2013-01-01から1年間の記事一覧

アイスキュロス『アガメムノーン』

otototoi popoi da. Ôpollon Ôpollon. (ロバート・ブラウニング 訳) Woe,woe,woe! O Apollo, O Apollo! (久保正彰 訳) カッサンドラー おっおっおっおっおぃ、ぽ、ぽぃ、だぁ。 おぉポローン、おぉポローン! コロスの長 なぜ、そのように おぉおぉと泣…

イジドル・デュカス『ポエジーII』

人間はまことに偉大であり、その偉大さはじつに、彼が自分の悲惨さをみずから知ろうとはしない、という点に見てとることができるほどである。木は自分の偉大さを知らない。偉大であるとは、自分を知っているということである。偉大であるとは、自分の悲惨さ…

井上ひさし『おれたちと大砲』

茶屋で喰った八十五文の、芋と鯨の煮付けでふくれた腹をこなすには手頃な高さの山である。その、羊腸の如くくねった山路(やまみち)を登りながら、おれはこう考えた。 薩長の反逆を思えば腹が立つ。君家の窮状を思えば涙が流れる。腹立ちと涙を押えて暮すのは…

小林信彦『唐獅子株式会社』

がちょうのおばはん 歩いてみとうなって 空をとびよってん 粋(すい)なおっさんの背中にのって だれが駒鳥いてもうた? わいや、と雀が吐きよった 私家(うっとこ)にある弓と矢で わいがいてもた、あの駒鳥(がき)を だれが死体(ほとけ)を見つけたン? わいや、…

堀田善衛『広場の孤独』

雨ニモ負ケテ 風ニモ負ケテ アチラニ気兼ネシ コチラニ気兼ネシ ペロペロベンガコウ云エバハイト云イ ベロベロベンガアア云エバハイト云イ アッチヘウロウロ コッチヘウロウロ ソノウチ進退谷(キワ)マッテ 窮ソ猫ヲハム勢イデトビダシテユキ オヒゲニサワッ…

筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』

実はわたくしは今、常になくとり乱しております。恐れおののいております。早くいえば、こわいのであります。つまり精神的安定をやや欠いた状態の下にこれを書いております。したがいまして前回の如き理路整然とした文章を、期待なさらないでいただきたいの…

井上ひさし『幻術師の妻』

そのころの私は北岡と一緒になってようやく一年そこそこ、だから北岡組の勢いの盛んだったときのことは知りません。でも北岡のはなしでは「先代(おやじ)の時代は飛ぶ鳥どころか、飛ぶ飛行機まで落しかねない羽振りのよさでよ、昭和二十二、三年頃は若者頭が…

筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』

「あなたはいつもわたしの言うことを、柳の耳に念仏馬に風と聞き流しているだけだ」第一助手はおかまいなしにわめき続けた。「今度言うことを聞いてくれなければ、わたしはここをやめる」

上田秋成『癇癖談(くせものがたり)』

むかし、色ごのみなるをとこ、老いてかたりけるは、遊女ほど世にをかしきものはあらじかし、おのれときめきて、ひく手あまたなるにはよるべのすゑのことなど、露ばかりもおもひしらず。逢ふごとの男に、こゝろをおかせ、〔……〕つひに、よき人におもはれて、…

金井美恵子『夢の時間』

事務員たちはチラとアイに視線を向け、受話器を置いた係員は、ニコニコ笑いながら、ホテルまでの道をアイに教えた。 ――この道を右へ、駅と反対に向って真っすぐ行くとつき当りの三叉路がありますから、それを左に曲るんです。それから、アーケードのある通り…

井伏鱒二『朽助のゐる谷間』

タエトは杏の実を拾ひ集めた。彼女は片手に四箇以上を握ることができなかつたので、上着の前をまくり上げて、それをエプロンの代用にして果実を入れた。そして、さういふ姿体のままで私のところへやつて来て、完全な日本語でもつて、去年はこの果実を洗はな…

太宰治『晩年』、「ロマネスク」――喧嘩次郎兵衛――

結婚してかれこれ二月目の晩に、次郎兵衛は花嫁の酌で酒を呑みながら、おれは喧嘩が強いのだよ、喧嘩をするにはの、かうして右手で眉間を殴りさ、かうして左手で水落ちを殴るのだよ。ほんのじやれてやつてみせたことであつたが、花嫁はころりところんで死ん…

『徒然草』第九十七段

その物につきて、その物を費しそこなふ物、数を知らずあり。身に虱あり、家に鼠あり、国に賊あり、小人に財あり、君子に仁義あり、僧に法あり。

夏目漱石『坑夫』

そこへ戸を開けて、医者があらはれた。其の顔を見ると、矢張り坑夫の類型(タイプ)である。黒のモーニングに縞の洋袴(ずぼん)を着て、襟の外へ顎を突き出して、 「御前か、健康診断をして貰ふのは」 と云つた。此の語勢には、馬に対しても、犬に対しても、是…

野坂昭如『殺さないで』

車がきしみ、とまると、牛殺しの男とび出して、マンガをうけとるように待ちかまえ、すっかりしびれた両腕さするひまもなく、まず腰をけとばされ、はいつくばったところを髪をつかまえられ、 「顔に泥ぬられたやて、えらいすまなんだな、立派な顔に泥塗って。…

井上ひさし『おれたちと大砲』

神田お玉ヶ池の『玄武館』、人気の千葉道場は費用(かかり)が安く上るというので定評があるが、あれは安かろう悪かろうの口だとおれは睨んでいる。安いからそこら中の猫だの杓子だの擂粉木(すりこぎ)が集まってくる。当然教える方の手が足りなくなる。となる…

黒井千次『五月巡歴』

「待ってくれ。こんな時間からどこに行くんだ。」 「余計なお世話よ。私の自由――。」 振り向きもせずに履き慣れたバックスキンの黒い靴に足を入れて扉の鎖をはずす。居間がはずれてそのまますっと家の中から出て行こうとしているのを杉人は感じる。

上田秋成『雨月物語』巻之一、「菊花の約(ちぎり)」

青々(せい/\)たる春の柳、家園(みその)に種(う)うることなかれ。交(まじは)りは軽薄の人と結ぶことなかれ。楊柳(やうりう)茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや。軽薄の人は交りやすくして亦速(すみや)かなり。楊柳いくたび春に染むれども、軽薄の人…

夏目漱石『虞美人草』

真葛(まくず)が原に女郎花が咲いた。すら/\と薄を抜けて、悔(くい)ある高き身に、秋風を品よく避(よ)けて通す心細さを、秋は時雨て冬になる。茶に、黒に、ちりちりに降る霜に、冬は果てしなく続くなかに、細い命を朝夕に頼み少なく繫なぐ。冬は五年の長き…

川端康成『舞姫』

「だいじにしていただいてゐるのは、よくわかりますわ。」 と、波子はおとなしく答へた。心の戸を、半ばあけて、ためらつてゐる感じだつた。あけきつても、竹原ははいつて来ないのかもしれぬ。

夏目漱石『こゝろ』「先生と私」

「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白さうに。空(から)の盃でよくああ飽きずに献酬が出来ると思ひますわ」

小野小町

わびぬれば 身をうき草の ねをたえて さそふ水あらば いなむとぞ思ふ

石川淳『普賢』

明くる朝、正午近く眼を覚ますと……だが、わたしにとつて朝眼を覚ますといふことほど不思議な事件はないのだ。わたしは床の中でまたも日の光の下に蘇つた我が手足を撫でながら、ああまだこのからだは生きてゐるのかと、恰も自分ではない微生物を指先に摘(つま…

夏目漱石『明暗』

強ひて寐ようとする決心と努力は、其決心と努力が疲れ果てゝ何処かへ行つてしまつた時に始めて酬ひられた。彼はとう/\我知らず夢の中に落ち込んだ。

田中小実昌『自動巻時計の一日』

便所でしゃがみこんでるあいだ、おれは古新聞をよむ。おなじ新聞の、おなじところを、なんどもよむことがある。そして、シャクにさわることが書いてあると、うれしい。どうして、こう、バカなんだろうと、シャクにさわることを、いったり、書いたりしたやつ…

石川淳『珊瑚』

機の熟するのを待つといふか。今がそのときだ。この城のあるじは半身不随の寝たつきりで、内外ともに見はなしてゐる。げんに、一服盛つて跡を乗取らうといふ忠臣に不自由しない。そして、その忠臣の中にもわしの一党がひそんでゐるとしたら、どんなものだ。…

尾崎一雄『毛虫について』

夜明前、薄暗い頃、エンドウ畑の側に立っていると、無数の虫共の葉を嚙む音を聞くことが出来る。田舎の、しんとした夜明前、小さな、しかし無数の口によって発せられる音のない音が、こんな音になるのかと、一度聞いた人は驚くだろう。ぞりぞりぞりと云うよ…

野上彌生子『秀吉と利休』二十

しかも秀吉の執着は、親しみや懐かしみとは絶縁されていた。秀吉はかえって利休を憎んだ。今日の始末になってまで思いだされることのすべてが、彼の貴重さの証をなし、なくてはならぬものとしての価値づけをあらたにする。この腹だたしさはいままでの尊敬や…

野上彌生子『秀吉と利休』二十

それは秀吉の一種のみれんともいうべき、利休に対する絶ちがたい執着であった。あれほど散々にとっちめ、面(つら)も見たくない、地獄のどん底に失せろ、とまで怒鳴りつけてやった男が、さて身辺から消え去るとともに、いかに大事なものを失ったかが痛感され…

野上彌生子『秀吉と利休』七

たしかにそれは利休でありながら、利休ではなかった。安慶の鋭いのみは原型の骨格、肉づけ、面、筋、引き締まり、たるみ、盛りあがり、くぼみ、明るみ、かげり、肉体の細部のいっさいを、人間のからだに二つはないほど、的確に彫りあげたにはとどまらない。…