2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

澁澤龍彦『記憶の遠近法』

ひとは必ずしも、ベル・エポック(良き時代)にのみ郷愁をおぼえるのではないらしく、悪しき時代、暗い時代にも等しく郷愁をおぼえるものらしい。

林達夫『書籍の周囲』

我々を形成し、我々をして我々たらしめたものが過去であることを知る者は、過去を軽蔑しない。

吉川英治『草思堂随筆』

金のブルジョアがあるならば、時間のブルジョアという名もあっていい。

梅崎春生『桜島』

人間には、生きようという意志と一緒に、滅亡に赴こうという意志があるような気がするんですよ。

井伊直弼『茶湯一会集』

独座観念 *茶の会席で、客の退室したあとの亭主の心得。炉前に独座して、今日の一期一会に思いを至すべきことを述べ、「此時寂莫として、打語ふものとては、釜一口のみにして外に物なし、誠に自得せざればいたりがたき境介なり」と結んでいる。

山本周五郎『虚空遍歴』

本当の芸っていうものはな、――ときには師匠の芸を殺しさえするもんだぜ。

山本周五郎『虚空遍歴』

芸というものはそこへ到達したことで終るのではなく、むしろ到達したところから成長してゆくものだ。

大蔵虎明『わらんべ草』

名人の芸を見て、及ばざる事は合点ゆかぬ所と知るべし。 *名人の芸を見て納得ゆかない点があれば、そこが自分の名人に及ばない所と考えるべきだと説く。

慈雲『慈雲短編法語』

妄念を嫌ふべからず。妄念即(そく)菩提なり。智見を欣ぶべからず。智見即無明(むみょう)なり。 *「妄念」は、迷いの心。「菩提」は、さとり。「智見」は、正しい認識。「無明」は、無知。「妄念」と「さとり」、「智見」と「無知」は、相即不離である、とい…

尾崎一雄『痩せた雄雞』

出家遁世ぐらい、家の中にいても出来ますから、試しにやってごらんなさい。

三島由紀夫『オスカア・ワイルド論』

神は人間の最後の言いのがれであり、逆説とは、もしかすると神への捷径だ。

福田恆存『芸術とはなにか』

神は演出し、人間はその演出にしたがって踊る。 *キリスト教について述べた言葉。これに続けて、「が、その神という観念を創造したのは人間です。とすれば、人間が人間を演出し、踊らすために、神の観念を必要としたのにほかならない」と述べている。

後白河院撰『梁塵秘抄』

熊野へ参らむと思へども、徒歩(かち)より参れば道遠し、すぐれて山峻(きび)し、馬にて参れば苦行ならず、空より参らむ、羽賜(はねた)べ若王子(にゃくおうじ) *「若王子」は、熊野神社の摂社の諸王子中の第一位。

『宴曲集』

霊寺(じ)の殊に聞ゆるは、泊瀬山(はつせやま)石山比叡山(ひえのやま)書写の山、弘法大師の入定は、紀伊の国高野の山の奥 *霊験あらたかな名寺の列挙。「泊瀬山」は、長谷寺のこと。

『宴曲集』

神社の勝(すぐ)れて貴きは男山(やま)賀茂山(やま)稲荷や春日熊野山(やま) *「男山」は石清水八幡宮、「稲荷」は伏見稲荷のこと。

高見順『ある晴れた日に』

癖のある悪文という奴は、変に魅力があるんだね。それで若い者がそれに眩惑される。

三島由紀夫『オスカア・ワイルド論』

逆説はその場のがれにこそなれ、本当の言いのがれにはなりえない。

萩原恭次郎『断片に対するメモ』

一つの正しい言葉が書かれるためにはこれの十倍の生活がなくてはと僕は思っている。

清少納言『枕草子』

なげの言葉なれど、せちに心に深く入らねど、いとほしきことをば「いとほし」とも、あはれなるをば「げにいかに思ふらん」など言ひけるを伝へて聞きたるは、さし向ひて言ふよりもうれし。 *たいした言葉ではないが、また真実心にしみることがなくても、気の…

明恵『栂尾明恵上人遺訓』

物をよく知れば憍慢起ると云ふ事、心得ず。物をよく知れば、憍慢こそ起らね、憍慢の起らんはよく知らぬにこそ。 *憍慢の心(高慢な心)が起こるのは、物をよく知ったからではなく、まだよく物を知っていないからである、の意。

三島由紀夫『裸体と衣装』

人生では知らないことだけが役に立つので、知ってしまったことは役にも立たない。

与謝蕪村『春泥句集(黒柳召波著)序文』

俳諧に門戸なし、只是俳諧門といふを以て門とす。 *「いにしへより俳諧の数家各々門戸を分ち、風調を異にす。いずれの門よりして歟(か)其堂奥をうかがはんや」と問われて答えたもの。

松永貞徳『御傘』

俗言を嫌はず作する句を俳諧といふなり。

正岡子規『俳諧大要』

俳句をものせんと思はば思ふままをものすべし。巧を求むる莫れ、拙を蔽ふ莫れ、他人に恥かしがる莫れ。

三島由紀夫『小説とは何か』

或る小説がそこに存在するおかげで、どれだけ多くの人々が告白を免かれていることであろうか。

寺田寅彦『異質触媒作用』

ばかを一ぺん通って来た利口と始めからの利口とはやはり別物かもしれない。 *「ばかも一度はしてみるものだ」ということを言ったもの。

吉行淳之介『淳之介養生訓』

浮き世の苦労をいろいろ嘗めてきたので、死が救いにおもえるときもある。浮き世の苦労というものは、死のおそれをなくするために存在している貴重なものにおもえたりする。

谷崎潤一郎『神と人との間』

苦労と云うものも或る程度まで馴らされてしまえば却って呑気になることがある。

武者小路実篤『新しき村に就ての対話』

金のあるものは金がある為に不正なことをし、金のないものは金がない為に不正なことをする。

平沢計七『孝行』(『創作・労働問題』所収)

昔は親孝行をしたい時には親は無しといったが、今じゃ親孝行したい時には金は無しだ。