2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ルソー『エミール』

男性は知っていることを言うが、女性は人を喜ばせることを言う。

キルケゴール『反復』

娘というものは泣かせてやらなくてはいけない、泣きぬくと、泣くべきものがなくなって、あとはすぐに忘れてしまうものなのだ。

デューイ『哲学の改造』

道徳的修養に要する努力の大部分は、自分の過去および現在の行為の生んだ不快な結果を認めるのに必要な勇気にある。

司馬遷『史記列伝』

知ることがむつかしいのではない。いかにその知っていることに身を処するかがむつかしいのだ。

小林秀雄『モオツァルト』

天才とは努力し得る才だ、というゲエテの有名な言葉は、殆ど理解されていない。努力は凡才でもするからである。然し、努力を要せず成功する場合には努力はしまい。彼には、いつもそうあって欲しいのである。天才は寧ろ努力を発明する。凡才が容易と見る処に…

林達夫「批評家棄権」

ほんとうに芸術を愛好していては、なかなか「批評家」なんかにはなれない。私の場合、一つの小さな愛好でさえ百の嫌悪から成り立っている。だから「批評家」になるには、百対一の割合で、その百の嫌悪の根拠を人の前に説明する饒舌な閑人となることを覚悟せ…

岡倉天心『茶の本』

茶人たちは、花を選択することでかれらのなすべきことは終わったと考えて、その他のことは花みずからの身の上話にまかせた。晩冬のころ茶室に入れば、野桜の小枝につぼみの椿の取りあわせてあるのを見る。それは去らんとする冬のなごりときたらんとする春の…

森有正『バビロンの流れのほとりにて』

遥かに行くことは、実は遠くから自分にかえって来ることだったのだ。これは僕に本当の進歩がなかったことを意味してはいないだろうか。それとも本当に僕の「自分」というものがヨーロッパの経験の厚みを耐えて、更に自分を強く表わしはじめたのだろうか。今…

渡辺崋山「遺書」

拙者事(こと)不慎にて、上(かみ)へ御苦労相(あい)かけ候ては恐入(おそれいり)候間(あいだ)、今晩自殺致候。御母様へ対し申訳無之(もうしわけこれなく)、不忠不孝の名後世にのこり、何とも其許(そのもと)にも申訳無之、さぞ/\後に御困難可被成(ならるべく)…

保田與重郎「日本の橋」

日本の橋は材料を以て築かれたものでなく、組み立てられたものであつた。原始の岩橋の歌さへ、きのふまでこゝをとび越えていつた美しい若い女の思ひ出のために、文字の上に残されたのである。その石には玉藻もつかう、その玉藻は枯れ絶えても又芽をふくもの…

本居宣長『玉勝間』

おのれ古典(いにしえぶみ)をとくに、師の説とたがへること多く、師の説のわろき事あるをば、わきまへいふこともおほかるを、いとあるまじきことゝ思ふ人おほかめれど、これすなはちわが師の心にて、つねにをしへられしは、後によき考への出来たらんには、か…

戸坂潤『思想としての文学』(「娯楽論」)

娯楽は元来芸術性を有(も)っているのだ、そして芸術も最後まで娯楽的特色と絶縁することは出来ない。芸術の大衆性をまともに考えれば、そうあらざるを得ない。勿論娯楽はそのままで芸術にはならぬ。だが芸術への案内人であり客引きでなければならぬというの…

西郷隆盛「偶成」(木田元 訓注)

幾たびか辛酸を歴(へ)て志(こころざし)始めて堅し 丈夫(じょうふ)玉砕すとも甎全(せんぜん)を愧(は)づ 一家の遺事 人知るや否や 児孫の為に美田を買はず ※甎全 いたずらに身の安全を保つこと。

棟方志功『板極道』

「ようし、日本のゴッホになる」「ヨーシ、ゴッホになる」――その頃のわたくしは油絵ということとゴッホということを、いっしょくたに考えていたようです。わたくしは、何としてもゴッホになりたいと思いました。プルッシャンブルーで描かれたゴッホのひまわ…

河上肇『自叙伝』

敵よりも恐ろしからむ食ひ物のけふこのごろのこのともしさは 人も我もただ食ひ物のこと思ひ日を過ごしゆく囚人のごと この頃、食物がひどく不自由になって、好物の菓物が食べられないのは勿論のこと、味噌汁も毎朝食べることが出来ず、三度三度の飯すら、い…

寺田寅彦「子猫」

私は猫に対して感ずるような純粋なあたたかい愛情を人間に対していだく事のできないのを残念に思う。そういう事が可能になるためには私は人間より一段高い存在になる必要があるかもしれない。それはとてもできそうもないし、かりにそれができたとした時に私…

世阿弥『風姿花伝』

秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。この分け目を知る事、肝要の花なり。そも/\、一切の事(じ)、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるが故なり。しかれば、秘事といふことを顕はせば、させる事にてもなきものな…

柳田国男『海上の道』

今でも明らかに記憶するのは、この小山の裾を東へまわって、東おもての小松原の外に、舟の出入りにはあまり使われない四五町ほどの砂浜が、東やゝ南に面して開けて居たが、そこには風のやゝ強かった次の朝などに、椰子の実の流れ寄って居たのを、三度まで見…

鈴木大拙「東洋「哲学」について」

東洋では霊性的美の欠けたものを、ほんとうの美とは見ないのである。霊性的生活から遊離した美は、ただそれだけのことで、それ以上には何の意味をも持たない。茶人は、床の間に、何もおかずに、まだ開きもせぬ一枝の花をそのまま、何の飾りもない花瓶の中に…

南方熊楠「履歴書」

槍が専門なればとて、向うの堤を通る敵を見のがしては味方の損なり。そのとき下手ながらも鉄砲を心得おり打って見れば中ることもあるべし。小生何一つくわしきことなけれどいろいろかじりかきたるゆえ、間に合うことは専門家より多き場合なきにあらず。一生…

西田幾多郎「或教授の退職の辞」

回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。しかし明日ストーヴに焼(く)べられる一本の草にも、それ相応の…

柳宗悦『民芸四十年』

偉大な古作品は一つとして鑑賞品ではなく、実用品であったということを胸に明記する必要がある。いたずらに器を美のために作るなら、用にも堪えず、美にも堪えぬ。用に即さずば工藝の美はあり得ない。これが工藝に潜む不動の法則である。

丘浅次郎「疑いの教育」

初等教育においては、宜しく、信ずる働きと疑う働きとを何(いず)れも適当に養うことが必要である。疑うべき理由の有ることは何処までも疑い、信ずべき理由を見出したことは確(たしか)にこれを信じ、決して疑うべきことを疑わずに平気で居たり、また信ずべき…

鏑木清方「築地川」

鶸色に萌えた楓の若葉に、ゆく春をおくる雨が注ぐ。あげ潮どきの川水に、その水滴は数かぎりない渦を描いて、消えては結び、結んでは消ゆるうたかたの、久しい昔の思い出が、色の褪せた版画のように、築地川の流れをめぐってあれこれと偲ばれる。

丸山真男「「である」ことと「する」こと」

自由は置き物のようにそこにあるのでなく、現実の行使によってだけ守られる、いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。その意味では近代社会の自由とか権利とかいうものは、どうやら生活の惰性を好む者…

竹内好『日本と中国のあいだ』(「屈辱の事件」)

日本の天皇制やファシズムについて、社会科学者の分析があるが、私たちの内部に骨がらみになっている天皇制の重みを、苦痛の実感で取り出すことに、私たちはまだまだマジメでない。ドレイの血を一滴、一滴しぼり出して、ある朝、気がついてみたら、自分が自…

三木清「希望について」

人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。もし一切が必然であるなら運命というものは考えられないであろう。だがもし一切が偶然であるなら運命というものはまた考えられないで…

中井正一『美学入門』

一体人間は、二つの魂の誕生をもっているといえよう。世界がこんなに美しく、世の中がこんなに面白いものかと驚嘆する時がある。これが第一の誕生である。そしていつか、それとまったく反対に、人間がこんなに愚劣であったのか、また自分も、こんなに下らな…

勝海舟『氷川清話』

世の中に無神経ほど強いものはない。あの庭前の蜻蛉(とんぼ)をごらん。尻尾を切って放しても、平気で飛んで行くではないか。おれなどもまあ蜻蛉ぐらいのところで、とても人間の仲間入りはできないかもしれない。むやみに神経を使って、やたらに世間のことを…

岡本太郎「思想とアクション」

いつも読書しながら、一種の絶望感をおぼえる。確かに面白い。対決もある。だが眼と頭だけの格闘はやはり空しい。人生はまたたく間もないほど短いのである。ハイデッガー、ヤスパース、サルトルにしても、実存を説きながら、なんであのようにながながと証明…