2012-12-01から1ヶ月間の記事一覧

ラッセル『ラッセル 幸福論』(安藤貞雄 訳)

義務感は、仕事においては有用であるが、人間関係ではおぞましいものである。人びとの望みは、人に好かれることであって、忍耐とあきらめをもって我慢してもらうことではない。たくさんの人びとを自発的に、努力しないで好きになれることは、あるいは個人の…

フランシス・ベーコン『ベーコン随想集』(渡辺義雄 訳)

ある書物はちょっと味わってみるべきであり、他の書物は呑み込むべきであり、少しばかりの書物がよく嚙んで消化すべきものである。すなわち、ある書物はほんの一部だけ読むべきであり、他の書物は読むべきではあるが、念入りにしなくてよく、少しばかりの書…

モンテスキュー『法の精神』(野田良之ほか 訳)

国家、すなわち、法律が存在する社会においては、自由とは人が望むべきことをなしうること、そして、望むべきでないことをなすべく強制されないことにのみ存しうる。 独立とはなんであるか、そして、自由とはなんであるかを心にとめておかねばならない。自由…

九鬼周造『「いき」の構造』

運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。 ※太字は出典では傍点

桂川甫周『北槎聞略』

かねて教へられしごとく左の足を折敷(おりしき)、右の膝をたて、手をかさねてさし出せば、女帝右の御手を伸(のべ)、指さきを光太夫が掌(たなごころ)の上にそとのせらるゝを三度舐(ねぶ)るごとくす。これ外国の人初(はじめ)て国王に拝謁の礼なりとぞ。さても…

懐奘 編『正法眼蔵随聞記』

近代の禅僧、頌(じゅ)を作(つ)くり法語を書かんがために文筆等をこのむ、是れ便(すなわ)ち非なり。頌をつくらずとも心に思はんことを書出し、文筆とゝのはずとも法門をかくべきなり。是をわるしとて見ざらんほどの無道心の人は、よく文筆を調へていみじき秀…

夢窓疎石『夢中問答』

仏法を行ずとも若し悟を開くことなくば、其の工夫いたづらなるべしと疑ふて、いまだ行じても見ずして、かねて退屈する人は愚の中の愚なり。若しさやうの疑を起さばたゞ仏法のみにあらず、世間の凡夫のしわざ何事かかねて治定(じじょう)せるや。 *かねて は…

湯川秀樹『旅人 ある物理学者の回想』

ユークリッド幾何を習いはじめると、直(す)ぐその魅力のとりことなった。数学、ことにユークリッド幾何の持つ明晰さと単純さ、透徹した論理――そんなものが、私をひきつけたのであろう。 しかし何よりも私をよろこばしたのは、むずかしそうな問題が、自分一人…

宮本武蔵『五輪書』

目の付けやうは、大きに広く付くる目也。観見(かんけん)二つの事、観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専(せん)也。敵の太刀をしり、聊(いささか)も敵の太刀を見ずといふ事、兵法の大事(だいじ)也。

中谷宇吉郎「貝鍋の歌」

住みついてみると、北海道の冬は、夏よりもずっと風情がある。風がなくて雪の降る夜は、深閑として、物音もない。外は、どこもみな水鳥のうぶ毛のような新雪に、おおいつくされている。比重でいえば、百分の一くらい、空気ばかりといってもいいくらいの軽い…

蓮如『蓮如文集』

一生すぎやすし。いまにいたりて、たれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。我やさき、人やさき、けふともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり。されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)に…

福沢諭吉『新訂 福翁自伝』

私が江戸に来たその翌年、すなわち安政六年、五国条約というものが発布になったので、横浜は正(まさ)しく開けたばかりのところ、ソコデ私は横浜に見物に行った。その時の横浜というものは、外国人がチラホラ来ているだけで、掘立小屋みたような家が諸方にチ…

明恵『明恵上人集』

秋田城介(あきたのじょうのすけ)入道覚知、遁世して梅〈ママ〉尾に栖(す)みける比(ころ)、自ら庭の薺(なずな)を摘みて味噌水(みそうず)と云ふ物を結構して上人にまゐらせたりしに、一口含み給ひて、暫し左右を顧みて、傍なる遣戸の縁(ふち)に積りたるほこり…

アイスキュロス『アガメムノーン』(久保正彰 訳)

ひとかどの人物とても、幸運の友を、妬み心なく立てることは、 なかなか人間生来の性(さが)がゆるさぬ、 悪しかれと願う邪毒が、心の臓に坐りこみ、 その病をえた男の重荷を、倍にも多くするもの。 おのれの痛みで、おのれ自身の心が晴れず、 他人の幸(さち)…

エドガー・アラン・ポー『アッシャア家の没落』(谷崎精二 訳)

雲が押しかかるように低く空にかかった、もの憂い、暗い、そして静まりかえった秋の日の終日、私は馬に乗ってただ一人、不思議なほどうら淋しい地方を通り過ぎていった。そして夕暮の影が迫ってきたころ、とうとう陰鬱なアッシャア家の見えるところまでやっ…

魯迅『吶喊』自序(竹内好 訳)

私も若いころは、たくさん夢を見たものである。あとではあらかた忘れてしまったが、自分でも惜しいとは思わない。思い出というものは、人を楽しませるものではあるが、時には人を寂しがらせないでもない。精神の糸に、過ぎ去った寂寞の時をつないでおいたと…

モーリアック『蝮のからみあい』(鈴木健郎 訳)

私は自分の罪を感じ、みまもり、触って見た。私の罪は、全部が全部、子供への憎悪、復讐の願い、金への執着という、あの蝮の醜い巣から生れたものばかりとは言えない。このからみあった蝮の彼方にあるものを探求する努力を惜んだことに由来する罪もあった。…

ヘミングウェイ『日はまた昇る』(大久保康雄 訳)

闘牛場の中央で、ロメロは牛の正面で半身になり、ムレータのあいだから剣をひきだし、爪先で立って、長い刃に沿って狙いをつけた。ロメロが攻めると牛も襲いかかってきた。ロメロの左手にあるムレータが、相手の目をくらますために牛の鼻先へたれさがると、…

ヘルダーリン「一八〇〇年の断片的草案」より(木田元 訳)

人間は苫屋に住まい、恥じらいの衣服に包まれている。内気で用心深くもあるからだが、巫女が神火を守るように魂(ガイスト)を守っているからだ。これこそが人間の分別である。だからこそ神々に似たものである人間には、自由が、つまり命令し遂行するより高い…

パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』(江川卓 訳)

日常の暮しは跡形もなく崩れ去って、あとに残ったのは、およそ非日常的な、ものの役にも立たない力、それこそ一糸まとわぬまで丸裸にされてしまった魂の内奥だけなんだわ。でも、この魂の内奥にとっては何一つ変っていないの。だって、それはいつの時代だっ…

バルザック『ゴリオ爺さん』(高山鉄男 訳)

パリはまことに大海原のようなものだ。そこに測鉛(そくえん)を投じたとて、その深さを測ることはできまい。諸君はこの海洋をへめぐり、それを描きだそうと望まれるだろうか。それをへめぐり、かつ描くことに諸君がいかに精魂をこめようと、またこの大海の探…

シレジウス『シレジウス瞑想詩集』(植田重雄・加藤智見 訳)

薔薇はなぜという理由なしに咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない、ひとが見ているかどうかも問題にしない。

ホメロス『イリアス』(松平千秋 訳)

さて駿足のアキレウスが、ヘクトルを休みなく激しく追い立てるさまは、山の中で犬が仔鹿を追うよう、その巣から狩り出し山間(やまあい)の低地を追ってゆく、灌木の茂みにかがんで身を潜めても、嗅ぎ出してはどこまでも追い、遂には捕える――そのようにヘクト…

デフォー『ロビンソン・クルーソー』(平井正穂 訳)

ある日のことであった。正午ごろ、舟のほうへゆこうとしていた私は海岸に人間の裸の足跡をみつけてまったく愕然とした。砂の上に紛れもない足跡が一つはっきりと残されているではないか。わたしは棒立ちになったままたちすくんだ。まさしく青天のへきれきで…

D.H.ロレンス『完訳 チャタレイ夫人の恋人』(伊藤整・伊藤礼 訳)

翌日彼女は森へ出かけた。曇った、静かな午後で、暗緑色の山藍(やまあい)が榛(はしばみ)の矮林(わいりん)の下に拡がっていた。すべての樹木は音も立てずに芽を開こうとつとめていた。巨大な槲(かしわ)の木の樹液の、ものすごい昴(たか)まり。上へ上へと騰(あ…

ユゴー『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄 訳)

人間の歴史は下水溝渠の歴史に反映している。死体投棄の溝渠はローマの歴史を語っていた。パリーの下水道は古い恐るべきものであった。それは墳墓でもあり、避難所でもあった。罪悪、知力、社会の抗議、信仰の自由、思想、窃盗、人間の法律が追跡するまたは…

プーシキン「思い出」(金子幸彦 訳)

おもいでが 音もなく ながい巻物をくりひろげる。 わたしは嫌悪のこころをもって おのれの生涯を読みかえし 身をおののかせ のろいの声をあげ なげきつつ にがいなみだを流す。 けれども悲しい記録のかずかずは もはや消し去るよしもない。

石川淳『夷斎筆談』「風景について」

文人画の芸術家にとって、写生とは単にデッサンの稽古ではなかったのだろう。技術の練磨は生活の発見につながる。芸術と生活との可能はひとしく天地山川の間に求められるべきものであり、一草一木といえどもこの関係からのがれられない。蘭を描き竹を描く。…

志賀直哉『暗夜行路』

明け方の風物の変化は非常に早かった。しばらくして、彼が振り返って見た時には山頂の彼方(むこう)からわき上がるように橙色の曙光がのぼって来た。それが見る見る濃くなり、やがてまたあせはじめると、あたりは急に明るくなって来た。萱は平地のものに比べ…

安部公房『安部公房全集』12(自筆年譜)

昭和二十年(一九四五)……八月になって、急に戦争がおわった。ふいに、世界が光につつまれ、あらゆる可能性が一時にやって来たように思った。だが、つづいて、苛酷な無政府状態がやってきた。しかしその無政府状態は、不安と恐怖の反面、ある夢を私にうえつけ…