2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

武田百合子『富士日記』

もうすでにおせんべいを何枚も食べたあとだったからか、主人はめずらしくすぐ、おせんべいを食べるのをやめた。残りの罐ビールだけを飲んでいる。そして手の中にあった食べかけのおせんべいのかけらを、テーブルの上にぽとっと置いた。歯が入ったから、パリ…

李白「宣州の謝朓樓にて校書叔雲を餞別す(せんしうのしゃてうろうにてかうしょしゅくうんをせんべつす;宣州謝朓樓餞別校書叔雲)」(抄) (青木正兒)

我を棄てて去る者は昨日の日 ――留む可からず 我が心を亂す者は今日の日 ――煩憂多し。 われをすててさるものはきのふのひ ――とどむべからず わがこころをみだすものはけふのひ ――はんいうおおし。 棄我去者昨日之日 ――不可留 亂我心者今日之日 ――多煩憂 昨日…

太宰治「書簡」

君の、きのうまでの苦悩に、自信を持ちたまえ。ぼくは、信じている。まことに苦しんだものは、報いられる、と。堂々と、幸福を要求したまえ。神に。人の世に。

屈原「九章 惜誦(せきしょう)」(『楚辭』より)(抄) (藤野岩友)

退いて靜默すれば余を知る莫く、 進んで號呼するも又余に聞く莫し。 申ねて侘傺して煩惑し、 中悶瞀して忳忳たり。 しりぞいてせいもくすればわれをしるなく、 すすんでがうこするもまたわれにきくなし。 かさねてたていしてはんわくし、 うちもんばうしてと…

中上健次『千年の愉楽』

何をやってもよい、そこにおまえが在るだけでよい

魚玄機「鄰の女に贈る(となりのおんなにおくる;贈鄰女)」(全) (辛島驍)

日を羞ぢて 羅袖を遮り、 春を愁ひて 起妝に懶し。 無價の寶を 求むることは易きも、 有心の郎を 得ることは難し。 枕上 潛に 涙を垂れ、 花間 暗に 腸を斷つ。 みづから能く 宋玉を窺ふ、 何ぞ必ずしも 王昌を恨まん。 ひをはぢて らしうをさへぎり、 はる…

古井由吉『杳子』

杳子は深い谷底に一人で坐っていた。 十月もなかば近く、峰には明日にでも雪の来ようという時期だった。

白樂天「官舍小亭の間望(くわんしゃせうていのかんばう;官舎小亭間望)」(抄) (田中克己)

廻って謝す名を爭ふ客、 甘んじて君の嗤ふ所に從す。 かへってしゃすなをあらそふかく、 あまんじてきみのわらふところにまかす。 廻謝爭名客 甘從君所嗤 ふりかえって世の虚名を争う者にいっておく、「君たちの冷笑にまかせる」と。

ジークムント・フロイト『夢判断』(高橋義孝 訳)

どんな夢もその夢を見ている本人自身を問題にしているということは例外のない一事実である。夢は徹頭徹尾利己的である。夢内容中に私の「私」ではなくて、ただ別の人間がひとり出てきた場合でも、私の「私」が同一化によってその人間の背後に隠れていると考…

韓愈「仕に從ふ(しにしたがふ;從仕)」(全) (原田憲雄)

閑に居れば 食ふもの足らず 仕に從へば 力 任へ難し 兩事 皆 性を害す 一生 恆に心を苦む 黄昏 私室に歸り 惆悵して歎音を起す 人間の世を棄置せむに 古來 獨り今のみに非ず かんにをれば くらふものたらず しにしたがへば ちから たへがたし りゃうじ みな …

カント『実践理性批判』(波多野精一・宮本和吉・篠田英雄 訳)

ここに二つの物がある、それは――我々がその物を思念すること長くかつしばしばなるにつれて、常にいや増す新たな感嘆と畏敬の念とをもって我々の心を余すところなく充足する、すなわち私の上なる星をちりばめた空と私のうちなる道徳的法則である。 ※太字は出…

杜甫「秋雨の歎 三首(しううのたん さんしゅ;秋雨歎 三首)」その一(全) (目加田誠)

雨中 百草 秋爛死す 階下の決明 顔色鮮なり 著葉滿枝 翠羽蓋 開花無數 黄金錢 凉風蕭蕭として汝を吹くこと急なり 恐くは汝が時に後れて獨立し難からむことを 堂上の書生 空しく白頭 風に臨んで三たび馨香を嗅いで泣く うちゅう ひゃくさう あきらんしす かい…

ジャン=ジャック・ルソー『エミール』(今野一雄 訳)

人間よ、人間的であれ。それがあなたがたの第一の義務だ。あらゆる階級の人にたいして、あらゆる年齢の人にたいして、人間に無縁でないすべてのものにたいして、人間的であれ。人間愛のないところにあなたがたにとってどんな知恵があるのか。子どもを愛する…

李賀「走馬の引(さうばのいん;走馬引)」(抄) (齋藤晌)

朝には嫌ふ 劍花の淨きを。 暮には嫌ふ 劍光の冷なるを。 あしたにはきらふ けんくゎのきよきを。 くれにはきらふ けんくゎうのひややかなるを。 朝嫌劍花淨 暮嫌劍光冷 この剣を見ろ! 朝見れば、剣の花があまりにきれいなのが気に入らねえ。もっと赤い血を…

C.G.ユング『変容の象徴』(野村美紀子 訳)

こんにちかぞえきれないほどの神経症患者がいるが、かれらがこうなったのはただ、自分のやりかたでしあわせになってはなぜいけないのか、わからないからである。それがわからないということすら、わかっていないのである。

李白「月の下に獨り酌む 四首(つきのしたにひとりくむ よんしゅ;月下獨酌四首)」(抄) (青木正兒)

窮通と修短と 造化の夙に禀する所。 一樽 死生を齊しくす。 萬事固より審かにし難し。 きゅうつうとしゅうたんと ぞうくゎのつとにひんするところ。 いっそん しせいをひとしくす。 ばんじもとよりつまびらかにしがたし。 窮通與修短 造化夙所禀 一樽齊死生 …

『きけ わだつみのこえ』

父上様、母上様 元気デ任地ヘ向イマス。春雄ハ凡(あら)ユル意味デヤハリ学生デシタ。

高適(かうせき)「人日 杜二拾遺に寄す(じんじつ とじしふゐによす;人日寄杜二拾遺)」(抄) (齋藤晌)

心に懷く百憂 復 千慮。 今年人日 空しく相憶ふ。 明年人日 知んぬ何れの處ぞ。 こころにいだくひゃくいう また せんりょ。 こんねんじんじつ むなしくあひおもふ。 みゃうねんじんじつ しんぬいづれのところぞ。 心懷百憂復千慮 今年人日空相憶 明年人日知…

小林秀雄『本居宣長』

宣長は、この有るがままの世界を深く信じた。この「実(マコト)」の、「自然の」「おのづからなる」などといろいろに呼ばれている「事」の世界は、又「言(コト)」の世界でもあったのである。

陸游「夜、兵書を讀む(よる、へいしょをよむ;夜讀兵書)」(抄) (前野直彬)

陂澤 飢鴻號び 歳月 貧儒を欺る 歎息す 鏡中の面 安んぞ長へに膚腴なるを得ん ひたく きこうさけび さいげつ ひんじゅをあなどる たんそくす きゃうちゅうのおもて いづくんぞとこしへにふゆなるをえん 陂澤號飢鴻 歳月欺貧儒 歎息鏡中面 安得長膚腴 沼地の…

小林秀雄『考えるヒント』

政治は普通思われているように、思想の関係で成立つものではない。力の関係で成立つ。力が平等に分配されているなら、数の多い大衆が強力である事は知れ切った事だが、大衆は指導者がなければ決して動かない。だが一度、自分の気に入った指導者が見つかれば…

王漁洋「胡耑孩の長江に赴くを送る(こじがいのちゃうかうにおもむくをおくる;送胡耑孩赴長江)」(全) (橋本循)

青草湖邊秋水長し 黄陵廟口、暮煙蒼し 布帆安穩、西風の裏 一路山を看て岳陽に到らん せいさうこへんしうすゐながし くゎうりょうべうこう、ぼえんあをし ふはんあんをん、せいふうのうち いちろやまをみてがくやうにいたらん 青草湖邊秋水長 黄陵廟口暮煙蒼…

鷲田清一「ハッピーとラッキー」(『死なないでいる理由』所収)

「幸福」と「幸運」、「ハッピー」と「ラッキー」。この二つの外来語は、この国の語感からすれば、あるいは現代人の語感からすれば、意味を異にする。だが、もとをたどれば意味はほとんど重なるらしい。語源を調べてみると、「ハッピー」は、ハプニングとい…

杜牧「杜秋娘の詩并に序(としうぢゃうのしならびにじょ;杜秋娘詩并序)」(抄) (市野澤寅雄)

主張既に測り難く 翻覆亦其宜し 地盡きて何物かある 天外復何んか之かん 指は何すれぞ捉へ 足は何すれぞ馳する 耳は何すれぞ聽き 目は何すれぞ窺ふ 己の身自ら曉らざるに 此の外何をか思惟せん しゅちゃうすでにはかりがたく ほんぷくまたそれよし ちつきて…

上野千鶴子 「『成熟と喪失』から三十年」(江藤淳『成熟と喪失』解説/講談社文芸文庫)

だが息子は母と平和な同盟が保てるわけではない。息子にとって、父は母に恥じられる「みじめな父」になり、母はその父に仕えるほか生きる道のないことで「いらだつ母」になる。だが、息子はいずれ父になる運命を先取りして父を嫌悪しきれず、「みじめな父」…

王禹偁(おううしょう)「日長し、仲咸に簡す(ひながし、ちゅうかんにかんす;日長簡仲咸)」(抄) (今關天彭、辛島驍)

風 北院に騷げば 花 千片 月 東樓に上れば 酒 一樽 かぜ ほくゐんにさわげば はな せんぺん つき とうろうにのぼれば さけ いっそん 風騷北院花千片 月上東樓酒一樽 裏庭は、花がまっ盛り。少しでも風が出ると、吹雪のように花びらが散る。春の夜のおぼろな…

芥川龍之介「侏儒の言葉」

人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまっている。

蘇東坡「辛丑十一月十九日 既に子由と鄭州の西門の外に別れ 馬上に詩一篇を賦して之に寄す(しんちうじふいちぐわつじふくにち すでにしいうとていしうのせいもんのそとにわかれ

亦た知る 人生 要ず別有ることを 但だ恐る 歳月 去ること飄忽なるを またしる じんせい かならずわかれあることを ただおそる さいげつ さることへうこつなるを 亦知 人生 要有別 但恐 歳月 去飄忽 わたしにしても、人生に別れはつきものということぐらいは…

中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』

ただ、こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける…

薛濤「春望 四首(しゅんばう ししゅ;春望 四首)」(抄) (辛島驍)

花開くも 同に賞せず、 花落つるも 同に悲まず。 問はんと欲す 相思の處、 花開き花落つるの時。 はなひらくも ともにしゃうせず、 はなおつるも ともにかなしまず。 とはんとほっす さうしのところ、 はなひらきはなおつるのとき。 花開不同賞 花落不同悲 …