2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

中田薫『徳川時代の文学に見えたる私法』

徳川時代契約成立の確証として、当事者互いに拍手するの方式あり、これを手打という。 ※太字は出典では傍点、斜体は出典では白丸点

和辻哲郎『古寺巡礼』

昨夜父は言った。お前の今やっていることは道のためにどれだけ役にたつのか、頽廃した世道人心を救うのにどれだけ貢献することができるのか。この問いには返事ができなかった。

中江兆民『三酔人経綸問答』

戦争は帝王にとっては、けっきょく遊びの一種にすぎない。

辻善之助『田沼時代』

政治家は手腕ばかり如何に勝ぐれても、徳望がなくてはだめである。田沼は、名詮自称で濁ったる泥池であった。しかしながら、その中には蓮の花も咲いた。同時にまた根もあり、また実も結び得たのである。しかれども泥田はやはり泥田であった。

世阿弥『風姿花伝』

時分の花を誠の花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷ひて、やがて、花の失(う)するをも知らず。

柳田国男『木綿以前の事』

日本の男子には妙な習癖があって、不景気な考え方だ引込思案だと言われると、随分尤もな意見を持っていてもすぐへこたれ、明らかに無謀な積極政策を提案しても、大抵は威勢がいいの進取的だのと言って誉められる。

アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』

宴席に雇われた本職の芸人の奏する楽器や唄で陽気になり、二、三時間談笑した後、もう充分に酩酊したところで、客は主人にお辞儀をして、飯を所望する。これで、お話はよく了解したという合図だ。

柳田国男『海上の道』

日本の海端に、ココ椰子の実が流れ着くということは、決して千年ばかりの新らしい歴史ではなかったはずであるが、書物で海外の知識を学び取ろうとした者は、かえって永い間それを知らずにいた。

山本常朝『葉隠』

今の世を、百年も以前のよき風になしたく候ても成らざる事なり。されば、その時代々々にて、よき様にするが肝要なり。

世阿弥『風姿花伝』

また、時分にも恐るべし。去年(こぞ)盛(さか)りあらば、今年は花なかるべき事を知るべし。時の間(ま)にも、男時(をどき)・女時(めどき)とてあるべし。

猪俣津南雄『踏査報告 窮乏の農村』

食うだけには事欠かないもののように思われていた農民が、一番食うことに脅かされるということは何という皮肉か、しかも農民は自分自身を食いつくして、すでに次の時代までを食い始めている。

杉田玄白『蘭学事始』

かのターヘル・アナトミアの書にうち向ひしに、誠に艫舵(ろかじ)なき船の大海に乗り出だせしが如く、茫洋として寄るべきかたなく、たゞあきれにあきれて居たるまでなり。

中江兆民『三酔人経綸問答』

たとい政治家が時と場所とをわきまえずに施政したために、いく千万の人間が禍いをこうむったとしても、その跡を吟味した学者は、きっとこう言うでしょう。あれは、ああならざるを得ぬ理由があって、ああなったのだ、と。

山本常朝『葉隠』

五十ばかりより、そろ/\仕上げたるがよきなり。その内は諸人の目に立身遅きと思ふ程なるが、のうぢあるなり。

ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』(豊島与志雄 訳)

「叔父さん、どうしたらいいでしょう? 僕は望んだ、たたかった。そして一年たっても、やはり前と同じ所にいる。いや同じ所にもいない! 退歩してしまった。僕はなんの役にもたたない、なんの役にもたたないんです。……」 …… ゴットフリートはやさしく言った…

フローベール『ボヴァリー夫人』(伊吹武彦 訳)

誰だって、自分の欲望、思想、苦痛を正確に示すことはできない。そして、人間の言葉は破(わ)れ鍋のようなもので、これをたたいて、み空の星を感動させようと思っても、たかが熊を踊らすくらいの曲しか打ち鳴らすことはできないのである。

エンツェンスベルガー『政治と犯罪』(「ガラスケースのまえでの考察」)(野村修 訳)

アイヒマンを診断したイスラエルの精神病医は、アイヒマンは「まったく正常(ノーマル)な人間であって、かれを診断したあとのわたし自身よりも、かえって正常なのではないかという気がするくらいだ」と、いっている。別の研究者はアイヒマンを、模範的な家庭…

エウリピデス『トロイアの女』(松平千秋 訳)

神様方のお心は、ただ私を苦しめ、トロイアをば、とりわけて憎もうとなさることであったとしか思われぬ。牛を屠(ほふ)って勤めた奉仕も空しいことであった。しかしまた、神様がこれほどまで根こそぎに、トロイアを亡ぼされることがなかったら、わたしらは名…

ボードレール「秋の歌(I)」(村上菊一郎 訳)

われらまもなく冷たき闇に沈むらん。 いざさらば、束の間なりしわれらが夏の強き光よ! われすでに聞く、中庭の甃石(いしだたみ)に 悲しき響を立てて枯枝の落つるを。

袁枚『随園食単』(青木正児 訳注)

味は濃厚(こってり)を要するが、油膩(あぶらこく)てはいけない。味は清鮮(あっさり)を要するが、淡薄(みずくさく)てはいけない。この似て非なる間隔の一毛一厘の差は、これを誤ると千里も離れることになる。濃厚(こってり)とは精を取ること多くして糟(かす)…

ランボー「ジョルジュ・イザンバール宛書簡」(一八七一年五月一三日)(木田元 訳)

いまはできるかぎり身をもちくずそう。なぜって、私は詩人になろうと思っているのだし、見者になろうと努めているからです。……すべての感官を錯乱させることによって未知のものに到達することが肝要なのです。大変な苦痛ですが、そのためには強くなければな…

ギュンター・グラス『女ねずみ』(高本研一・依岡隆児 訳)

ああ、あんた方の汗まみれの思考とインクの洪水! なんとたくさんの紙が、人類の教育を促進するために黒くされたことか! 論難書と宣言。言葉を孵化し、字句にこだわった。詩脚を数え、字義を解釈した。あれほど多くの知ったかぶり。何ひとつ人間にとって疑…

李商隠「夜雨(やう) 北に寄す」(高橋和巳 注)

君は帰期を問うも未だ期有らず 巴山(はざん)の夜雨 秋池(しゅうち)に漲る 何(いつ)か当に共に西窗(せいそう)の燭を剪(き)って 却(さて)しも話すべき 巴山夜雨の時を ・巴山 四川省にある山の名 ・西窗 西むきの居間の窓 ・北に寄す 妻に書き送る

T.S.エリオット「形而上詩人」(矢本貞幹 訳)

詩人の精神というものは創作の用意がすっかりととのっている場合には、いつでも別々の離れた経験を合わせて一つにするが、ふつうの人間の経験はごたごたでしまりがなくてばらばらである。ふつうの人が恋をしたりスピノザを読んだりする場合、この二つの経験…

ダンテ『神曲 地獄』(山川丙三郎 訳)

我を過ぐれば憂いの都あり、我を過ぐれば永遠(とこしえ)の苦患(なやみ)あり、我を過ぐれば滅亡(ほろび)の民あり 義は尊きわが造り主を動かし、聖なる威力(ちから)、比類(たぐい)なき智慧、第一の愛我を造れり 永遠の物のほか物として我よりさきに造られしは…

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』(篠田一士 訳)

残酷な不動の九月の太陽に照りつけられてかさかさに乾ききった外壁を背景として、二度咲きのウィスタリアの花の、甘い、あまりにも甘い香りにむせかえる薄暗い屍棺(しかん)の匂いのする木陰があり、そこへときおり雀の群れがやってきては懶惰な子供がありふ…

ヴァーツラフ・ハヴェル『ハヴェル自伝 抵抗の半生』(佐々木和子 訳)

たしかに、ある意味では、知識人とは、もともといつでも、戦う前からすでに敗北しているもの、いわば、永遠なる敗北を宣告されたシジフォスのごときものであり、勝利している知識人なんぞというものがうさんくさいのです。ところがまた一方では、べつの、も…

ツルゲーネフ『父と子』(金子幸彦 訳)

君はぼくのいまやっていることを見ているだろう。かばんのなかにすきまができたから、そこへ乾草をつめているんだ。ぼくらの人生のかばんもそんなものだよ。すきまがないように、なんでもいいからつめこまなければならないんだ。

フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』(高杉一郎 訳)

「おばあさんがここへきて住むようになってから、ときどき時間のなかをあともどりしたでしょう?」 「時間のなかをあともどりした?」 「つまり、過去――むかしへあともどりしたでしょう?」 「トム。あんたがわたしぐらいの年になればね、むかしのなかに生き…

ツワイク『ジョゼフ・フーシェ ある政治的人間の肖像』(高橋禎二・秋山英夫 訳)

およそ偉人英雄はただ存在するということだけによって、数十年数世紀にわたってわれわれの精神生活を支配していることは疑いをいれないところだが、しかしそれは精神生活だけのことである。現実の生活、実際生活においては、政治という権力がものを言う世界…