2010-01-01から1年間の記事一覧

マリオ・ジャコメッリ(岡本太郎 訳)(マリオ・ジャコメッリ『MARIO GIACOMELLI 黒と白の往還の果てに』所収)

私は自分の写真のなかに、意味に至るまで繰り返された光と黒の緊張があって欲しいと思っている。シャッターを切る前にはかならず、被写体と魂の沈黙の取り交わしがあり、現実がコピー機から出てくるようにではなく、私にとっては無意識のかたちでありしるし…

マリオ・ジャコメッリ(岡本太郎 訳)(マリオ・ジャコメッリ『MARIO GIACOMELLI 黒と白の往還の果てに』所収)

イメージは精神であり、物質、時、空間、視線のチャンスである。われわれ自身の証しとなる痕跡であり、絶え間なく記憶や物語や知の法則を支えるリズムを生きる文化のしるしだ。

三島由紀夫「文化防衛論」

私はテレヴィジョンでごく若い人たちと話した際、非武装平和を主張するその一人が、日本は非武装平和に徹して、侵入する外敵に対しては一切抵抗せずに皆殺しにされてもよく、それによって世界史に平和憲法の理想が生かされればよいと主張するのをきいて、こ…

三島由紀夫『盗賊』

たとい自殺の決心がどのような鞏固(きょうこ)なものであろうと、人は生前に、一刹那でも死者の眼でこの地上を見ることはできぬ筈だった。どんなに厳密に死のためにのみ計画された行為であっても、それは生の範疇をのがれることができぬ筈だった。してみれば…

中井精也『ゆる鉄』

現実のようで夢のような。 記憶のようで日常のような。

石川淳『森鷗外』

「抽斎」と「霞亭」といずれを取るかといえば、どうでもよい質問のごとくであろう。だが、わたしは無意味なことはいわないつもりである。この二篇を措いて鷗外にはもっと傑作があると思っているようなひとびとを、わたしは信用しない。「雁」などは児戯に類…

福永武彦「細い肩(挿話)」

「プラットフォームで、僕は彼女におめでとうと言った。彼女は困ったような顔をしていたが、やがて、お願いがあるのよ、と言った。僕が、何だい? となにげなく訊くと、あたしの肩を両手で揺ぶってみて頂戴、と言うじゃないか。僕はびっくりしたけど、言われ…

大江健三郎『新しい文学のために』

人はある年齢にいたると、よく自分の少年時代において、あるいは青春のさなかに、どういう文学から感銘を受けたかを語るものだ。そういう話をつうじて、もっとも生きいきと具体的に相手の文学への思いがつたわって来るのは、詩句や文章の一節のはっきりした…

泉鏡花「外科室」

三秒(セコンド)にして渠(かれ)が手術は、ハヤその佳境に進みつつ、刀(メス)骨に達すと覚しき時、 「あ。」と深刻なる声を絞りて、二十日以来寝返りさへも得せずと聞きたる、夫人は俄然(がぜん)器械の如く、その半身を跳起(はねお)きつつ、刀取れる高峰が右手…

津島佑子『寵児』

光は、時間だ、と思う。二千光年。五百万光年。三千五百万光年。四十億光年。光は時間なのだ。すると、闇は時間から解放されているということになる。光と闇。が、光から本当に逃がれることのできる闇などあるのだろうか。分解された光。屈折する光。兆の単…

津島佑子『寵児』

体というものは、なんとその人に忠実なのだろう。

津島佑子『寵児』

三人。高子はその数の安定していることに強く心を魅かれた。二、ではない、四、でもない、三、という数。三角形。充実した、美しい形だ。方形もよいが、ともかく三角形がすべての形あるものの基本となっている。ドミナントだ。ド、ミ、ソ、の和音。聞き慣れ…

若林つや「野薔薇幻相」

私はまつことになれました。二十年、三十年、五十年、 私が力つきてくずおれた時、花あぶよ読経をたのみます。 野バラよその名香をたのみます。

新明解国語辞典×梅佳代『うめ版』

【世の中】㊀社会人として生きる個個の人間が、だれしもそこから逃げることのできない宿命を負わされているこの世。一般に、そこには複雑な人間関係がもたらす矛盾とか政治・経済の動きによる変化とかが見られ、許容しうる面と怒り・失望を抱かせる面とが混…

新明解国語辞典×梅佳代『うめ版』

【人生経験】人生の表街道を順調に歩んで来た人にはとうてい分からない、実人生での波瀾に富み、辛酸をなめ尽くした経験。〔言外に、真贋の見極めのつく確かさとか、修羅場をくぐり抜けて来た人たちの一大事に対する覚悟の不動とかを含ませて言うことが多い…

新明解国語辞典×梅佳代『うめ版』

【実社会】実際の社会。〔美化・様式化されたものとは違って、複雑で、虚偽と欺瞞に満ち、毎日が試練の連続であると言える、きびしい社会を指す〕「卒業して実社会に出たら親の苦労が少しは分かるだろう」

新明解国語辞典×梅佳代『うめ版』

【運鈍根】幸運を待つ事、余り才気に走らない事、根気強くねばる事、この三つが世渡りの秘訣だ、という考え方。運根鈍。

ロック『教育に関する考察』(服部知文 訳)

ときとして、子供たちが泣き叫ぶのは苦痛とか真の悲しみの結果であり、そういうものに苦しむ自分自身を悲しんでいるのです。

ロック『教育に関する考察』(服部知文 訳)

われわれが出逢う万人の中で、十人の中九人までは、良くも悪くも、有用にも無用にも、教育によってなるものだと言って差し支えないと思われます。教育こそ、人間の間に大きな相違をもたらすものです。われわれの敏感な幼年時代に与えられた、わずかの、言い…

ボーヴォワール『人間について』(青柳瑞穂 訳)

人は、他人のためにも、自らのためにも欲しません。人は無のために欲するのです。そして、これこそ、自由性というものです。 ※太字は出典では傍点

ボーヴォワール『人間について』(青柳瑞穂 訳)

《人間は遠方の存在である》と、ハイデッガーは言っています。人間はいつも他所にいるのです。《これが私だ》と、人間が安心して言いうるような、そんな特権的な地点など、世界のどこにも存在していないのです。人間は自分自身より別のものの方に向けられて…

保田與重郎「更級日記」

この絶望という言葉の中にふくまれている意欲、これはけだし語る人の意識の告白である。イロニーである。いわば意欲ののっぴきならぬ表情である。

保田與重郎「更級日記」

日本の王朝のことを、近代の泰西の学の言葉で表現してわかりましたといった顔する人は、何故西洋人が何百年思い用いて今では彼らの呼吸の中にあるような言葉を使う代りに、日本人の呼吸の中にある言葉で、日本のことを語らぬのであろうか。

保田與重郎「日本の橋」

橋は人間の交通を語って人生過現未の往来をさえ教えた。

トマス・ハリス『羊たちの沈黙』(菊池光 訳)

しかし、きみにも見えると思う。私たちの星の一部は同じなのだ。

トマス・ハリス『羊たちの沈黙』(菊池光 訳)

物欲を除いて、孤独くらい人を隙だらけにするものはない。

トマス・ハリス『羊たちの沈黙』(菊池光 訳)

「本で定義するには、人生は複雑すぎるのだ、クラリス。怒りが情欲の形をとることがあるし、狼瘡(ろうそう)が蕁麻疹(じんましん)と見られる」

荒木経惟『荒木経惟トーキョー・アルキ』

写真で何か表現しようなんて、しなくていい。ちゃんと町とか路地が表現してるんだから。

荒木経惟『荒木経惟トーキョー・アルキ』

なんだか、東京がどんどんカタカナになっていく。前は、もうちょっとひらがなが残ってたんだけどな。

荒木経惟『荒木経惟トーキョー・アルキ』

やっぱり信号待ちはいい。みんな、何を待ってんのかね。もちろん信号変わるの待ってんだけど、でも何かを待ってんだよ。それで、そこに、その人の人生が凝縮されてさ。だから、待ってる時って、あるんだよなー、ドラマがさ。