2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

保坂和志「この人の閾」

「真紀さんこれからずーっとそういう本読むとしてさ、あと三十年とか四十年くらい読むとしてさ――、本当にいまの調子で読んでったとしたら、けっこうすごい量を読むことになるんだろうけど、いくら読んでも、感想文も何も残さずに真紀さんの頭の中だけに保存…

保坂和志「この人の閾」

本を読むのには一つとても幼稚なことだが、ページをめくる満足感のようなものがある

保坂和志「この人の閾」

「どうしてみんなあっちの話だけは深読みしたがるのかしらねえ」 ※太字は出典では傍点

保坂和志「この人の閾」

ただ、一般論でいえばパソコンというのは作業を続けるのより中断する方が難しい。手書きはすぐに飽きて気分転換で何かほかのことをしたくなるものだが、パソコンは飽きない(宮下さんのような人でも飽きない)。テレビゲームの開発をしている人たちなんかはう…

安岡章太郎「質屋の女房」

あらゆることが、中途半ぱで消えてなくなったり、かと思うと、いきなり途中から始ったりしているようだった。

安岡章太郎「質屋の女房」

おふくろは僕に何もさせたがらず、また僕がいつまでたっても何も出来ないということが彼女を満足させていたのだ。

安岡章太郎「相も変らず」

向うの方からやってくるのを待たないで、自分の方から何かをしようとしたのは、生れてこれが初めての気がする。

安岡章太郎「悪い仲間」

ところがいまや、そんな避けたがっていたものこそ愛さなくてはならないものだ、という風に思われるのだ。

安岡章太郎「ガラスの靴」

いまはもう何を待とうにも、待つものがない。

鎌田慧『自動車絶望工場』

「単調労働」「単純反復作業」などの単語の中に、実際労働している人の、精神的肉体的疲労感が、その絶望的な飢餓感がどれだけ含まれているのか、それは見聞きするだけでは、〝理解〟できるものではなかった。

鎌田慧『自動車絶望工場』

電機工場の女子労働者に会った時、かの女は、「ベルトコンベアは見ているのと、実際仕事をしているのではスピードがちがう」といった。

鎌田慧『自動車絶望工場』

機械化したラインと人間のラインが並んで同じ作業をしているのだった。機械が人間のマネをしているのではなく、人間が機械の代りを務めているのだった。そして生産競争。かれの打ちのめされ、粉々になってしまったプライド。そういえば、人間尊重を謳うトヨ…

鎌田慧『自動車絶望工場』

「近代、現代、と学校で習って来たけど、ここに来たら、また封建制にもどったようなもんだ」 Dさんもぼくも同感だった。それはまた天皇制のような無責任の体系なのだ。班長がいう、「オレの話は上の命令だ」。組長がいう、「オレの命令は上の命令だ」。工長…

鎌田慧『自動車絶望工場』

仕事、それはただラインを止めないためだけのものだ。

鎌田慧『自動車絶望工場』

新聞には、トヨタの人間はキビキビ仕事をしとる、と大きく書いてるが、キビキビしとるんじゃない、キビキビやらされとるんじゃ。

鎌田慧『自動車絶望工場』

「さあ、やるか」 この「さあ、やるか」は、決して、「さあ、やろう」ではない。さあ、やるより仕方がない、といったニュアンスである。 「さあ、また地獄が始まるか」

鎌田慧『自動車絶望工場』

身体の強い者、意志の強い者、抵抗力の強い者、腕の良い者だけが残る。いや、そうではなくて、辞めて行く者が当り前なのであり、そっちの方が人間らしく、残る者の方が正常でないのかもしれない。人間としての誇り高い者、ロボット化されるのに耐えられない…

鎌田慧『自動車絶望工場』

仕事をしていて恐ろしく思うことがある。これは労働でなくて、なにかの刑罰なのだ、と。どうしてみんな黙って従っていなければならないのだろうか。

鎌田慧『自動車絶望工場』

労働者は機械ですらない。機械的な動きを強いられた人間であり、機械より安くて、取り換えが簡単な部品であり、もっと簡単にいえば、使い捨てられる電池なのだ。古くなれば充電もきかなくなる。

鎌田慧『自動車絶望工場』

コンベアに就いている自分は、もはや自分ではない。

鎌田慧『自動車絶望工場』

労働が苦役化すればするほど、労働者が物体化すればするほど、その代償を物質にもとめるのだろうか。

鎌田慧『自動車絶望工場』

資本と手を携えて上陸してくる労組幹部を、「植民地」の労働者たちはどんな眼で迎えることか。

鎌田慧『自動車絶望工場』

人間がコンベアを使っているのではなく、コンベアが人間を機械の代わりに駆使しているのだ。機械そのもののコンベアと競争して勝つわけない。コンベアを動かす経営者の冷酷さを感じる。

鎌田慧『自動車絶望工場』

仕事も機械的だが、生活もコンベアに従事しているように単調だ。

鎌田慧『自動車絶望工場』

そうだ、覚えるということは、理屈ぬきで体得すること、つまりコンベアのスピードに間に合うということでなければならないのだ。しかし、もともと、労働の仕方は労働者に属し、どのようにして作ったとしてもそれは勝手であり、むしろそれぞれの個性にもとづ…

川端康成「月下美人」

「小さいお嬢さまですのね。二階のバルコニイで……。海に向ってじゃなくて、海に背を向けて弾いてらっしゃいましたわ。その方がいいのかしら……。」

川端康成「死面(デス・マスク)」

「足を握って頂戴。足が寂しくてしようがないの。」

川端康成「化粧の天使達」

別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。 花は毎年必ず咲きます。

川端康成「望遠鏡と電話」

「君は望遠鏡で人生を見たことあるか。」

川端康成「家庭」

「ここはどこなの。」 「さあ。」 「ほんとにどこなの。」 「とにかくお前の家ではないね。」 「こんなところが沢山あればいいわね。」