2014-12-01から1ヶ月間の記事一覧

『平家物語』

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひとへ)に風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高(てうかう)、漢の王莽(わうまう…

吉田兼好『徒然草』

花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情(なさけ)ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、はやく散り過ぎにけ…

鴨長明『方丈記』

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。たましきの都のうちに棟(むね)を並べ、甍を争へる高き賤しき人の住ひ…

清少納言『枕草子』

春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。 夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ蛍飛びちがひたる。雨などの降るさへをかし。 秋は夕暮。夕日花やかにさして山ぎはいと近くなりたるに、烏のねど…

吉田満『戦艦大和ノ最期』

本作戦ハ、沖縄ノ米上陸地点ニ対スルワガ特攻攻撃ト不離一体ニシテ、更ニ陸軍ノ地上反攻トモ呼応シ、航空総攻撃ヲ企図スル「菊水作戦」ノ一環ヲナス 特攻機ハ、過重ノ炸薬(通常一瓲(トン)半)ヲ装備セルタメ徒ラニ鈍重ニシテ、米迎撃機ノ好餌トナル虞(オソ)…

永井荷風『断腸亭日乗』

三月九日。天気快晴。夜半空襲あり。翌暁(よくぎょう)四時わが偏奇館焼亡す。火は初(はじめ)長垂坂中ほどより起り西北の風にあふられ忽(たちまち)市兵衛町二丁目表通りに延焼す。余は枕元の窓火光(かこう)を受けてあかるくなり鄰人の呌(さけ)ぶ声のただなら…

文語訳『新約聖書』(「マタイ伝」第七章)より

求めよ、然(さ)らば与へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。すべて求むる者は得(え)、たづぬる者は見いだし、門をたたく者は開かるるなり。汝等のうち、誰(たれ)かその子パンを求めんに石を与へ、魚(うを)を求めんに蛇を与へんや。…

大町桂月「日の出」

邦人多く月を賞すれども、未だ太陽を賞する者あるを聞かず。自然に対する審美眼、欠乏せるに非ずや。 いらかの浪うつ都の中にのみ住める人は、ただ太陽の益を知りて其美を知るに由なかるべけれど、一たび高山の巓(いただき)にのぼりて、日の出を見よ。又海辺…

尾崎紅葉『金色夜叉』

車は駛(は)せ、景は移り、境(さかひ)は転じ、客は改まれど、貫一は易(かは)らざる其の悒鬱(いふうつ)を抱きて、遣る方無き五時間の独(ひとり)に倦(う)み憊(つか)れつつ、始て西那須野の駅に下車せり。 直ちに西北に向ひて、今(いま)尚(なほ)茫々たる古(いに…

徳冨蘆花「寒月」『自然と人生』より

夜九時、戸を開けば、寒月昼の如し。風は葉もなき万樹(ばんじゆ)をふるひて、飄々、颯々、霜を含める空明(くうめい)に揺動し、地上の影(かげ)木と共に揺動す。其処此処に落ち散る木の葉、月光に閃いて、簌(さく)、々、々、玉屑(ぎよくせつ)を踏む思(おもひ)…

高山樗牛『瀧口入道』

世に畏るべき敵に遇はざりし瀧口も、恋てふ魔神には引く弓もなきに呆れはてぬ。無念と思へば心愈々乱れ、心愈々乱るるに随(つ)れて、乱脈打てる胸の中に迷ひの雲は愈々拡がり、果は狂気の如くいらちて、時ならぬ鳴弦の響、剣撃の声に胸中の渾沌を清(すま)さ…

幸田露伴『五重塔』

上りつめたる第五層の戸を押明けて今しもぬつと十兵衛半身あらはせば、礫(こいし)を投ぐるが如き暴雨の眼も明けさせず面(おもて)を打ち、一ツ残りし耳までも扯断(ちぎ)らむばかりに猛風の呼吸(いき)さへさせず吹きかくるに、思はず一足退(しりぞ)きしが屈せ…

荒川洋治「文学は実学である」

この世をふかく、ゆたかに生きたい。そんな望みをもつ人になりかわって、才覚に恵まれた人が鮮やかな文や鋭いことばを駆使して、ほんとうの現実を開示してみせる。それが文学のはたらきである。 だがこの目に見える現実だけが現実であると思う人たちがふえ、…

中野好夫「言葉の魔術」

言語への過信が近代人最大の迷妄の一つではないかと思う。人間の言葉というものが、そんなに完全なものとでも思ったら、とんでもないこれは大間違い。言語の買い被りくらい危険なものはない。言葉とはおよそ不完全な道具なのである。結局どちらに転んだにし…

石川淳「模倣の効用」

泥棒の縁語でいえば、文学上にヒョーセツ〔剽窃〕というやつがある。ヒョーセツについては、つとに大むかしにアナトール・フランスが卓説を述べているね。今さら先人の卓説をヒョーセツするにもおよばないが、アナトール・フランスの忠告にしたがえば、蟻が…

林達夫「文章について」

一般に自然的文体として嘆賞されている文章は、殆ど例外なく最も苦心努力された文章統制のたまものである。或る種のわざとらしい不自然な文章が努力と工夫の跡を匂わしているからと言って、そこからいきなり、だから文章上の苦心と工夫が無用であり邪道であ…

内田樹『街場の現代思想』

短期的には合理的だが、長期的には合理的でないふるまいというものがある。あるいは少数の人間だけが行う限り合理的だが、一定数以上が同調すると合理的ではないふるまいというものがある。 例えば、「他人の生命財産を自由に簒奪してもよい」というルールは…

三木清「成功について」

今日の倫理学の殆どすべてにおいて置き忘れられた二つの最も著しいものは、幸福と成功というものである。しかもそれは相反する意味においてそのようになっているのである。即ち幸福はもはや現代的なものでない故に。そして成功はあまりに現代的なものである…

九鬼周造「日本的性格」『人間と実存』より

日本の道徳の理想にはおのづからな自然といふことが大きい意味を有(も)つている。殊更らしいことを嫌つておのづからなところを尊ぶのである。自然なところまで行かなければ道徳が完成したとは見られない。その点が西洋とはかなり違つてゐる。いつたい西洋の…

阿部次郎『三太郎の日記』

我らは何ゆえに「おのれ」ならぬものに奉仕せざるべからざるか。この世にはかぎりなき享楽の対象がある。自然も美しく、女も美しく、酒もまた美しい。しかるに我らは何ゆえにこれらのものの甘美なる享楽を捨てて――時にはいっさいの享楽を可能にする自己の肉…

親鸞『歎異抄』

善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。この条(でう)、一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善(さぜん)のひとは、ひとへに他力を…

道元「生死」

生(しやう)より死にうつると心うるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきあり、のちあり。かるがゆゑに、仏法の中には、生すなはち不生(ふしやう)といふ。滅(めつ)もひとときのくらゐにて、又さきあり、のちあり。これによりて、滅す…

源信『横川法語』

夫(それ)一切衆生三悪道(さんまくどう)をのがれて、人間に生(うまる)る事、大なるよろこびなり。身はいやしくとも畜生におとらんや。家まづしくとも餓鬼にはまさるべし。心におもふことかなはずとも、地獄の苦しみにはくらぶべからず。世のすみうきはいとふ…

小田嶋隆『イン・ヒズ・オウン・サイト』

20年以上前、駿台予備校の夏期講習で、古文の授業を受けた。素敵な授業だった。教師は、「源氏物語の特徴」と題して、黒板に以下のようなことを書いた。 *主語の欠落 *目的語の欠落 *論理の飛躍 *時間の停滞・飛躍・逆行 *話題の急転換 で、これらにつ…

斎藤美奈子「バーチャルな語尾」

あら、ごめんなさい。でもフォアグラを選ぶなんてあなたらしくないわ。ガチョウの魂はのぞいたの? かわいそうに、それはつらかったはずよ。あなたはきっと、あえて目をそむけたのね。 これは、たまたま手元にあった最新のイギリスの通俗小説の日本語訳の一…

斎藤美奈子「「それってどうなの主義」宣言」

「それってどうなの主義」宣言 「それってどうなの主義」とは、何か変だなあと思ったときに、とりあえず、「それってどうなの」とつぶやいてみる。ただそれだけの主義です。 つぶやいたところで急に状況が変わるわけでも、事態が改善されるわけでもありませ…

椎名誠「「東京スポーツ」をやたらと誉めたたえる」

駅のホームのゴミバコから新聞をひっぱり出してタダ読みする、という人はけっこう多い。あれはちょっとミットモナイという気分もあるけれど、でもそんなに恥ずかしいことでもないように思うのだ。そうしたからとて誰か迷惑する、というわけでもないのである…

外山滋比古『考えるとはどういうことか』

もともと、知識と経験は相性がよくありません。放っておくと、この二つはなかなか手を結ばない。それを結びつけて新しいものを生み出すには、何らかの触媒が必要でしょう。化学の世界では、そのままでは化合しないAとBという物質があるとして、Cという触…

丸谷才一「英雄色を好む」

わたしは概して「歴史にイフはない」といふ考へ方に反対したいたちの人間でして、すくなくとも「イフ」をすこしは考慮に入れるほうが歴史はよくわかる、と思つてゐます。しかし、「歴史にイフはない」といふのは歴史の展開が個人の恣意とかそれとも偶然のい…

山本夏彦「何用あって月世界へ」

「何用あって月世界へ――月はながめるものである」という文章を、かねがね私は書きたいと思っていた。 そこで、こうして書いてみた。 「何用あって月世界へ」 これは題である。 「月はながめるものである」 これは副題である。 そしたら、もうなんにも言うこ…