2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

道元『普勧坐禅儀』

然れども毫釐(ごうり)も差(しゃ)あれば、天地懸(はるか)に隔たり、違順(いじゅん)纔(わずか)に起これば、紛然として心(しん)を失す。 〈解釈〉しかしその間にごくわずかでも隙間があれば、それはやがて天と地の巨大な隔たりになってしまうし、またその理解に…

道元『学道用心集』

誠にそれ無常を観ずる時、吾我(ごが)の心(しん)生ぜず、名利(みょうり)の念起こらず、時光(じこう)の太(はなは)だ速やかなることを恐怖(ぐふ)す。所以(ゆえ)に行道(ぎょうどう)は頭燃(ずねん)を救う。 〈解釈〉そもそも自己ぐるみのすべてのものが無常として…

道元『正法眼蔵』

いわゆる有時(うじ)は、時(じ)すでにこれ有(う)なり、有はみな時なり。 〈解釈〉ここに言う〝有(う)(万法(すべて)が在るという事実)が時(じ)そのもの〟とは、〝時(とき)〟そのものがすでにもともとから〝有(う)〟(在る)という事実を意味している。ゆえに…

法然『法然上人行状絵図』

法爾(ほうに)の道理という事あり。炎はそらにのぼり、水はくだりさまに流る。菓子のなかに、すき物あり、あまき物あり。これらはみな法爾の道理なり。 〈解釈〉あるがままの道理というのがある。ちょうど炎は空に昇り、水は低い方に流れる。果物にはすっぱい…

至道無難『至道無難禅師法語』

教(きょう)は大きにあやまる。それを習うは猶(なお)あやまる。只(ただ)直(じき)に見、直に聞け。直に見るは見るものなし。直に聞くは聞くものなし。 〈解釈〉文字に書いた教えや口で説く教えは人を錯(あやま)りに導くものだ。それを信じて習ったりすれば錯り…

『楞伽経』

大菩提のときも、般(はつ)涅槃のときも、此の二中間に一字も説かず、また已に説きたることも、当(まさ)に説くべきことも、現(いま)説けることもなし。 〈解釈〉いまだかつて、また将来も、またいまも、仏はなにも説いたことも、説くことも、そして説いてもい…

至道無難『至道無難禅師法語』

人ほどはかなきものなし。神仏にむかい、富貴(ふうき)をねがう。ねがう心をやむれば富貴なることをしらず。 〈解釈〉人間は愚かなもので、神や仏に向かって富貴を願う。そういう願う心のないことこそ富貴であることを知らないのだ。

天台智邈 説『摩訶止観』

初心も是(ぜ)なり、後心(ごしん)も是なり。 〈解釈〉初心も大事だ。後心も大事だ。

日蓮『種種御振舞御書』

人をよくなすものは方人(かとうど)よりも強敵(ごうてき)が人をばよくなしけるなり。 〈解釈〉人を善くするものは味方よりも、むしろ強い敵が人を善くしているのである。

懐奘『正法眼蔵随聞記』

世間の人にまじわらず、己(おのれ)が家ばかりにて生長(しょうちょう)したる人は、心のままにふるまい、おのれが心を先として人目を知らず、人の心をかねざる人、必ずあしきなり。 〈解釈〉世間の人と交際せず、自分の家だけで成長した人は、思いのままに振舞…

『スッタニパータ』

目に見えるものも、見えないものも、遠くに住むものも、近くに住むものも、すでに生まれたものも、これから生まれるものも、一切の生きとし生けるものに幸いあれ。

道元『正法眼蔵』

修行の彼岸に到るべしと思うことなかれ。彼岸に修行あるがゆえに。修行すれば彼岸到(とう)なり。 〈解釈〉修行して、その結果、悟りの彼岸に到るのだ、と考えてはならない。なぜなら、彼岸に着いても修行があるからだ。修行を続けていくということが彼岸に到…

懐奘『正法眼蔵随聞記』

僅かの命を送るほどの事は、何とも思い蓄えねども、天然として有るなり。人皆(みな)生分(しょうぶん)有り。天地之(これ)を授く。我れ走り求めざれども必ず有るなり。 〈解釈〉わずかの命を送る間のことは、たくわえておこうと少しも考えなくても、天然自然に…

洞山良价『祖堂集』

吾れ常に此(ここ)に於いて切(せつ)なり。 〈解釈〉私は、いつも、ここでそのことに切迫している。

『ダンマパダ』

人は黙っているといって非難され、多く語るといって非難され、少ししか語らないといって非難される。この世に非難されない人はいない。

飲光慈雲『人となる道』

水はよく舟をうかべ、また舟をくつがえす。薬よく病を療し、また身命(しんめい)を害す。万般(ばんぱん)ことごとくしかなり。 〈解釈〉水の上にはよく舟を浮かべることができるが、その水はまたその舟を転覆させる。薬はよく人の病を癒すが、その薬はまた人の…

懐奘『正法眼蔵随聞記』

他の非を見て、わるしと思うて、慈悲を以てせんと思わば、腹立つまじきように方便して、傍らのことを言うようにてこしらうべし。 〈解釈〉他人の間違っている点を見てそれは悪いことだと思って、思いやりでもって教え導こうと思ったならば、その人が注意され…

懐奘『正法眼蔵随聞記』

直饒(たとえ)我れ道理を以て道(い)うに、人僻事(ひがごと)を言うを、理(り)を攻めて言い勝つは悪しきなり。 〈解釈〉たとえ自分は道理にかなったことを言っているのに、相手が間違ったことを言っても、理屈で相手を攻めて言い負かすのはよくない。

『ウダーナヴァルガ』

自分を苦しめない言葉、また、他人を傷つけない言葉のみを語れ。

明恵『却廃忘記』

一人の女、人のわろき事をいいてにくむに、いまひとりの女の云わく「人のわろきというは、ただわがみのわろきとおもうべき也」云々。これらがさいかくにてあるなり。 〈解釈〉ある一人の女が他人を悪く言って憎んでいると、もう一人の女が「他人が悪いという…

沢庵宗彭『東海夜話』

願くは勝つことを悦ばず、負くることを怒(いか)らぬ心になりて、夢の勝負を勤めずして、勝ちも負けもせぬ人たらんは如何(いかん)ぞや。 〈解釈〉願うところは、勝っても有頂天にならず、負けても腹を立てぬ心になって、夢のようにはかない人世での勝負にうつ…

大慧宗杲『大慧普説』

煩悩せざらんことを要得(ほっ)せば、如今(いま)須らく煩悩すべし。思量せざらんことを要得せば、如今須らく思量すべし。悩みたくないと望むならば、今、悩みなさい。思い煩いたくないと望むならば、今、思い煩いなさい。

明恵『栂尾明恵上人遺訓』

人は常に浄頗璃(じょうはり)の鏡に、日夜の振る舞いのうつる事を思うべし。人はつねに日夜の行いが地獄の鏡に映っていることを思うべきである。

木喰行道『青表紙歌集稿本』

まるまるとまるめまるめよわが心 まん丸丸く丸くまん丸己の心をあくまでもまるまると円満に保て、さあ、丸々と丸く円満に。

飲光慈雲『双竜大和上御歌』

しら玉は 人にしられず しらずとも よししらずとも 我ししれらば美しい真珠の白い珠は人に知られない。知らなくても、たとえ知らなくても私さえ知っていたなら。

洪自誠『菜根譚』

善を為して人の知らんことを急にするは、善処も即ち是れ悪根(あっこん)なり。善いことを行っても、それを他人に知ってもらいたいと願う心があるとすれば、善行をなしても、かえってそれが悪の根源となる。

沢庵宗彭『不動智神妙録』

思わじと思うも物を思うなり 思わじとだに思わじやきみ思うまいと思うこともまた物を思うことになるのです。どうぞ思うまいとさえ思わないようにして下さい。

盤珪永啄『盤珪禅師法語』

一切の迷いは、皆(みな)身の贔屓(ひいき)故に、迷いをでかしまする。身の贔屓と離るれば、一切の迷いは出で来(き)はしませぬ。迷いという迷いはすべて、わが身可愛さから生まれてくるものだ。わが身を可愛く思うことをやめさえすれば、どんな迷いも生…

夢窓疏石『夢窓仮名法語』

極楽に行かんと思うこころこそ 地獄に落つる初めなりけり極楽に行きたい行きたいと願う心が地獄に落ちる原因の第一歩である。