2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

シューマン『音楽と音楽家』

由来、人間というものは、自分の姿が見えないので、得てして他人の心の中に理想の姿を持ちやすい。

マキアヴェッリ『君主論』

善行は悪行と同じように人の憎悪を招くものであるということを注意しなければならぬ。

マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』

人間は自分じしんの歴史をつくる。だが、思う儘にではない。自分でえらんだ環境のもとでではなくて、すぐ目の前にある、あたえられ、持越されてきた環境のもとでつくるのである。

『孟子』

尽(ことごと)く書を信ずれば、則ち書なきに如かず。

ヒルティ『眠られぬ夜のために』

人間は他人の嘘にはたやすく気づくものであって、ただその嘘が自分におもねるときか、あるいはちょうど都合のよいときだけ、それを信じるのである。

ウェーバー『職業としての学問』

学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。学問に生きるものはこのことに甘んじなければならない。 ※太字は出典では傍点

モンテーニュ『エセー』

他人から意見を求められることは、きわめて少ないが、信じられることは、もっと少ない。

ルソー『エミール』

理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる。

『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』

ほめれば間違いだし、そしればなおわるい、君がそのことをよく理解していないときには。

ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』

高く登ろうと思うなら、自分の脚を使うことだ! 高いところへは、他人によって運ばれてはならない。ひとの背中や頭に乗ってはならない! ※太字は出典では傍点

ヒルティ『眠られぬ夜のために』

ときには、敵の方が正しいこともある。というのは、人間のこころは生れつきはなはだ利己的であって、どんな論難攻撃をもすべて自分にたいする侮辱だと感じるからである。

ルソー『エミール』

人生は短い。わずかな時しか生きられないからというよりも、そのわずかな時のあいだにも、わたしたちは人生を楽しむ時をほとんどもたないからだ。

ヒルティ『幸福論』

苦しみは人間を強くするか、それともうち砕くかである。その人が自分のうちに持っている素質に応じて、どちらかになる。 ※太字は出典では傍点

袁枚『随園食単』

事の是非はただ醒めたる人のみが能くこれを知り、味の美悪もまたただ醒めたる人のみが能くこれを知るのである。

『エピクロス――教説と手紙――』

もし神が人間の祈りをそのまま聴き届けていたならば、人間はすべて、とっくの昔に亡びていたであろう、というのは、人間はたえず、たがいに、多くのむごいことを神に祈ってきているから。

『モーツァルトの手紙』

結婚したらいろいろ分かって来ますよ、 今までは半分謎だったことが。 今に経験から分かります、 イヴが、後でカインを生んだのは、 どんなことをさせられたからなのか。

マキアヴェッリ『君主論』

人間は誰でも自分のする事についてはなはだ自負心を持っているものだから、みずから欺かれやすい。

ウェーバー『職業としての学問』

一般に思いつきというものは、人が精出して仕事をしているときにかぎってあらわれる。

『荘子』

心をはげまして高尚にふるまい、世間から離れて俗習に背をむけ、高踏な議論をして世を怨んだり誹ったりするのは、昂ぶったことをしているだけである。

スピノザ『エチカ』

名誉の悪用やこの世の虚妄について最も多く呼号する者は、最も多く名誉に飢えているのである。

テンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』

実に人間は、理性によって自己自身を破壊する能力を有している。

モンテーニュ『エセー』

世間では驚嘆されながら、妻や召使から見れば、何一つすぐれたところのなかった人もいる。家中の者から称讃された人というのはほとんどいない。

モンテーニュ『エセー』

難解さは、学者が手品師のように自分の技倆のむなしいことを見せまいとして用いる貨幣であり、愚かな人間どもはこれで簡単に支払いを受けたつもりになる。

『孫子』

戦争には拙速――まずくともすばやくやる――というのはあるが、巧久――うまくて長びく――という例はまだ無い。

モンテーニュ『エセー』

老年はわれわれの顔よりも心に多くの皺を刻む。

J・S・ミル『ミル自伝』

自分は今幸福かと自分の胸に問うて見れば、とたんに幸福ではなくなってしまう。

マルクス・アウレリウス『自省録』

善い人間の在り方如何について論ずるのはもういい加減で切上げて善い人間になったらどうだ。

デカルト『精神指導の規則』

より困難なものを、より美しきものと見ること、これが人類の通弊である。

ルソー『告白』

恋と同じで、憎悪も人を信じやすくさせる。

ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』

悪人がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪にまさる害悪はない。