2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

エーリッヒ・フロム『愛するということ』(鈴木晶 訳)

つまり、人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。 ※太字は出典では傍点

エーリッヒ・フロム『愛するということ』(鈴木晶 訳)

どの時代のどの社会においても、人間は同じ一つの問題の解決に迫られている。いかに孤立を克服するか、いかに合一を達成するか、いかに個人的な生活を超越して他者との一体化を得るか、という問題である。

エーリッヒ・フロム『愛するということ』(鈴木晶 訳)

生きることが技術であるのと同じく、愛は技術である ※太字は出典では傍点

マルクス『経済学批判』(武田隆夫・遠藤湘吉・大内力・加藤俊彦 訳)

歴史は、しばしば飛躍的に、かつジグザグにすすむものである、そこでこのばあい、すべての点でその足あとが追求されなければならないとすれば、そのために、あまり重要でない多くの材料がとりあげられなければならないばかりでなく、思想の道すじも、しばし…

マルクス『経済学批判』(武田隆夫・遠藤湘吉・大内力・加藤俊彦 訳)

貨幣が世界貨幣に発展するように、商品所有者はコスモポリタンに発展する。人間同志のあいだのコスモポリタン的関連は、もともと、ただかれらの商品所有者としての関連にすぎない。商品はそれ自身、宗教的、政治的、国民的、言語的なすべての障壁を超越して…

マルクス『経済学批判』(武田隆夫・遠藤湘吉・大内力・加藤俊彦 訳)

このようにしてすべての金鋳貨は流通過程そのものをとおして多かれ少なかれその実体のただの表章または象徴に転化される。だがどんなものでも自分自身の象徴になることはできない。絵にかかれたぶどうは実際のぶどうの象徴ではなくて、みせかけのぶどうであ…

ショーペンハウアー『幸福について―人生論―』(橋本文夫 訳)

他人の思惑にあまりにも重きを置き過ぎるということは、一般に見られる迷妄である。この迷妄はわれわれの本性に根ざしたものかもしれない。あるいは社交界と文明とに伴って生じたものかもしれない。いずれにもせよ、この迷妄はわれわれの言動全体に対して全…

ショーペンハウアー『幸福について―人生論―』(橋本文夫 訳)

そのうえ、人間は終始一貫、他人の意見、他人の思惑の奴隷となっているのである。

ショーペンハウアー『幸福について―人生論―』(橋本文夫 訳)

ところで幸福な生活とは何かといえば、純客観的に見て、というよりはむしろ、〔この場合、問題は主観的な判断の如何にあるのだから〕冷静にとっくりと考えてみたうえで、生きていないよりは断然ましだと言えるような生活のことである、とでも定義するのが精…

プラトン『ゴルギアス』(加来彰俊 訳)

ソクラテス しかしながら、権力者たちの大部分は、ねえ君、たいていは、悪い人間となるものだよ。

プラトン『ゴルギアス』(加来彰俊 訳)

ソクラテス つまり、わたしが言いたいのは、身体や魂が、実はちっとも良い状態にはないのに、良い状態にあると思わせるようにするものが、身体の場合にも、また魂の場合にも、あるということなのです。

アンソニー・ストー『孤独――自己への回帰』(森省二、吉野要 監訳)

「自虐的」という、他者に対する服従的な態度は、その背後に、攻撃性の抑圧を含んでいる。他者に対抗できない人、必要なときでさえ自己主張ができない人は、敵意を抑圧しているのである。そういう人が抑うつ的になると、他者への敵意は自罰という形で置き換…

アンソニー・ストー『孤独――自己への回帰』(森省二、吉野要 監訳)

創造的な生活のなかには、決まって遊びの要素があるように思える。この遊びの要素が消えるとき、それとともに喜びも、新しいものを生み出しうるという実感も去っていく。創造的な人々は新しいものを創造する能力を失ってしまったように感じる絶望の時期をま…

ドナルド・リチー『小津安二郎の美学――映画のなかの日本』(山本喜久男 訳)

つまり、日本の家そのものが一種の舞台なのである。日本の伝統的な家は、地面から離して建てられる。多くの壁は開閉のできる窓兼用の戸になっており、天気がよいとその戸が開かれて、まさに舞台のような空間があらわれる。家のなかにも、床の間という小さな…

ドナルド・リチー『小津安二郎の美学――映画のなかの日本』(山本喜久男 訳)

日本人にとって列車は今もなお、変化と神秘の運搬具であるからだ。遠くを走る列車の悲しげな響き、どこかで新しい生活を始めるために運び去られていく人たちへの想い、旅への憧れとノスタルジア――すべてこれらは、今なお日本人の感情をゆさぶる力を持ってい…

アルフレッド・ランシング『エンデュアランス号漂流』(山本光伸 訳)

〈これ以上自分を騙しても、何も良いことはない〉

アルフレッド・ランシング『エンデュアランス号漂流』(山本光伸 訳)

何の変化もない単調な一日が過ぎ、シャクルトンは二十六日、日記の欄いっぱいに、次の文字を並べた。 〈待つ 待つ 待つ〉

マルサス『人口論』(永井義雄 訳)

人口は、制限されなければ、等比数列的に増大する。生活資料は、等差数列的にしか増大しない。

マルサス『人口論』(永井義雄 訳)

わたくしは、二つの公準をおいてもさしつかえないであろうと考える。 第一、食糧は人間の生存に必要であること。 第二、両性間の情念は必然であり、ほぼ現在の状態のままでありつづけるとおもわれること。

マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(脇圭平 訳)

自分の魂の救済と他人の魂の救済を願う者は、これを政治という方法によって求めはしない。政治には、それとはまったく別の課題、つまり暴力によってのみ解決できるような課題がある。

マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(脇圭平 訳)

政治にとって決定的な手段は暴力である。

H.J.アイゼンク『精神分析に別れを告げよう――フロイト帝国の衰退と没落』(宮内勝 他 訳)

自然寛解がよく起こることからも分かるように、患者はいずれよくなるので、患者はその改善を治療のおかげと思い、治療者もおなじように考えます。治療と改善には何の関係もないのですが。この満足のゆく状態が達成されると、患者は「治癒」したとして片づけ…

ブルーノ・タウト『日本文化私観』(森トシ郎 訳)

日本は、ある小さな対象の中に宇宙全体を包含せしめることが、最も大切なことであるということを教えてくれている。この対象物は、その実用を生かしている完全な美しさによって、それを取り扱う人間の性向をも包蔵するものである。この小さい物品は全然独立…

アウエルバッハ『ミメーシス』(篠田一士・川村二郎 訳)

というのは、人間に恐ろしい行為をする可能性があるならば、恐ろしい行為はいつもそれとは正反対のものを生み出しているわけで、つまり、残虐な事件の起きる時代には、人間の魂の雄々しい生命力もまた発揮されているということも――すなわち、愛情、犠牲、信…

ルイ・アルチュセール『マルクスのために』(河野健二・田村俶・西川長夫 訳)

――規則のあずかり知らぬことであるが、例外が規則そのものではないかどうかを自問する必要がある。じっさい、けっきょくのところわれわれはつねに例外のなかにいるのではないだろうか? ※太字は出典では傍点

ニーチェ『悲劇の誕生』(秋山英夫 訳)

ペシミズムや悲劇的神話、生存の根底にあるすべての怖ろしいもの・邪悪なもの・謎めいたもの・破壊的なもの・不吉なものの姿かたちに対して、古代ギリシア人ははげしい好意をよせているが、それはなぜかということ、――つまり、悲劇はどこから発生せざるをえ…

山城むつみ『文学のプログラム』

日本の文学者はつねに「文」に直面せざるをえない。読んだり、書いたりしている以上、「文」というシステムとコラボレイトせずにいることはできない。文学的なもの、文学という制度をどんなに軽視してみても「文」化システムの内部にいることにかわりはない…

NHK「課外授業 ようこそ先輩」制作グループ+KTC中央出版編『見城徹 編集者 魂の戦士』

書くっていうことは、相手も傷つくかもしれないし、自分も傷つくことなんだよ。そんなふうに失礼かなって思ったら文章なんか書けないよ。本当に人間と人間が関係するときには、失礼かななんて思ったらダメなんだよ。その人のためにみんなが言ってるんだから…

NHK「課外授業 ようこそ先輩」制作グループ+KTC中央出版編『見城徹 編集者 魂の戦士』

人にものを言うということは、自分にはね返ってくることだしね。

NHK「課外授業 ようこそ先輩」制作グループ+KTC中央出版編『見城徹 編集者 魂の戦士』

日常の些細なことに感動することが、生きるということだと思うんです。世の中に出ていったりみんなに注目されたりなんてことは、じつはそれほどたいしたことじゃなくて、もっともっと日常の小さなことに感謝とか感動を見つけて生きていくということのほうが…