2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

ジイド『狭き門』

「ああ! 過ぎ去ったことを悔むのはやめましょう。」と、彼女は小声で言った。「もう頁はめくられてしまったのですもの。」

ラ・フォンテーヌ『寓話』

覚えていることですな、へつらい者はみんな、 いい気になる奴のおかげで暮らしていることを。

ブリア‐サヴァラン『美味礼讃』

どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう。

ラ・フォンテーヌ『寓話』

時の翼に乗って悲しみは飛び去る。

マリヴォー『愛と偶然との戯れ』

人間という者は、少しやさし過ぎるくらいでなくちゃあ、十分やさしくあり得ないのだ。

ゲーテ『ファウスト』

どうしても言い分を通そうと思って一つ事だけ言っていれば、必ず勝つにきまっているものだ。

ラ・フォンテーヌ『寓話』

ひとはみんな自分は友だちだという。だが、それに心を許すのは気ちがいだ。 友だちという名称ほどありふれたものはないし、 そのほんものほどめずらしいものはない。

ブレヒト『三文オペラ』

人生は短く金はすくない。

トーマス・マン『魔の山』

戦争を十分に嫌悪しない人間のみが、戦争になるのを信じているのです!

シェイクスピア『マクベス』

世間を偽るには、世間並の顔をなさいませ。

シェイクスピア『ヴェニスの商人』

僕はこういった人間を知ってるんだ、つまり、なんにも口を利かないってだけで、利口者で通ってるんだね。

シェンキェヴィチ『クォ ヴァディス』

私はクリスト教徒が正しいということを欠伸しながら認める。

スウィフト『ガリヴァー旅行記』

およそ人間たるもの、便器にかかっている時ほど真剣で、思いつめ、精神統一を果たしている時は他にない。

スタンダール『赤と黒』

急な山を登りつめて頂上に腰をおろす旅人は、ほっと一息いれるのがもうかぎりもない喜びだろうが、もし永久にそうやって休息していろと無理じいされたら、彼は幸福であるだろうか?

ブレヒト『ガリレイの生涯』

ガリレイ 英雄を必要とする国が不幸なんだ。

ツルゲーネフ『父と子』

パーヴェルの方は反対にさびしい独り者として、人生のうす暗いたそがれの時期に、入りかかっていた。それは、青春はすぎてしまったが、老年はまだ訪れてこないという、希望に似た哀惜と哀惜に似た希望の時期であった。

エッカーマン『ゲーテとの対話』

野蛮であるということは、すぐれたものを認めないということではないか。

ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』

自分を憐れむという贅沢がなければ、人生なんていうものは堪えられない場合がかなりあると私は思う。

井原西鶴『世間胸算用』(「問屋の寛闊(かんかつ)女」)

世の定めとて大晦日(おおつごもり)は闇なる事、天の岩戸の神代このかた、しれたる事なるに、人みな常に渡世を油断して、毎年ひとつの胸算用ちがひ、節季を仕廻(しまい)かね迷惑するは、面々覚悟あしき故なり。一日千金に替がたし。銭銀(ぜにかね)なくては越(…

坂口安吾「ドストエフスキーとバルザック」

バルザックやドストエフスキーを読むと、あの多様さを、あの深い根底から縦横無尽に書きまくっているのに、呆然とすることがある。 人生への、人の悲しき十字架への全き肯定から生れてくる尊き悪魔の温かさは私を打つ。

近松門左衛門『曾根崎心中』

此の世のなごり、夜もなごり。死(しに)に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づゝに消えて行く、夢の夢こそ あはれなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘のひゞきの聞きをさめ、寂滅為楽と ひゞくなり。

武田泰淳『司馬遷』

司馬遷は生き恥さらした男である。士人として普通なら生きながらえるはずのない場合に、この男は生き残った。口惜しい、残念至極、情なや、進退谷(きわ)まった、と知りながら、おめおめと生きていた。腐刑と言い宮刑と言う、耳にするだにけがらわしい、性格…

夏目漱石『漱石日記』(一九一〇年九月二三日)

粥も旨い。ビスケットも旨い。オートミールも旨い。人間食事の旨いのは幸福である。その上大事にされて、顔まで人が洗ってくれる。糞小便の世話は無論の事。これをありがたいといわずんば何をかありがたいといわんや。医師一人、看護婦二人、妻と外に男一人…

正岡子規『仰臥漫録』

律は看護婦であると同時にお三どんなり。お三どんであると同時に一家の整理役なり。一家の整理役であると同時に余の秘書なり。書籍の出納原稿の浄書も不完全ながら為し居(お)るなり。しかして彼は看護婦が請求するだけの看護料の十分の一だも費さざるなり。…

藤原定家『明月記』(治承四年条)

九月 世上の乱逆・追討、耳に満つと雖も、これを注(しる)さず。紅旗・征戎は、吾事にあらず。

幸田露伴「突貫紀行」

身には疾(やまい)あり、胸には愁(うれい)あり、悪因縁は逐へども去らず、未来に楽しき到着点の認めらるゝなく、目前に痛き刺激物あり、慾あれども銭なく、望みあれども縁遠し、よし突貫して此(この)逆境を出でんと決したり。五六枚の衣を売り、一(ひと)行李…

吉田健一『英国の文学』

春から秋に掛けての英国の自然が、我々東洋人には直ぐには信じられないくらい、美しいならば、英国の冬はこれに匹敵して醜悪である。そして冬が十月に来る国では、この二つの期間はその長さに掛けて先ず同じであって、英国人はこういう春や夏があるから冬に…

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

諸君はまたそういう大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖(きんぶすま)や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返…

森鷗外『渋江抽斎』

抽斎は医者であった。そして官吏であった。そして経書や諸子のような哲学方面の書をも読み、歴史をも読み、詩文集のような文芸方面の書をも読んだ。その迹が頗るわたくしと相似ている。ただその相殊(こと)なる所は、古今時(とき)を異にして、生の相及ばざる…

芥川龍之介「相聞 三」

また立ちかへる水無月の 歎きを誰にかたるべき。 沙羅のみづ枝に花さけば、 かなしき人の目ぞ見ゆる。