2008-12-01から1ヶ月間の記事一覧

森鷗外「團子坂」

男。そんな風に話がtautological(トオトロジカル)になつてしまつては爲樣(しやう)がないのですが、僕は嫌だの嫌でないのといふわけではありません。こんな事は繼續(けいぞく)が出來ない。早晩どうにか變化せずには已(や)まない。あなたが何と思つてゐたつて…

森鷗外「建築師」

森。併(しか)し僕が塔に登つてゐるのを見て、歌はない歌の聲、彈(たん)ぜないハアプの音(ね)を聞く人が、一人でも二人でもあれば、それで登つた丈(だけ)の事はあるといふものではありますまいか。

森鷗外「建築師」

森。僕だつて平生勉強して、自分丈(だけ)の家は新築してゐます。塔も立ててある。その塔に足場も掛けてある。併(しか)し自分でそれへ登らうとは思はない。塔の尖(さき)へのあこがれはあつても、自分で登らうといふ決心はない。

夏目漱石「京に着ける夕」

子規と来て、ぜんざいと京都を同じものと思つたのはもう十五六年の昔になる。夏の夜の月丸きに乗じて、清水の堂を徘徊して、明かならぬ夜の色をゆかしきものゝ様に、遠く眼を微茫(びぼう)の底に放つて、幾点の紅燈に夢の如く柔かなる空想を縦(ほしい)まゝに…

森鷗外「建築師」

千葉。一體(たい)ハルワルト・ソルネスといふ人物をどう思つてお出(いで)ですか。 森。さう。自分の精力の足りないのを知らずに、空想に欺かれてゐる、氣の毒な人物で、僕は餘(あま)りシムパチイを持つてゐませんね。

夏目漱石「京に着ける夕」

膝掛をとられて顫(ふる)へてゐる今の余を見たら、子規は又笑ふであらう。然し死んだものは笑ひたくても、顫へてゐるものは笑はれたくても、相談にはならん。

森鷗外「脚本『プルムウラ』の由來」

何分この頃は脚本なぞを書く暇がない。役所が引けて晩に歸れば草臥て、ヘト/\になつて居る。そこで此間中三四日歸ると直ぐに一寐入りして、午前一時から三時頃まで起きて急いで書いて見た。何もさういふ無理をして書いたといふのを拙く出來た言譯に發表す…

夏目漱石「京に着ける夕」

あゝ子規は死んで仕舞つた。糸瓜の如く干枯(ひから)びて死んで仕舞つた。

森鷗外『阿育王事蹟』

これより後、英國は幾多の權力の消長を閲して、千八百七十七年女皇ヰクトリヤVICTORIA.に印度帝の稱號を兼ねしむるに至りぬ。宗教上には、近頃時々宗教統一UNITARISMUS.の運動を見ることあるのみ。 ※太字は出典では傍線

夏目漱石「倫敦消息〔『色鳥』所収〕

此多事なる世界が日となく夜となく廻転しつゝ、波瀾を生じつゝある間に、僕の住む此小天地にも小回転と小波瀾が続きつゝある、起りつゝある。僕の下宿の主人公は其尨大なる身体を賭して差配と雌雄を決せんとしつゝある。さうして僕は君の病気を慰めるために…

夏目漱石「倫敦消息〔『ホトトギス』所収〕

此多事なる世界は日となく夜となく回転しつゝ波瀾を生じつゝある間に我輩のすむ小天地にも小回転と小波瀾があつて我下宿の主人公は其厖大なる身体を賭してかの小冠者差配と雌雄を決せんとしつゝある。而(しか)して我輩は子規の病気を慰めんが為に此日記をか…

森鷗外『阿育王事蹟』

阿育王は沸滅後二百數十年の頃、北印度に王たりし人なり。今その事蹟を記述せむとするに當たりて、先づその領せし國の如何なる國にして、その治めし民の如何なる民なりしかを略説せむとす。

夏目漱石「倫敦消息〔『ホトトギス』所収〕

然るに茲(ここ)に或る出来事が起つていくら居りたくつても退去せねばならぬ事となつたといふと何か小説的だが其訳を聞くと頗る平凡さ。世の中の出来事の大半は皆平凡な物だから仕方がない。

夏目漱石「倫敦消息〔『ホトトギス』所収〕」

先(まず)散歩でもして帰ると一寸気分が変つて来て晴々する。何こんな生活も只二三年の間だ。国へ帰れば普通の人間の着る物を着て普通の人間の食ふ物を食つて普通の人の寝る処へ寝られる、少しの我慢だ我慢しろ/\と独り言をいつて寝て仕舞ふ、寝てしまふ時…

夏目漱石「倫敦消息〔『ホトトギス』所収〕」

時には英吉利がいやになつて早く日本へ帰り度(たく)なる。すると又日本の社会の有様が目に浮んでたのもしくない情けない様な心持になる。日本の紳士が徳育、体育、美育の点に於て非常に欠乏して居るといふ事が気にかゝる。其紳士が如何に平気な顔をして得意…

森鷗外『能久親王事蹟』

二十八日、午前三時三十分脈不正にして百三十五至。五時體温三十九度、六 脈百三十六至呼吸四十五。四肢厥冷して冷汗を流させ給ふ。人事を省せさせ給はず。龍腦の皮下注射、COGNAC(コニャック)酒の灌膓をなしまゐらす。七時十五分病革(すみやか)になりて、幾…

森鷗外『能久親王事蹟』

弘化四年二月十六日、京都御車通今出川下るといふ町なる御館(みたち)にて、伏見宮第十九代邦家親王の第九子として生(あ)れまししぞ、後に北白川宮能久親王と稱(たた)へまつる御子(みこ)におはしける。

森鷗外『西周傳』

三十年一月下旬周の病漸く重りぬ。二十七日勳一等に叙して端寶章を賜はる。二十九日特に男爵を授けらる。三十一日勅至る。紳六郎大聲もてこれを告ぐ。周頷く。午後九時三十分周薨ず。年六十九。二月一日柩を東京三十間堀の家に遷して喪を發す。五日勅使廣幡…

森鷗外『西周傳』

西周姓は藤原、名は時懋(ときしげ)、中ごろ魚人(なひと)、後魯人と改む。小字を經(みち)太郎と曰ひ、長じて壽專と稱し、髮を蓄ふるに及びて修亮と更む。中ごろ徳川氏の公文周助と書す。竟にこれに從ふ。後又周(あまね)と通稱す。その鹿城と號するは、鹿足郡…

ムージル『特性のない男』(加藤二郎 訳)

たいていの人間は、率直にいってしまえば、何かを創造することなどできないくせに、精神ばかり苛ついている凡人どもは、自己表現はしてもいいんだという願望をいつも抱いているものだ。それに彼らは、「言うに言えないこと」がじつに容易に起こりやすい人間…

ロラン・バルト『明るい部屋』(花輪光 訳)

「肖像写真」は、もろもろの力の対決の場である。そこでは、四つの想像物が、互いに入り乱れ、衝突し、変形し合う。カメラを向けられると、私は同時に四人の人間になる。すなわち、私は自分はそうであると思っている人間、私が人からそうであると思われたい…

ボリス・エイヘンバウム「ゴーゴリの『外套』はいかに作られたか」(小平武 訳) (水野忠夫編『ロシア・フォルマリズム文学論集1』(せりか書房)所収)

何にせよ、あるひとつの判断を作者の魂の心理的な内容と同一視するような、よく見受けられる態度は学問にとって誤った道である。この意味であれこれの気分を味わっている、現実の人間としての芸術家の魂は、常に作品の限界の外にあるし、また外にとどまらな…

ジェラール・ジュネット『フィギュールI』(花輪光 監訳、和泉涼一、小田淳一、神郡悦子、矢橋透 訳)

文学が最大の効果を発揮するのは、ある期待と「どのような期待をも裏切る」驚きとの間の、また大衆によって予見され、望まれる「真実らしさ」と、創造という予測不能さとの間の微妙な戯れによるのである。しかし、この予測不能さ、名作が持つ限りない衝撃と…

ジュリア・クリステヴァ『記号の解体学――セメイオチケ1』(原田邦夫 訳)

対話の相手がひとつのテクストであるならば、主体もまたひとつのテクストである。

ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』(川端香男里 訳)

ここにおいて、糞のイメージの両面的価値、再生と改新とのつながり、恐怖の克服における主導的役割、こういうものが明かとなった。糞は陽気な物質である。最も古い糞尿譚(スカトロジー)的イメージにおいては、前にも述べたが、糞は生殖力、肥沃とつながり…

エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』(合田正人 訳)

幸福とは、不安感によって耐えがたいまでにかき乱された世界からのどんな逃走に対しても差し出される終着点である。ひとは生を逃れつつも生へと赴くのだ。 ※太字は出典では傍点

ハイエク『ルールと秩序――法と律法と自由I』(矢島鈞次、水吉俊彦 訳)

「資本主義」も「自由放任主義」もそれを正確には叙述していない。そしてこれらの用語は、どちらも、自由な体系の擁護者よりもその敵対者の間で明らかに多用されている。「資本主義」は、ある歴史的局面におけるそのような体系のせいぜい部分的実現を指すの…

スラヴォイ・ジジェク『斜めから見る』(鈴木晶 訳)

幻想は、ラカン理論によれば、主体とa(自分の欲望の対象=原因)との「ありえない」関係をあらわしている。その意味では、ゼノンが排除したのは幻想という次元である。幻想はふつう主体の欲望を実現するためのシナリオと考えられている。文字通り受けとる…

ジョン・バージャー『イメージ――Ways of Seeing 視覚とメディア』(伊藤俊治 訳)

簡単に言えばこう言えるかもしれない。男は行動し、女は見られる。男は女を見る。女は見られている自分自身を見る。これは男女間の関係を決定するばかりでなく、女性の自分自身に対する関係をも決定してしまうだろう。彼女のなかの観察者は男であった。そし…

ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(宇野邦一、小沢秋広、田中敏彦、豊崎光一、宮林寛、守中高明 訳)

実際次のような問いが残っている。顔貌性抽象機械が作動するのはいつか、それが始動するのはいつなのか。単純な例をいくつか取り上げよう。授乳の最中に顔を通じて作用する母親の権力、愛撫のときさえ、愛されるものの顔を通じて作用する情念的権力、大衆運…