2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

カルティエ=ブレッソン「実物に即した想像空間」(岩澤雅利 訳)(『ポケットフォト アンリ・カルティエ=ブレッソン』所収)

私にとってカメラは、スケッチ帳であり、直観と自発性を発揮する道具であり、視覚的に問いかけると同時に決断を下す、瞬間の導き手である。世界を「示す」ためには、ファインダーを通して切り取ったものに自分が当事者として関係していると感じなくてはなら…

柄谷行人「歴史について――武田泰淳」

私の数少ない経験では、葬式には残酷なところがある。私はそれを葬式が形骸化してきたせいだと思っていたが、本当はそうではなかった。死者を悼むとか悲しむとかいった、人類史において比較的近代に属する観念のずっと底に、葬式がもっている本質がかくされ…

吉本隆明「蕪村詩のイデオロギイ」

すぐれた詩人の詩意識は、かならずその詩人の現実意識を象徴せずにはおさまらない、というのは詩のもっているもっとも基本的な宿命的な性格であって、この事実は、社会的事件をえがけば、自己の現実把握のでたらめをごまかせるとでもおもっているオプティミ…

尾形明子『「輝ク」の時代――長谷川時雨とその周辺』

短歌における銃後意識、戦時色は、俳句、詩にくらべてはるかに色濃い。ひたすら聖戦を讃え、武運を祈り、兵の苦労に涙をこぼす。大仰で情緒的なわりには観念的な言葉の羅列が多く、実感から遠い。東歌の流れはあっても、天皇を頂点とした宮廷貴族の手によっ…

山川菊栄『武家の女性』

汽車や飛行機、ラジオや新聞に慣れた今日、そういうもののなかった時代の人はどんなに不便だったろうと考えますが、そういうものを知らなかった時代の人は、格別不便とも思わず、その状態に満足していたと同様に、道徳上の問題も同じことで、道徳観念の違う…

井田真木子『フォーカスな人たち』「太地喜和子」

太地は南紀の姓である。 紀伊半島の東南部に太地町がある。土地の大庄屋であった太地一族は同地を拠点として一八世紀前半から捕鯨を始めた。 産業捕鯨の祖とされる四代目当主、角右衛門頼勝から、太地に代々住居を置く本家筋が十一代目まで続き、別途、太地…

上山春平編『照葉樹林文化』

中尾(佐助) ぼくは古代語や近隣の国のことばはよく知らないのだけれども、現在の話しことばで見ると、目(メ)だとか歯(ハ)だとか背(セ)だとか手(テ)だとか、身体語に単音節のことばが非常に多い。もう一つ単音節のことばが多いのは農業用語だろうね…

天沢退二郎『《中島みゆき》を求めて』

中島みゆきの歌にさまざまにひそみあるいはあらわれる《諦め》は、決して《この世見すえて笑うほど 冷たい悟り》ではなくて、なお熱い涙や、あられもない恨みやねたみの文句、他人からはあさましく見えもしよう姿の根底にしっかりと見定められているものなの…

関川夏央『海峡を越えたホームラン』

どうしても日本は東に向いて生きてきましたから、西にある国に対しては閉ざされている状況が強かったですよね。東側を向いた視線が最後にたどりつくのが韓国なんですね。北アメリカ大陸を越え、ヨーロッパ半島を越え、シベリアを越え、地球をひとめぐりして…

トマス・ピンチョン『ヴァインランド』(佐藤良明 訳)

「たった一つの財産だった怒りを失くしてしまったんだ、何より大事な憤りってもんを、大量の影と引きかえに、売り渡してしまったんだ」 ※太字は出典では傍点

トマス・ピンチョン『ヴァインランド』(佐藤良明 訳)

「こんなこと認めるの辛いわよね」一度彼女は自分の思いを伝えようと試みたことがある。「学生のときのバイトが、振り返ってみれば一番まともな仕事だったなんて」

トマス・ピンチョン『ヴァインランド』(佐藤良明 訳)

「パパのことは好きだけど、それだけじゃ足らないの」

マヌエル・プイグ『ブエノスアイレス事件』(鼓直 訳)

日曜日に連れのいない人間は、つまり人生の落後者なのだ。

マヌエル・プイグ『ブエノスアイレス事件』(鼓直 訳)

《その場の思いつきで始まったダンスパーティが、いちばん楽しい》

イタロ・カルヴィーノ『木のぼり男爵』(米川良夫 訳)

「ねえ……」 「ねえ……」 彼らはともに知りあった。彼は彼女を知り、みずからを知った。なぜなら、ほんとうのところ、一度として自分のことがわかっていなかったのだから。彼女は彼を知り、彼女自身をも知った。なぜなら、自分のことはいつでもわかっていたと…

イタロ・カルヴィーノ『木のぼり男爵』(米川良夫 訳)

こうして恋が始まった。少年は幸福で、また困惑していた。彼女は幸福で、少しも驚いていなかった。(娘たちにはなにごとも偶然に起こりはしないのだ。)それはコジモがあれほど焦がれていた恋だったが、今、思いもかけずにやってきた。そしてあまりすばらし…

レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(宇野利泰 訳)

「まず、わしたちはつぎの考えを守らなければならん。自分たちはけっして、重要な人物でないことを思い知るべきだ。自分だけでは、なんの意味もない。いまこうして、重いおもいをしてもち運んでおる荷物が、いつかだれかの役に立つのだと、それだけを心がけ…

レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(宇野利泰 訳)

「そして、本のことを――ゆうべはじめて、書物の背後には、それぞれひとりの人間がいることを知った。その人間が考えぬいたうえで、ながい時間をかけ、その考えを、紙の上に書きしるしたのが、あの書物なんだ。そのことを、ぼくはいままで、考えてもみなかっ…

レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(宇野利泰 訳)

「本のなかには、なにかあるんだ。ぼくたちには想像もできないなにかが――女ひとりを、燃えあがる家のなかにひきとめておくものが――それだけのなにかがあるにちがいない。なんでもないもののために、だれだって焼け死のうとはしないからね」

レイ・ブラッドベリ『何かが道をやってくる』(大久保康雄 訳)

「町じゅうで一番幸福そうで、一番にこやかな微笑の持主が、ときには一番重い罪の荷を背負っている場合もあるのだよ。微笑にもさまざまある――その明暗のちがいを見分けることが大切なんだ。アザラシみたいに吠えたり、豪傑笑いをする男は、自分を隠すために…

レイ・ブラッドベリ『何かが道をやってくる』(大久保康雄 訳)

「しかし、どんな人間でも、自分自身に対しては、英雄になれないものさ」

モーパッサン『ピエールとジャン「小説について」』(杉捷夫 訳)

言わんと欲することがなんであろうとも、それを言いあらわすには一つの言葉しかない。それを生き生きと躍動させるには一つの動詞しかなく、その性質を規定するのに一つの形容詞しかない。だから、それが見つかるまで、その言葉を、その動詞を、その形容詞を…

モーパッサン『ピエールとジャン「小説について」』(杉捷夫 訳)

どんなもののなかにも、まだ探求されてない部分というものがある。われわれは自分の観照しているものについてわれわれより以前にすでに人の考えたことをかならず頭においてそれに支配されながら自分の目を使うという習慣になっている、という理由のためであ…

トマス・モア『ユートピア』(平井正穂 訳)

金というものは元来それ自体としては何の役にもたたないものである。にもかかわらず今日全世界の人々の間において非常に尊重されている、それも、元来なら人間によって、そうだ、人間が用いるからこそ、尊重されていたのに、今では逆に人間自体よりももっと…

トマス・モア『ユートピア』(平井正穂 訳)

今さら言うまでもないが、あらゆる種類の動物が餓鬼のように貪欲になるのは、実に欠乏に対する心配であり、特に人間においては虚栄心である。人間はなくもがなの、玩具のような物を見せびらかして他人をしのげば、それがすばらしい光栄であるかのように思う…

フォークナー『サンクチュアリ』(加島祥造 訳)

「ぼくの窓からは葡萄棚が見えるんだがね、冬になるとそこにハンモックも見えるんだ。ただし冬の間はハンモックだけが眼につくんだよ。これだけでも、自然というものは女性だとわかるじゃないか。なにしろこういうトリックをやれるのは女の肉体と女の季節の…

『アベラールとエロイーズ』(畠中尚志 訳)

けれども私は、他人にではなく、あなた御自身に慰められたいのです。あなたが悲しみを惹き起した唯一の方なら、慰めを与える唯一の方もあなたでなくてはなりません。事実、あなたは私を悲しませ、私を喜ばせ、私を慰めることのできるたった一人の方なのです…

須賀敦子『ミラノ 霧の風景』

船というものは、かたい道路ではなくて、うねうねとうねる水のうえをゆらゆらと揺れながら渡っていく。当然のことなのだが、この体験は衝撃的だった。とても、直線で何メートルというような基準には合致しない進行方法なのである。波まかせ、という言葉を思…

須賀敦子『ミラノ 霧の風景』

乾燥した東京の冬には一年に一度あるかないかだけれど、ほんとうにまれに霧が出ることがある。夜、仕事を終えて外に出たときに、霧がかかっていると、あ、この匂いは知ってる、と思う。十年以上暮らしたミラノの風物でなにがいちばんなつかしいかと聞かれた…

津島佑子『快楽の本棚』

文学で「性」が取り扱われることが多いのも、それが自由に解放されてしまっては、社会の秩序が守られなくなると、権力者たちがおそれていた最重要事項だったからにちがいない。女たちの「性」を管理しておかないと、父親の財産が「正当」に継承されなくなっ…