2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

矢作俊彦『スズキさんの休息と遍歴 またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』

いかにも! 声が大きい者が勝ってしまうのが民主主義の必要悪だ。

矢作俊彦『スズキさんの休息と遍歴 またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』

そう! 映画とは見るものでなく、見つけるものだったあの頃を。

向田邦子『寺内貫太郎一家』

「強情はるのは、いいことだよ。でもねえ、素直になるのも……いいことだよ」

向田邦子『寺内貫太郎一家』

「他人なら許せるんだよ。でも家族だとイライラするんだよ」

筒井康隆『家族八景』

(この子の皮膚がほしい。この子の年齢がほしい。この子の無経験、この子の頼りなさ、この子の健康な鈍重さがほしい)

筒井康隆『家族八景』

青春から遠ざかるまいとすることのどこが悪いのか。死を恐れる人間の、本能ではないだろうか。

吉本ばなな「おやじの味」

生きていることには本当に意味がたくさんあって、星の数ほど、もうおぼえきれないほどの美しいシーンが私の魂を埋めつくしているのだが、生きていることに意味をもたせようとするなんて、そんな貧しくてみにくいことは、もう一生よそう、と思った。

吉本ばなな「西日」

伸び悩んでいる時は基礎技術が助け、冴えている時は技術を追いこして気力と経験が伸びて行く。

津島佑子「真昼へ」

なぜ、あなたがこの世に生まれてくることになったのか。わたしはあなたが生まれる前の自分の生をも辿り直さなければならなくなる。あなたと出会うためのわたしの生だったのだから。このわたしを母親とする以外に、この世に姿を現わすことのできなかったあな…

津島佑子「真昼へ」

明かるい日射しを浴びながら叔父たちはいかにもさわやかな様子で、私は改めて自分の情けない年の取り方に落胆し、泣きだした。

古井由吉『櫛の火』

「人がね、もう人として見えなくなるような、ああ、そこにいるな、まだいるな、とおもむろな驚きしか起らないような、手がひとりでに伸びていくような、そういうことがあるのです」

古井由吉『櫛の火』

「狂うというのは、ご自分で言われるけれど、どういうことです」 「何のことはない。誰にも見られていない、ということと、同じことです」

古井由吉『櫛の火』

「何を言ってるの。あなたはたとえ心中しても三日だけ生き残る人よ、死んだ女にやさしく寄り添って」

H.J.ラスキ『近代国家における自由』(飯坂良明 訳)

一般に、自分自身の限界は、自分自身を実験台として知るのでなければならない。私は、他人の実験からえられた基準や習慣に、自己の行動を適合させながら一生を送ることはできない。なぜなら、こうした実験の結果は、他人にとってはいかに納得のいくものであ…

マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』(高橋勇夫 訳)

私たちの身体は、それが知的なものであれ実践的なものであれ、すべての外界の認識にとって、究極の道具である。私たちは、目覚めているときはいつも、外界の事物に意識を向けるために、そうした事物との身体的接触を感知し、その感知に依拠しているのだ。私…

浅田彰『逃走論』

ハイデガーが森に隠棲して推敲を重ねて書いた本だからといって、電車の中で拾い読みして悪いことはない。マルクスの『資本論』なんて、どう見ても寝っころがって読むようにできてる、しかも、そうやって拾い読みすると実に面白いんだな、これが。

柳宗悦『南無阿弥陀仏』

実はいつの時代だとて、末世でない時代はない。どの時代にいようが、まさにその時代が末法の世であり、極悪の世である。如何なる時世に住むとしても、これ以上の劣悪な時世があろうはずはない。この意識なくして宗教は成り立たぬ。

レベンクロン『鏡の中の少女』(杵渕幸子、森川那智子 訳)

「親というのは、子供になにかあると、自分を責めるものです。わたしはなにをしたんだろう、なにをしなかったんだろう、ってね」

ドストエフスキー『貧しき人びと』(木村浩 訳)

実際、人間というやつはときに自分の気持をすっかり勘ちがいして、まったくでたらめをいうことがあるんですよ。それというのもばかげた情熱がありあまってのことなんです。

ポール・オースター『偶然の音楽』(柴田元幸 訳)

幸運というものは不運と同じくらい人をとまどわせる。

ポール・オースター『リヴァイアサン』(柴田元幸 訳)

「いずれ何もかもうまく行くさ」とサックスは言った。「いまにわかる。悪いことはもうみんな過ぎたんだ。まだそのことに自分で気づいてないだけだよ」

ジュンパ・ラヒリ「停電の夜に」(小川高義 訳)

あんな女には絶対ならないと言っていた、そんな女になってきた。

カルペンティエル『失われた足跡』(牛島信明 訳)

苦しみをともなわないで生まれた作品には、用心しなければならないことはわかっている。

ロアルド・ダール「偉大なる自動文章製造機」(田村隆一 訳)

「たとえばですね、各作品のなかに、すくなくとも一つは、長たらしくてあいまいな言葉を挿入するという、ほとんど全部の作家がよく使う手があります。この手は、読者に、この男はとてつもなく頭脳明晰だと思わせるんですね」

リルケ『マルテの手記』(望月市恵 訳)

僕はこの経験から、そういう場合にはなによりも先に事実をつきとめることに決めた。臆測にくらべて、事実がどんなに単純で恐ろしくないかを知ったからである

老舎『駱駝祥子 ――らくだのシアンツ――』(立間祥介 訳)

真実のことばというものは、もともとそういくらもあるものではない。娘の頰の血の色は、百万のことばに勝る。

トルストイ『クロイツェル・ソナタ』(原卓也 訳)

「間違った生活をしていながら、自分の状態の惨めさに気づかぬよう、自分自身をごまかしていられるという、まさにその点に、人間の救いもあれば、罰もあるのです」

アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』(乾信一郎 訳)

「いったい神さまは何を望んでおられるのか? 神は、善良であることを望んでおられるのか、それとも善良であることの選択を望んでおられるのか? どうかして悪を選んだ人は、押しつけられた善を持っている人よりも、すぐれた人だろうか? たいへんに深遠でむ…

デュマ・フィス『椿姫』(吉村正一郎 訳)

なるほど、たった一分間のちょっとした出来事のほうが一年もかかって口説くよりも時によって功を奏することがあるものです。

ヘッセ「盗まれたトランク」(高橋健二 訳)

非英雄的であること、英雄的でなく、単に人間的であるためには、往々より多くの勇気を必要とすることも、私は悟っていた。