2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

田村隆一「車輪 その断片」

そこで顫えているものはなにか 地の上に顔をふせて 耳を掩っているものはなにか * 一羽の小鳥が寒冷の時のなかにとまり 地上にちいさな影を落した 日没の時 人は黙って歩いた 人は黙って歩いた 叫ぶことがあまりにも多かったから どこまで行くんだね ああ …

宮沢章夫「ただ面白いからそうしている・手相・病人は演技する」

私だけの話なのかもしれないし、もちろんほんとうに苦しんでいる病気の人がいることを承知で書こうと思う。 「病人は演技する」 病気を患う。まわりから、「お大事に」などと励まされ、心配や同情などされると、「俺は病気なんだ。ちゃんと病人らしくしてな…

沢木耕太郎『敗れざる者たち』「長距離ランナーの遺書」

ふと、自分はなぜ生きつづけているのかという馬鹿ばかしいほどプリミティヴな疑問が、脳裡をよぎる瞬間がある。そんな時、暗い奈落の底から視野に入ってくるのは、一群の若い死者たちの姿である。なぜ死んだのか、なぜ生きつづけられなかったのか。しかし、…

小川洋子「〝あの人〟の位置――「公園」(魚住陽子)を読んで」

小説を書く時は誰でも、心の中に〝あの人〟を持っているのではないだろうか。名前も肩書きも表情もなく、自分の内側にありながら自分自身ではなく、もちろん他の誰か知っている人とも違う、ただ存在の感触を漂わせるだけの〝あの人〟を、言葉によって明らか…

丸山健二「メガネマン」

眼鏡が精神に与える悪影響は想像以上ではないだろうか。そんな気がしてならない。五感のうちでは最も重要な役割を果している眼を、のべつレンズがふさいでいるのだから、何もないわけがない。たとえば依頼心の強さとか、自信の喪失とかに深く関わりがあるの…

金井美恵子『遊興一匹 迷い猫あずかってます』

猫を見ていると、「遊興一匹」だなあ、とつくづく思うのである。『沓掛時次郎・遊俠一匹』という加藤泰監督の映画があったけれど、いうまでもなく猫には、俠というものはないし、毎日見ていると、眠る(これにいちばん時間をさくようだ)、食べる、排泄する…

田村隆一「十月の詩」

危機はわたしの属性である わたしのなめらかな皮膚の下には はげしい感情の暴風雨があり 十月の 淋しい海岸にうちあげられる あたらしい屍体がある 十月はわたしの帝国だ わたしのやさしい手は失われるものを支配する わたしのちいさな瞳は消えさるものを監…

鴻上尚史『道楽王』

死のうと決心し、自分の悩みを箇条書きにしてみたら、あまりの少なさに驚いて死ぬのをやめたという有名な話もある。

鴻上尚史『道楽王』

だが、五分以上、人を無意識にできるような風景を、僕はいまだ知らない。 五分以上、人を感動させて、人に生活のアカを忘れさせてくれるような風景を、不幸なことに僕は、まだ知らない。

鴻上尚史『道楽王』

ノイローゼや心配性の人に、けっしてすすめてはいけない治療法がある。公園のベンチででも、ぼぉーっとしてきなさいよ、というアドバイスである。人間はけっして、ぼぉーっとできない。その時間、人間の妄想は、際限なくふくらむ。

養老孟司『身体の文学史』

広義の心理主義は、さまざまな形で、日本の文学を支配してきた。しかもそれは、いまにして思えば、やがて軍隊を支配するようになる「精神主義」と、明らかに無縁ではない。心理主義の一つの極が精神主義であろう。文学と軍とが対立するように見えるのは、一…

橋本治『青空人生相談所』

〝現実〟っていうのはね、その中で生きようとするものを傷つけようとする力のことなんだね。

柳田邦男『犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日』

しかし、精神科医がいうように、心の病いが治るというのは、体の病気が治るのとは質的な違いがある。体の病気が治るというのは、多くの場合、痛みや不調感がなくなって、すっきりとした日常生活に戻れることを意味する。しかし、心の病いの場合は、現実感覚…

三島由紀夫『葉隠入門』

忠告は無料である。われわれは人に百円の金を貸すのも惜しむかわりに、無料の忠告なら湯水のごとくそそいで惜しまない。しかも忠告が社会生活の潤滑油となることはめったになく、人の面目をつぶし、人の気力を阻喪させ、恨みをかうことに終わるのが十中八、…

田村隆一「四千の日と夜」

一篇の詩が生れるためには、 われわれは殺さなければならない 多くのものを殺さなければならない 多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ 見よ、 四千の日と夜の空から 一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、 四千の夜の沈黙と四千の日の逆光線…

村上春樹『辺境・近境』

三十年以上も前の話――そう、ひとつだけ確実に僕に言えることがある。人は年をとれば、それだけどんどん孤独になっていく。みんなそうだ。でもあるいはそれは間違ったことではないのかもしれない。というのは、ある意味では僕らの人生というのは孤独に慣れる…

村上春樹『辺境・近境』

地震があっても革命があっても戦争があっても、何世紀たっても、阪神ファンの姿だけはおそらく変わらないのではあるまいか。

村上春樹『辺境・近境』

世の中には故郷にたえず引き戻される人もいるし、逆にそこにはもう戻ることができないと感じ続ける人もいる。両者を隔てるのは、多くの場合一種の運命の力であって、それは故郷に対する想いの軽重とはまた少し違うものだ。

村上春樹『辺境・近境』

でも僕はプリンストン大学の図書室で、ノモンハン戦争に関する書籍を何冊も読んでいるうちに、そしてその戦争の実態が頭の中に比較的鮮明に浮かび上がってくるにつれて、自分が強くこの戦争に惹かれる意味のようなものが、ぼんやりとではあるけれど把握でき…

村上春樹『辺境・近境』

故郷の村から都会に出てきたインディオの青年の話を聞いたことがある。その青年は、故郷の村に暮らしているときには一度も飢えたことがなかった。貧乏な村ではあったけれど、飢えというものを彼は知らなかった。何故ならその村でもし彼がお腹を減らしている…

村上春樹『辺境・近境』

同じことが何度も何度も単調に繰り返され、時間だけがゆっくりと流れていく。でも協会の庭に腰をおろして、子供たちと一緒にそういう光景をじっと見ていても、僕としてはべつに退屈もしないし飽きもしなかった。というか、そのうちにある種の懐かしささえ感…

村上春樹『辺境・近境』

実際の人生はハリウッド映画とは違う。実際の人生というのはうんざりするようなアンチ・クライマックスの連続なのだ。

村上春樹『辺境・近境』

でも、自己弁明するわけではないのだけれど、僕の人生というのは――何も僕の人生だけに限ったことではないと思うけれど――果てしのない偶然性の山積によって生み出され形成されたものなのだ。人生のあるポイントを過ぎれば、我々はある程度その山積のシステム…

福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

期待というのは、もっともなこともあるだろうけれど、どっちにしたって、程度の差こそあれ独りよがりなものだ。 相手には、相手の都合があり、相手の思惑があるということを忘れている。 そして、自分がこんなに望んでいるのに、相手は望んでいるようにして…

福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

誰にでも、相応の努力をする人間には、機会というのはやってくるものだ。 大事なのは、その機会が来た時に、準備ができていること。 準備ができていなければ、折角機会が来ても、乗り損ねてしまう、取り逃がしてしまうことになる。 そして現実には、ほとんど…

福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

「礼儀正しい」ということは、つまり「油断をしない」ということなんだね。 対面している相手が、一体どんな相手なのか、何を考えているのか、まったく分からない、自分にいかなる敵意や思惑をもっているのか分からないという認識、油断しないという態度が、…

福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

このように書いていくと、いずれにしろ、「善意」などというものは、会社組織にはないのか、というような気分になるかもしれない。 そう、ないんだね。 でもそれは会社だけじゃない。世間というのはそういうものだ。純粋な善意だの好意だのというものはあり…

福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

君も、しばらくすると、この世界が、どうでもよい言葉ででき上がっていることを知ることになるだろう。そして、自分でも朝から晩まで、そういう言葉を口にすることになるだろう。 たとえば、営業なり、連絡なりで客先に行く。 相手が、君に関心をもっていろ…

福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

オレは、加工最適の素材でも何でもない、という気持ちは分かるし、そういう気慨をもっていなければ何もなしとげられない、と僕も思う。 だけれども、にもかかわらず、僕たちは、「世間」の都合と「自分」の都合を角(つの)つき合わせて生きていかなければなら…

福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

でも、世間というのはそういうものでね、才能なんていうものには、一円も金を払わない。それが「かたち」になるまでには、一円の値打ちも認めない。それが世間というものだから仕方がないよ。 だから、逆に云えば、君がそういう才能の持ち主だと思うのならば…