2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

橋本夢道

無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ

島田修二

ただ一度生れ来しなり「さくらさくら」歌ふベラフォンテも我も悲しき

小林多喜二「蟹工船」

「おい、地獄さ行(え)ぐんだで!」 二人はデッキの手すりに寄りかゝって、蝸牛が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。――漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、…

井伏鱒二「山椒魚」

山椒魚は悲しんだ。 彼は彼の棲家である岩屋から外に出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることができなかつたのである。今は最早、彼にとつては永遠の棲家である岩屋は、出入口のところがそんなに狭かつた。そして、ほの暗かつた。強ひて…

栗林一石路

シャツ雑草にぶつかけておく

安永蕗子

紫の葡萄を搬ぶ舟にして夜を風説のごとく発ちゆく

宮本百合子「伸子」

伸子は両手を後にまわし、半分開け放した窓枠によりかかりながら室内の光景を眺めていた。 部屋の中央に長方形の大テーブルがあった。シャンデリヤの明りが、そのテーブルの上に散らかっている書類――タイプライタアの紫インクがぼやけた乱暴な厚い綴込(とじ…

佐々木味津三『右門捕物帖』第一話「南蛮幽霊」

切支丹騒動として有名なあの島原の乱――肥前の天草で天草四郎達天守教徒の一味が起した騒動ですから、一名天草の乱とも言ひますが、その島原の乱は騒動の性質が普通のとは違つてゐたので、起きるから終るまで当時幕府の要路にあつた者は大いに頭を悩ました騒…

野沢節子

冬の日や臥して見あぐる琴の丈

高安国世

なまなまと病院を出でし塵埃車街に平凡のトラックとなる

佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」

『ぢやお先に』 チビ公は荷を担いで家を出た、何となく戦場へでも出るやうな緊張した気持が五体に溢れた、彼は生れて始めて責任を感じた、今までは寒いにつけ暑いにつけ、商売を休みたいと思つた事もあつた、又伯父さんに叱られるから仕方なしに出て行つた事…

平林たい子「古戸棚」

明るい晩春の陽のさす空地では、真新しい網を間にして、工場主の娘の、双生児の女学生の、純白の洋服姿がちらちら動いていた。ラケットが、球をすくいあげるたびに、胸に結んだ水色のリボンがヒラヒラと動いた。信江はそれを、揚羽蝶の様に美しく思った。 二…

能村登四郎

長靴に腰埋め野分の老教師

岸上大作

意志表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ

宮沢賢治「オツベルと象」

……ある牛飼ひがものがたる 第一日曜 オツベルときたら大したもんだ。稲扱器械の六台も据えつけて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやつてゐる。 十六人の百姓どもが、顔をまるつきりまつ赤にして足で踏んで器械をまはし、小山のやうに積…

葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」

松戸与三はセメントをあけをやつてゐた。外の部分は大して目立たなかつたけれど、頭の毛と、鼻の下は、セメントで灰色に蔽はれてゐた。彼は鼻穴に指を突つ込んで、鉄筋コンクリートのやうに、鼻毛をしやちこばらせてゐる、コンクリートを除りたかつたのだが…

安住敦

てんと虫一兵われの死なざりし

岡井隆

キシヲタオ……しその後(のち)に来んもの思(も)えば 夏曙(あけぼの)の erectio penis

里見トン「蚊やり」

盆をすぎて四五日、カリン/\に晴れあがつて、よウ、夏だな、と、そこへ来るべきものがいよ/\やつて来たといふ、いかに期節負(きせつまけ)をする人にも、或る落ちつきと壮(さかん)な気持とを起させるやうな、さういふ日、――都会のものとも思はれない、瑠…

葛西善蔵「弱者」

裏のお上さんは、いゝお上さんだ。大工さんらしい。子供も、四五人もあるらしい。赤ン坊も居る。赤ン坊も、自家の百日位のと同じらしい。泣声がよく似てゐる。お乳が足りないのか、身体が弱いのか知らないが、牛乳も用ひてゐるらしい。 主人公は、大工だ。二…

森澄雄

除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり

尾山篤二郎

箸おきてひとり酌するこの夕べいのちを洗ふごとくすずしき

岸田國士「紙風船」

夫 (縁側の籐椅子に倚り、新聞を読んでゐる) 「米国フラー建材会社のターナー支配人が一日目白文化村を訪れて、おゝロスアンゼルスの縮図よ! と申しましたやうに、目白文化村は今日瀟洒たる美しい住宅地になりました。」 妻 (縁側近く座布団を敷き、編物…

梶井基次郎「檸檬」

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧へつけてゐた。焦燥と云はうか、嫌悪と云はうか――酒を飲んだあとに宿酔があるやうに、酒を毎日飲んでゐると宿酔に相当した時期がやつて来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかつた。結果した肺尖カタルや神…

石橋秀野

蟬時雨(せみしぐれ)子は擔送車(たんそうしゃ)に追ひつけず

春日井建

童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり

横光利一「頭ならびに腹」

真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。 とにかく、かう云う現象の中で、その詰め込まれた列車の乗客中に一人の横着さうな子僧が混つてゐた。彼はいかにも一人前の顔をして一席を占めると、手拭で鉢巻…

真山青果「玄朴と長英」

幕あく。舞台空虚。籠うぐひすの啼音のどかに、時計の振子しづかに動く。障子に晩春の日光斜めに射す。 突如として、壁に衝突する物音二度ほど聞え、廊下に組み合ふ人の足音。試験管、硝子器の砕くる物音など聞ゆ。 外に争ふは伊東玄朴と高野長英の二人なり…

桂信子

ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜

武川忠一

白らじらと光る氷湖の沖解けて倚るべきものに遠く歩めり