2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧

アストリッド・リンドグレーン『山賊の娘ローニャ』(大塚勇三 訳)

「いつでもいられる人なんて、いやしないのよ。わたしたちは生まれて、そして死ぬ。今まで、ずっとそうだったのよ。なにをそんなに悲しがるの?」

「堯戒(げうかい)」(「『古詩源』 古逸」より)(抄) (内田泉之助)

戰戰慄慄として、日に一日を謹しめ。 人は山に躓くこと莫くして、垤に躓く。 せんせんりつりつとして、ひにいちにちをつつしめ。 ひとはやまにつまづくことなくして、てつにつまづく。 戰戰慄慄 日謹一日 人莫躓于山 而躓于垤 人はおそれおののいて、一日一…

アストリッド・リンドグレーン『山賊の娘ローニャ』(大塚勇三 訳)

「今日このごろじゃ、子どもはもう、どうにもできやしないのさ。子どもらは、すきなようにする。こっちは、それに慣れるよりありゃしない。だけど、そいつは、らくなもんじゃないぜ!」

陶潛「田園の居に歸る 五首(でんゑんのきょにかへる ごしゅ;歸田園居 五首)」(抄) (星川清孝)

人生は幻化に似たり、終に當に空無に歸すべし。 じんせいはげんくゎににたり、つひにまさにくうむにきすべし。 人生似幻化 終當歸空無 じつに人生は幻の変化するのにも似て、すべてしまいには当然空しく形のないものになってしまわねばならないのである。

陸游「兒(じ)に示す」(全) (前野直彬)

文は能く骨を換ふ 餘に法無し 學は但源を窮めて自ら疑はず 齒は豁く頭は童にして方めて此を悟る 乃翁事を見ること 憐れむ可く遲し ぶんはよくほねをかふ がくはただみなもとをきはめてみづからうたがはず ははひろくかうべはどうにしてはじめてこれをさとる …

杜牧「秦淮に泊す(しんわいにはくす;泊秦淮)」(全) (市野澤寅雄)

煙は寒水を籠め月は沙を籠む 夜秦淮に泊して酒家に近し 商女は知らず亡國の恨 江を隔てて猶唱ふ後庭花 けむりはかんすゐをこめつきはさをこむ よるしんわいにはくしてしゅかにちかし しゃうぢょはしらずばうこくのうらみ かうをへだててなほとなふこうていく…

王漁洋「呉天章の中條山に歸るを送る(ごてんしゃうのちゅうでうざんにかへるをおくる;送呉天章歸中條山)」(抄) (橋本循)

飛伏、詎ぞ辨ぜん、誰か雌雄なるを ひふく、なんぞべんぜん、たれかしゆうなるを 飛伏詎辨誰雌雄 人の現在と既往とからは、誰もその人の将来の勝敗強弱は識別することはできないものだ。

ドストエフスキー『悪霊』(江川卓 訳)

「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないから、それだけです。これがいっさい、いっさいなんです! 知るものはただちに幸福になる。その瞬間に」

韓愈「孟東野 子を失ふ 并に序(まう・とうや こをうしなふ ならびにじょ;孟東野失子 并序)」(抄) (原田憲雄)

子有ると 子無きと 禍福 未だ原ぬ可からず こあると こなきと くゎふく いまだたづぬべからず 有子與無子 禍福未可原 子をもつと、子なきと、 禍(わざはい)なりや福(さいはい)なりや、いまだきはめ知るべからず。

ドストエフスキー『白痴』(木村浩 訳)

「金というものが何よりも醜悪でいまわしいのは、それが人間に才能まで与えてくれるからなんですよ」

樂雷發「烏烏歌(ううか)」(抄) (今關天彭、辛島驍)

噫 烏烏を歌へば(兮) 我が心を使て怡ばざらしむ 書を讀んで 書癡と成ること 莫れ ああ ううをうたへば(兮) わがこころをしてよろこばざらしむ しょをよんで しょちとなること なかれ 噫歌烏烏兮 使我心不怡 莫讀書成書癡 これが僕の「アア」の歌だ。だが、こ…

ハーマン・メルヴィル『白鯨』(阿部知二 訳)

悲劇的に偉大な人物とはすべて一種病的なものを持つことによって成立っているものだ。若くして大望を抱く人々よ、人間の偉大さとは病にすぎぬのだと記憶されたい。

白樂天「上陽白髮人(じゃうやうはくはつじん)」(抄) (田中克己)

秋夜長し 夜長くして寐るなく天明けず。 耿耿たる殘燈 壁に背く影 蕭蕭たる暗雨 窗を打つ聲。 春日遲し 日遲くしてひとり坐すれば天暮れがたし。 宮鸎 百囀するも愁ひて聞くを厭ひ 梁燕 雙栖すれども老いて妬むを休む。 しうやながし よながくしていぬるなく…

リルケ『若き詩人への手紙』 (高安国世 訳)

私はできるだけあなたにお願いしておきたいのです、あなたの心の中の未解決のものすべてに対して忍耐を持たれることを。そうして問い自身を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは非常に未知な言語で書かれた書物のように、愛されることを。今すぐ答えを…

蘇東坡「孫莘老 墨妙亭の詩を求む(そんしんらう ぼくめうていのしをもとむ;孫莘老求墨妙亭詩)」(抄) (近藤光男)

後來 今を視ること 猶ほ昔を視るがごとく 過眼 百世 風燈の如し こうらい いまをみること なほむかしをみるがごとく くゎがん ひゃくせい ふうとうのごとし 後來 視今 猶視昔 過眼 百世 如風燈 後世の人が今のわれわれをどう観察するかは、今のわれわれが昔…

アルチュール・ランボー「書簡」(祖川孝 訳)

わたしというのは一人の他人です。

薛濤「月(つき)」(全) (辛島驍)

魄は 鉤樣に依って 小さく 扇は 漢機を逐うて 團し。 細影 將に圓ならんとするの質、 人間 幾處に 看る。 はくは こうやうによって ちいさく せんは かんきをおうて まるし。 さいえい まさにゑんならんとするのしつ、 にんげん いくしょに みる。 魄依鉤樣…

マルセル・プルースト「読書について」(岩崎力 訳)

もしかしたら、私たちの少年時代の日々のなかで、生きずに過してしまったと思い込んでいた日々、好きな本を読みながら過した日々ほど十全に生きた日はないのかもしれない。

杜甫「貧交行(ひんかうかう)」(抄) (目加田誠)

手を翻せば雲と作り手を覆せば雨 紛紛たる輕薄何ぞ數ふるを須ひむ てをひるがへせばくもとなりてをくつがへせばあめ ふんぷんたるけいはくなんぞかぞふるをもちひむ 翻手作雲覆手雨 紛紛輕薄何須數 手のひらをちょっと上に向ければ雲となり、ちょっと下に向…

バルザック『ウジェニー・グランデ』(田村俶 訳)

人間の生きる条件は恐ろしい。人間にはさまざまの幸福があるが、何らかの無知にもとづかないような幸福などひとつもないのである。

李白「行路難し 三首(かうろかたし さんしゅ;行路難三首)」(抄) (青木正兒)

行路難し、行路難し 岐路多し、今安にか在る。 長風 浪を破る 會に時有るべし 直ちに雲帆を挂けて滄海を濟らん。 かうろかたし、かうろかたし きろおほし、いまいづくにかある。 ちゃうふう なみをやぶる まさにときあるべし ただちにうんぱんをかけてさうか…

ヘンリー・ミラー『薔薇の十字架 I セクサス』(大久保康雄 訳)

会話というものは、別の、もっと微妙な思想交流の口実にすぎない。後者がうまく働かないと、言葉も死んでしまうのである。もし、ふたりの人間が、たがいに思想を交流させようと熱心であれば、会話がどんなに困るようなことになってきたところで、すこしもそれは問題に…

屈原「九章 渉江(せふかう)」(『楚辭』より)(抄) (藤野岩友)

吾が生の樂しみ無きを哀しみ、 幽獨にして山中に處る。 吾は心を變じて以て俗に從ふ能はず、 固より將に愁苦して終に窮まらんとす。 わがせいのたのしみなきをかなしみ、 いうどくにしてさんちゅうにをる。 われはこころをへんじてもってぞくにしたがふあた…

ムージル『特性のない男』 (加藤二郎 訳)

人が感じること、そして行なうことのすべては、ともかく「生を目指して」起きるのだ。この方向から少しでも外れた動きをするのは、むずかしいか、あるいは恐ろしい。これは、ただ歩く動作の場合とまったく同じである。つまり、重心を上げ、それを前に押し出…

李賀「陳商に贈る(ちんしゃうにおくる;贈陳商)」(抄) (齋藤晌)

長安に男兒有り、 二十 心 已に朽ちたり。 楞伽 案前に堆く、 楚辭 肘後に繫く。 人生 窮拙有り。 日暮 聊か酒を飮む。 祗今 道已に塞がる。 何ぞ必ずしも白首を須たん。 ちゃうあんにだんじあり、 にじふ こころ すでにくちたり。 れうが あんぜんにうづた…

マルキ・ド・サド『悪徳の栄え』(澁澤龍彦 訳)

「君主が専制主義なしに支配しうるとでも思っているのかね? 権力は世論のうちにしかないものだよ。世論が変れば、君主も滅びる。世論を確固たらしめる唯一の手段は、したがって、人民を恐怖させ、人民の目に錯誤の目隠しをつけることにある。小人(こびと)が…

杜牧「春末池州弄水亭に題す(しゅんまつちしうろうすゐていにだいす;題春末池州弄水亭」(抄) (市野澤寅雄)

趣向人皆異る 賢豪渠を笑ふなかれ しゅかうひとみなことなる けんがうかれをわらふなかれ 趣向人皆異 賢豪莫笑渠 一人一人の目標はみな違う。賢者豪者みなそれぞれの持ち前があり、他人を冷 笑しないでほしい。

神沢利子「タンポポのうた」

たくさんうまれたカマキリの子も、大きくそだつのはほんの少しだという。大きくなるということは、たいへんなことなんだ。おれはきょううまれた。まん十一になった。でも、おれ、うまれたときのことしらない。あかんぼうのときもしらない。ただ、きがついた…

神沢利子「タンポポのうた」

たくさんうまれたカマキリの子も、大きくそだつのはほんの少しだという。大きくなるということは、たいへんなことなんだ。おれはきょううまれた。まん十一になった。でも、おれ、うまれたときのことしらない。あかんぼうのときもしらない。ただ、きがついた…

ダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』 (平井正穂 訳)

考えてみれば、われわれにはほとんど前途の見通しはつかないものなのだ。そこにまた、世界を造りたもうた偉大な神に安んじて依り頼むいわれもでてくるのである。つまり、神がその被造物である人間をまったく無一物の逆境に陥れるということはなく、どんなひ…