川端康成『川のある下町の話』

「君、あの子の目を知っている?」 「ええ、ちらっと見たわ。」 「あの目が、僕の目の前で燃えているんだよ。」

川端康成『川のある下町の話』

「あなたの虚無なんか、情熱の不足だけよ。みなといっしょに歌が歌えないだけよ。」 「いっしょに歌が歌えないだけでも、りっぱな虚無じゃないか。」 「虚無上戸(じょうご)っでわけ……? 泣き上戸にもなれないの?」 「ああ、なれないね。飲んで泣けるような…

島崎藤村『家』

「なんだか急にそこいらが寂しく成った」

島崎藤村『家』

「こうして――一生――山の中に埋れて了(しま)うのかナア」

島崎藤村『春』

「ああ、自分のようなものでも、どうかして生きたい」

島崎藤村『春』

「母親さんはどういう積りで僕のような人間を造(こしら)えたんですか」 母親は長火鉢の灰をならしながら、苦笑(にがわらい)した。 「そういうことを聞くのは、一番親不孝な言葉だそうだ」

庄野潤三「舞踏」

隙のちっともない人間と云うのは、会っていて厭な気がする。

庄野潤三「舞踏」

家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりついている守宮(やもり)のようなものだ。 それは何時(いつ)からと云うことなしに、そこにいる。その姿は不吉で油断がならない。しかし、それはあたかも家屋の内部の調度品の一つであるかの如くそこにいるので、つ…

開高健『日本三文オペラ』

「しかし、五十歩と百歩とでは、やっぱり違うやろ」

開高健『日本三文オペラ』

誰だって生きたくないと思う奴はないだろう。たとえ死にたいと思っていながらも生きているかぎり、とにかく、死にたいということそのものを目標に生きてるわけだから、あまりいばれたもんじゃない。

島田雅彦『彼岸先生』

ただでさえ生きているのは健康に悪いのに。

島田雅彦『彼岸先生』

――田舎に行けば、いくらでも空気はあるんだけどね。別の理由で窒息しちゃうから。