2008-02-01から1ヶ月間の記事一覧

小林秀雄「モオツァルト」

努力は五里霧中のものでなければならぬ。努力は計算ではないのだから。これは、困難や障碍の発明による自己改変の長い道だ。いつも与えられた困難だけを、どうにか切り抜けて来た、所謂世の経験家や苦労人は、一見意外に思われるほど発育不全な自己を持って…

「まんげつのよるに」(木村裕一◎作/あべ弘士◎絵)

・ この もりの サルや リスや のうさぎたち。 おこって わらって ないて、ひっしに いきて、 そして、 だれもが かならず しんで いく。 いきものって みんな いっしょうけんめいで、みんな はかなく、 それが いじらしくて、おもわず ほほえんで しまう。 …

レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(清水俊二 訳)

気の弱い人間はいつも気が弱いのだ。

リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』(藤本和子 訳)

ここで、わたしの人間的欲求を表現すれば、――わたしは、ずっと、マヨネーズという言葉でおわる本を書きたいと思っていた。

ジェイムズ・ジョイス『若い芸術家の肖像』(丸谷才一 訳)

今、ぼくの少年時代はどこへ行ってしまったろう? 自分の運命に躊躇し、自分の傷の恥ずかしさに思い悩み、汚れた欺瞞の館(やかた)にあって、色褪せた屍衣とさわればたちまちくずれる花冠を身につけ、女王のごとく館に君臨していた魂はどこへ行ったろう? そ…

中原昌也「『あらゆる場所に花束が……』文庫版あとがき」

自己表現などという身勝手なものが、人が期待するほど、そんなに有り難いものなんかであるはずがない。しかも有り難いものでなければならない義務だってない。様々な感情が人の顔の種類と同じく微妙な差異で存在しているように、多様な表現が存在して然るべ…

泉鏡花「春昼後刻」

おなじ寂(さび)しさでも、秋の暮のは自然が寂しいので、春の日の寂しいのは、人が寂しいのではありませんか。

ミラン・クンデラ『冗談』(関根日出男、中村猛 訳)

「でも物事というのは、僕らが当初考えているのとは違ったように終るもんだ」と彼は言った。「そう、まったく考えもしなかったようにな」と私は言った。

ジャン=リュック・ゴダール『ゴダール/映画史 II』(奥村昭夫 訳)

私はいつも引用ばかりしてきました。ということはつまり、私はなにも創出しなかったということです。私はいつも、本で読んだりだれかから聞いたりした言葉をノートに書きとり、そのノートを手がかりにして見つけたいくつかの事柄を演出してきたのです。私は…

吉本隆明『ひきこもれ――ひとりの時間をもつということ』

のんびりやろうが、普通にやろうが、急いでやろうが、とにかく一〇年という持続性があれば、かならず職業として成立します。面白くても面白くなくても、コツコツやる。必死で頑張らなくったっていいのです。ひきこもっていてもいいし、アルバイトをやりなが…

新宮一成『夢分析』

振り返って考えてみれば、かつて嬰児として横になって上を見ていた我々人間にとって、言葉はもともと空のものである。それを獲得することは、横になっているだけの存在に別れを告げて、別の存在になるということである。元の存在はそこに取り残され、言葉が…

グンナル・エーケレーフ

「十全感」(抄)(土岐恒二 訳) きみのまわりで強烈な愛と死をくりひろげる全自然界につ いて。 「宋」(抄)(土岐恒二 訳) ひとつの窓、花をつけた一本の枝 それだけで十全に満ち足りている 大地なくて花はなく 空間なくて大地はなく 花なくて空間はない 「…

ニール・ポストマン『子どもはもういない』(小柴一 訳)

テレビの内容をよく見ると、「大人化」された子どもの出現だけでなく、「子ども化」された大人の出現のかなり正確な証拠を見つけだせる。

オクタビオ・パス

「廃墟のなかの賛歌」(抄)(桑名一博 訳) ・ドコデ掘リ起スノダ 言葉ヲ ・ブツカリ合ウコノ死ノ水ノ中ニ スベテハ流レコマネバナ ラヌノカ? ・人ハいめーじノ木 言葉ハ花デアリ果実デアリ行為デアル 「白」(抄)(鼓直 訳) ・ 言語は いわば贖罪である…

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(原卓也 訳)

「いいですか、これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。君たちは教育に関していろいろ話してもらうでしょうが…

エズラ・パウンド「詩章 第八十一篇」(抄)(出渕博 訳)

・そしていった。哀しみとは全力をあげての活動だ。 ・おまえが愛するものはのこる 他は残骸 ・ひきずりおろせ おまえの虚栄 ・ 誤りはすべて、何もなさないことのなかにある ぐらつく 自信のなかにこそ……

チェーホフ『ワーニャ伯父さん』(神西清 訳)

ソーニャ でも、仕方がないわ、生きていかなければ!ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっ…

イーヴ・ボンヌフォア「苦悩と欲求との対話」(抄)(安藤元雄 訳)

・そのときわたしは驚くのだ これほど時間と苦痛とが 必要だったのかと。なぜなら果実が すでに樹の中にみなぎっていたから。太陽が すでに夕方の国をいろどっていたから。 ・そして おまえ そしてそれこそがわたしの自慢なのだ おお 光を背にすること少なく…

バートランド・ラッセル『ラッセル 教育論』(安藤貞雄 訳)

独りっ子は、抑えつけられているか、それとも、わがままになっているかのどちらかだ――ことによると、かわるがわるその両方になっているかもしれない。行儀のよい独りっ子はかわいそうだし、行儀の悪い独りっ子はやっかいだ。

ニコス・ガッツォス「アモルゴス」(抄)(池澤夏樹 訳)

・笑うな泣くな喜ぶな 鈴懸を植える時のように意味もなく靴紐を締めるな なによりも「運命」となるな ・しかしこのぬかった岸辺に道はただ一すじしかない 人を欺く一すじの道 そこをおまえは行かねばならない 時が追いつく前に血の中に身を浸さなくてはなら…

ロラン・バルト『テクストの快楽』(沢崎浩平 訳)

しかし、快楽に作用するのは暴力ではない。破壊は快楽には関係がない。快楽が欲するのは忘我の場である。

ホルへ・ギリェン(荒井正道 訳)

「クローバ」(抄) ・めざめのたびに 私の口はあなたの名まえに帰って行く 水兵が港に帰って来るように ・私にとって無縁の人びと 傍にあなたのあることを知らず 私を孤独と考えるあの人びと 「街角」(抄) 男はとあるカフェに入る。――どうしてもだめ。愉…

エリアーデ『永遠回帰の神話』(堀一郎 訳)

ほとんどいずれのところでも、われわれは苦を生ずるのに直接介在したか、もしくは苦を惹起するのに悪魔的あるいは神的な他の力の介入を許したかはさておいて、苦は神の意志に基くとする古代的観念(単純文化人の間で支配的な)に出会うのである。収穫の破壊…

アンナ・アフマートワ「ヒーローのいない叙事詩」(抄)(江川卓 訳)

・せめていまは答えてちょうだい、 いったい あなたはいつか本物の生を生きたことがあるの? まぶしいばかりの美しくかわいい足で、 広場の木煉瓦を踏みしめたことがあるの?…… ・ (どれほどの死が詩人を訪れたことか、 おろかな少年よ、彼もまた死を選んだ…

中井久夫『分裂病と人類』

分裂病者の幼少期は、多くが「よい子」であるといわれるが、この手のかからず、めだたず、反抗しない、‶すなお″な「よい子」とは違う意味で、うつ病者の幼少期も、多くは「よい子」である。ただし、かいがいしい、よく気のつく、けなげな「よい子」であるよ…

オディッセアス・エリティス「快晴」(抄)(池澤夏樹 訳)

・希望が到着する ・まなざしは語らない すべての子供が髪の中に一輪 のカーネーションを隠しているように ・雨と風が一日を改訂するだろう 休息するためには谷間があるだろう あるいは傷つくために――深い心が

サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』(安堂信也 高橋康也 訳)

ヴラジーミル なにも心配することはない。 エストラゴン 待ってさえいりゃいい。 ヴラジーミル 慣れてるからな、待つのは。

ローベルト・ヴァルザー(川村二郎 訳)

「輪舞」(抄) ・希求や欲望や最終的にはつねに能力と一致する、そして一年として人間は、自分におよそどれほどのことができるか、感じないですませることはない。 ・人はみな、どれほど深く、どれほどはげしく、自分自身をいつくしみ愛さなくてはならない…

神谷美恵子『生きがいについて』

ほんとうに生きている、という感じをもつためには、生の流れはあまりになめらかであるよりはそこに多少の抵抗感が必要であった。したがって生きるのに努力を要する時間、生きるのが苦しい時間のほうがかえって生存充実感を強めることが少なくない。ただしそ…

チャールズ・オルソン(出淵博 訳)

「かわせみ」(抄) ・変わらないもの/それは変わろうとする意志だ。 彼はベッドのなかで 服を着たまま、めざめた。彼は ただひとつのことしか憶えていない、鳥たちのことだけを。 ・ひとつの死ではなく あまたの死を 堆積ではなく 変化を フィードバックが…