2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧

上田敏『綜合芸術』

人生の各方面に亘って新旧両派の争(あらそい)を批判しようとする人は、臆病な折衷主義に逃げず、無精な懐疑説に安んぜずに、まず深い同情を以て双方の長所を熟(つらつ)ら味うのが宜(よろし)い。

姉崎嘲風『予言の芸術』

無意義だ、不可解だと叫ぶ間には、尚人生の意義に対する恋々の情が綿々絶えないでおるのではないか。

芥川龍之介『侏儒の言葉』

人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ。

セリーヌ『世の果てへの旅』(生田耕作 訳)

列車が駅にはいった、機関車を見たとたん、僕はもう自分の冒険に自信がなくなった。僕はやせこけた体にあるだけの勇気をふるってモリーに接吻した。こんどばかりは、苦痛を、真の苦痛を覚えた、みんなに対して、自分に対して、彼女に対して、すべての人間に…

魯迅『小雑感』(『而已集』所収)

創作には社会性がある。だが時として一人の読者がいれば満足することもある。親友、愛する人。

巴金『把心交給読者』

恐らく今後も私が万能の鍵を持っているとでも思って、創作の秘訣を尋ねる手紙をよこす読者がいるだろう。実はそれについて私はすでに前の方で真実を告げている。それは次の一語に尽きる。心を読者に献(ささ)げることだ。

魯迅『怎麼写』(『三閑集』所収)

もし読者がただ体裁だけにこだわって、破綻のないことだけを求めるなら、新聞記事を読む方がよいのであって、文芸に対して幻滅を感じるのは当たり前である。

魯迅『読書雑談』(『而已集』所収)

批評というものは、読者にとっては、少なくともその批評家と近い考えを持つ読者にとっては役に立つ。

魯迅『怎麼写』(『三閑集』所収)

作品は、大抵作者が他人を借りて自己を述べるか、あるいは自己によって他人を推測したものであることを知ってさえいれば、幻滅を感じるようなことはない。

卜商

詩は志の之く所なり、心に在るを志と為し、言に発するを詩と為す。 詩とは、志が発動して生まれるものである。心の中にあるのが志であり、それをことばにあらわしたものが詩である。「詩は志を言う」ものであるという、中国の伝統的な文学観が述べられた句。…

『管子』

怒りを止(とど)むるは詩に若くは莫く、憂いを去るは楽(がく)に若くは莫し。 腹立たしい気持ちをおさめるのには詩が最もよく、ふさいだ気持ちをまぎらすのには音楽が最もよい。

老舎『我的経験』

脚本の中の言葉は、生活の中の言葉と同じであってはならず、必ず手を加えなければならない。

『韓非子』

至言は耳に忤(さか)らいて心に倒(もと)る。 もっとも道理にかなったことばは、聴き苦しく耳に逆らうものであり、気にいらぬものである。そのことばを素直に受け入れることができるのは、聖人か賢人のようなすぐれた人物だけである。

白居易

別に幽愁暗恨の生ずる有り、此の時声無きは声有るに勝る。 演奏中の琵琶の弦がやんだ時、その一瞬の静けさの中に深い愁いや暗い悲しみが感じられる。この時声のないのは、かえって声のあるよりまさっている気がする。沈黙の中に底知れぬ深い憂愁が感じられる…

魯迅『未有天才之前』(『墳』所収)

老成に対する幼稚は、老人に対する子供のようなもので、決して恥ずかしいことではない。作品も同じで、最初幼稚なのは恥にならない。

魯迅『我怎麼做起小説来』

誰が言ったことか忘れたが、要するに、一人の人間の特徴を最も節約して描くには、その人の目を描くのがよいと。全くその通りだと思う。もし頭髪全体を描いたとしたら、いくら細かで真に迫っていたとしても、何の意味もない。 *冒頭に引用されているのは東晋…

茅盾『文芸創作問題』

想像の源泉は観察である。たとえば独身の作家でも夫婦間の生活を書けるのは、本人にそのような実体験がなくても、他人の夫婦生活を観察することによって、想像して描くことができるからである。

魯迅『怎麼写』(『三閑集』所収)

日記体、書簡体は、書くには非常に都合がいいかもしれないが、しかしまた極めて幻滅感を引き起こしやすい。しかもいったんそうなったら大抵非常に強烈である。なぜなら最初は真実を装っていたのだから。

元好問

一語 天然 万古新たなり、豪華 落ち尽くして真淳を見る。 どのことばもすべて平明自然で永遠に新鮮さを持っており、彫琢をこらした字句を排し、素朴な美しさを示している。 *出典の「詩を論ず」は、漢より宋に至る詩を批評した三十首の連作詩。その第四首に…

魯迅『門外文談・六「於是文章成為奇貨了」』(『且介亭雑文』所収)

お札(ふだ)に威力があるのは、その字らしきものが、道士以外に誰にもわからぬためである。それ故彼らはどうしても文字を独占しようとする。

杜牧

一人(いちにん)の心は、千万人の心なり。 だれか一人が思うことは、世のだれもが思うことである。

郭小川『向困難進軍』詩

困難 それは愚かで卑怯なもの それは 驚怖の眼差に対しては 自分の威力をひけらかすが 力強い足音を聞くと 鼠のように こそこそと後退する

老舎『駱駝祥子』

雨は金持ちの上にも降るし、貧乏人の上にも降る。善人の上にも降るし、悪人の上にも降る。だが雨は決して公平ではない。なぜならそもそも不公平な世の中の上に降るからだ。

魯迅(一九三五年六月二十九日付の頼少麒宛の手紙より)

巨大な建築もすべて一木一石を積み上げたものだ。我々がこの一木一石になったらどうだろう。私がいつも小さなことをするのは、まさにこのためなのだ。

『鶡冠子』

来を知らんと欲する者は往を察せよ。古を知らんと欲する者は今を察せよ。 将来のことを知りたい者は、過去の出来事をよく洞察せよ。過去のことを理解したい者は、今起こっていることをよく洞察せよ。過去を深く理解すれば、この先何が起こるかは予想がつくし…

『荘子』

無用を知りて始めて与(とも)に用を言うべし。 役に立たないということを理解してはじめて役に立つということを論じることができる。一見役に立たないと思われるものも、それがいなくなると、実はなくてはならないものであったことに気がつくものである。

『荘子』

不材を以て其の天年を終うるを得たり。 材木として使いようがないので、天寿を全うすることができた。荘子が山の中を歩いていて、大木を見つけ、木こりがこれを伐ろうとしないのを見て、何故伐らないのかたずねたところ、木こりが答えたことば。無用であるか…

『菜根譚』

潔は常に汚(お)より出で、明は毎(つね)に晦(かい)より生ず。 清らかなものはいつも汚れたものの中から生まれ、輝くものはいつも暗やみから生まれる。人目をひきすばらしいものほど、その生まれ出る所はえてして暗く汚れているものだということ。

『列子』

天下理(り)に常の是(ぜ)無く、事に常の非無し。 この世の中には、いつでも正しいという道理はなく、いつでも間違っているという事柄もない。時間と空間とを条件とするこの世では、同一のことも、その時、場所によって同一には作用しないから、真理と思われる…

フォークナー『死の床に横たわりて』(佐伯彰一 訳)

「ジュエル」俺はいう。ひょいひょい動く二組のらばの耳のあいだを、トンネルみたいにずっと走ってる道は、まるでリボンみたいに、そして前の車軸が糸巻きみたいに見えて、馬車の下に消えている。「お袋が死にそうだってこと、判ってるのか、ジュエル」 人間…