2014-11-01から1ヶ月間の記事一覧

石川淳「紫苑物語」

月あきらかな夜(よる)、空には光がみち、谷は闇にとざされるころ、その境の崖のはなに、声がきこえた。なにをいふとも知れず、はじめはかすかな声であつたが、木魂がそれに応へ、あちこちに呼びかわすにつれて、声は大きく、はてしなくひろがつて行き、谷に…

柳田国男『遠野物語 九九』

土淵(つちぶち)村の助役北川清という人の家は字(あざ)火石(ひいし)にあり。代々の山臥(やまぶし)にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ婿に行きたるが、先年の大海嘯(おおつなみ)に遭…

柳田国男『遠野物語 六三』

小国(おぐに)の三浦某というは村一の金持なり。今より二三代前の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍なりき。この妻ある日門(かど)の前を流るる小さき川に沿いて蕗を採りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。さてふと見れば立派なる…

泉鏡花『高野聖』

婦人(をんな)は衣紋を抱き合せ、乳の下でおさへながら静(しづか)に土間を出て馬の傍(わき)へつつと寄つた。 私は唯(ただ)呆気に取られて見て居ると、爪立(つまだち)をして伸び上り、手をしなやかに空(そら)ざまにして、二三度鬣(たてがみ)を撫でたが。 大き…

泉鏡花『草迷宮』

「其(それ)が貴僧(あなた)、前刻(さつき)お話をしかけました、あの手毬の事なんです。」 「ああ、其の手毬が、最(も)う一度御覧なさりたいので。」 「否(いいえ)、手毬の歌が聞きたいのです。」 と、うつとりと云つた目の涼しさ。月の夢を見るやうなれば、変…

三遊亭円朝『怪談牡丹燈籠』

そのうち上野の夜の八ツの鐘がボーンと忍ケ岡の池に響き、向ケ岡の清水の流れる音がそよそよと聞こえ、山に当る秋風の音ばかりで、陰々寂寞(せきばく)、世間がしんとすると、いつもに変わらず根津の清水(しみず)の下(もと)から駒下駄の音高くカランコロンカ…

鈴木牧之「織婦(はたおりをんな)の発狂(きちがひ)」『北越雪譜』より

ひととせある村の娘、はじめて上々のちぢみをあつらへられしゆゑ大(おほい)によろこび、金匁(きんせん)を論ぜず、ことさらに手際をみせて名をとらばやとて、績(うみ)はじめより人の手をからず、丹精の日数を歴(へ)て見事に織おろしたるを、さらしやより母が…

鈴木牧之「雪吹(ふぶき)」『北越雪譜』より

美佐嶋(みさしま)といふ原中に到(いたり)し時、天色(てんしよく)倏急(にはか)に変り黒雲(くろくも)空に覆ひければ 是雪中の常也 夫(をつと)空を見て大に驚怖(おどろき)、こは雪吹(ふぶき)ならんいかがはせんと踉蹡(ためらふ)うち、暴風(はやて)雪を吹散(ふき…

渡部昇一『国民の教育』

なぜ、今の日本でいじめ問題が深刻化しているのか。それについては、さまざまな解釈や議論がなされているが、これという明確な答えは出ていない。しかし、どうすれば「いじめ」の結果、自殺してしまう子どもたちを減らせるかははっきりしている。 今の日本で…

山崎正和「「教養の危機」を超えて」

一九四五年の春、十九歳になった一人の哲学志望の青年は新潟県の山深い寒村にいた。すでに太平洋戦争も末期的な段階にはいっていて、戦時措置の繰り上げ入学で東京大学に進んだ青年は、しかし学業のいとまもなく動員されて農業に従事していたのである。 いつ…

丸谷才一「批評の必要」

小説を商品として考へてみよう。新作小説は新商品だから、もしそれがいいものなら誰だつて使ひたい。つまり読みたい。そこで、買つて得のする、あるいは損のゆく、商品だよとみんなに教へるのが批評家の役目である。さらに、ほかの製造業者、つまり小説家に…

小田実『何でも見てやろう』

「画一主義(コンフォーミズム)」から脱け出す、あるいはそのポーズをする近路は、他国の事物、そのもろもろにとびつくことである。それもフランスなどというケチくさいことは言うまい。中国もいいが、あそこは政治が気にくわぬ。とすると、日本だ。日本もま…

梅棹忠夫『文明の生態史観』

インドは、ながくイギリスの植民地だったけれど、それにもかかわらず、この国には、一種の中華思想がいきているようにおもった。 インドは、なんべんも外からの侵入をうけた。しかし、侵入者はみんなインドに同化したではないか、という自信である。なるほど…

司馬遼太郎『草原の記』

ウランバートルは、二千年の大民族の首都でありながら、かれらが栄えた十三世紀の世界帝国のころの遺物や遺跡や博物館もない。ソ連がそれをゆるさなかったということもあるだろうが、ひとつには物への執着が稀薄すぎるようなのである。 元のことが、脳裏にあ…

加藤周一『私にとっての二〇世紀』

経済学者が「反戦」ということをいわないという時に、「なぜいわないのですか」と訊ねると、私の専門は経済だから専門ではない。ヴェトナム戦争はもちろん経済現象ではあるが経済現象だけではない、もっと複雑な政治的、イデオロギー的、さまざまな文化的問…

丸山真男『日本の思想』

学生時代に末弘(厳太郎)先生から民法の講義をきいたとき「時効」という制度について次のように説明されたのを覚えています。金を借りて督促されないのをいいことにして、ネコババをきめこむ不心得者がトクをして、気の弱い善人の貸し手が結局損をするとい…

福田恆存「論争のすすめ」

今日、民主主義は「話合ひ」の政治だと言ひ、暴力の防波堤だと言ふ。しかし、ディアレクティックとレトリックを欠いた言論は暴力であり、暴力を誘発する。私は力と力との衝突を目的と目的との衝突と解するから、それを否定しない。だから、それを論争といふ…

福田恆存「伝統にたいする心構」

現代の文明における最大の弱点は何かと言へば、人々の間にすべてを労せずして手に入れようといふ風潮を生じたことです。人々は労せずして手に入るものにしか目につけないし、興味ももたない。さういふものだけが価値あるものと考へ、またさうすることこそ価…

谷崎潤一郎「陰翳礼讃」

もし日本座敷を一つの墨絵に喩へるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使ひ分けに巧妙であるかに感嘆する。なぜなら、そ…

佐藤春夫「東洋人の詩感」

いつたい西洋の詩人は、自然を見るにも常に擬人的にしか見られないし見る事をしない。ギリシャ神話だつて、自然の美しいところはにはニンフが住むでゐると考へて、初めて美を感ずる。或は美をいひ現はす為めにニンフが住むでゐるといふのか、ともかく自然と…

本居宣長「からごころ」

漢意(カラゴコロ)とは、漢国(からくに)のふりを好み、かの国をたふとぶのみをいふにあらず、大かた世の人の、万の事の善悪是非(ヨサアシサ)を論(あげつら)ひ、物の理(リ)をさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍(カラブミ)の趣なるをいふ也、さるはからぶみをよ…

世阿弥『風姿花伝』

秘する花を知ること。「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」となり。この分け目を知ること、肝要の花なり。 そもそも一切の事(じ)、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用(だいよう)あるがゆゑなり。しかれば秘事といふことをあ…

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』

盲導犬を一人前に仕立て上げることの難しさはよく知られている。訓練を受けた盲導犬がすべて盲導犬としての役割を果たすようになるわけではない。 なぜ盲導犬を訓練によって一人前に仕立て上げることはこれほど難しいのか? それは、その犬が生きる環世界の…

藤原正彦「数学と文学」

数学は自然科学の一分野として一般に考えられているが、私は必ずしもそれに同意していない。数学が自然科学の諸分野に不思議なほど効果的に利用されてきた、という歴史的事実があるに過ぎない。物理学等の要請を受けて数学が発展することもあるが、多くの場…

佐藤文隆「中国の天文」

太陽や月、それに夜空を彩る星も身近な自然の一部を構成する。ただし野山の自然などと違って五感にはあまりインパクトの大きいものではない。もちろん太陽は強烈だが変化がないので機械仕掛けのイメージである。夜空には微かではあるが季節による星座の変化…

永田和宏「体のなかの数字」

タンパク質はアミノ酸が繫がったものだということくらいは、高校の生物でかすかに習った記憶があるだろう。平均すると一個のタンパク質は数百個のアミノ酸が紐のようにつながっている。数百個のアミノ酸を、遺伝子に記された設計図どおりに順序正しくつない…

多田富雄「人権と遺伝子」

「人権」というのを辞書で引くと、「人間が生まれながらにして持っている固有の権利、変更することも侵すこともできないもの」というような定義が出てくる。「生まれながらに」とか、「変更不可能で固有の」とか言われると、私のように医学生物学の研究をし…

中谷宇吉郎『科学の方法』

紙の落ち方は、同じ落ち方を二度とはしないが、ほんとうのところは、鉄の球でも二度と同じ落ち方はしないのである。原理的には、両方とも同じことであるが、鉄の球の場合は、再現可能な要素が強く、不安定で再現困難な要素の影響が、測定の精度よりも小さく…

中谷宇吉郎「語呂の論理」

「雪中の虫」の説はなかなかの傑作である。凡そ銅鉄の腐るはじめは虫が生ずるためで、「錆(さびる)は腐(くさる)の始(はじめ)、錆(さび)の中かならず虫あり、肉眼に及ばざるゆゑ」人が知らないのであるが、これは蘭人の説であるという説明があって、その…

森鷗外「かのやうに」

秀麿は語を続(つ)いだ。「まあ、かうだ。君がさつきから怪物々々と云つてゐる、その、かのやうにだがね。あれは決して怪物ではない。かのやうにがなくては、学問もなければ、芸術もない、宗教もない。人生のあらゆる価値のあるものは、かのやうにを中心にし…