2011-12-01から1ヶ月間の記事一覧
「なにもかもなんと悲しいのだろう。」
それに、享楽し得るためには、教養が必要であること、いや、教養は常に取りも直さず享楽能力であること――それも彼にはわかっていた。
人生というものは、われわれにとって、たとえ「幸福な」と呼ばれるような形を取ろうが取るまいが、それ自身として善きものなのではなかろうか。
「ほんとは現実というものが、世の中で一番貴いもので――いえ、貴いものそれ自身ですのにね。……それにまたわたくしわかりますのよ、手でつかめるもののほかになにかがある、なにかもっと微妙なものがあるというのが……」
およそ不幸というものは、たった一つしかない――自分に対する好感を失うことである。自分が自分に気に入らなくなる、それが不幸というものなのである。
それが今は。それが今は。――
「だからお願いだ。今にお前は、自分だけに頼るよりほかはなくなるんだということを、覚えていてくれよ。」
必然性というものは実に慰めになるものだから。またもしかすると、ちょっとのあいだ、自分自身に対する一種の優越感と無関心、といったようなものを享楽するためでもあろうか。なぜといって無関心――それは一種の幸福だということをおれは知っている。
ダリはニューヨークにショックを与えることはできないが、ニューヨークはダリにショックを与えることができる。
事実はくたびれ、現実は消費される。
マンハッタン。ここには何かを意識している時間はない。
初期の建物を保存するために破壊することは必要な行為なのである。マンハッタンの過密の文化では、破壊は保存の別名である。
自分の過去とほかの建物の過去とに取り憑かれた家を建設すること、これがまがいものの歴史、「古さ(エイジ)」、そして威厳を生みだすマンハッタニズムの戦略なのである。マンハッタンでは、新しく革命的なものは、いつも親しみ深げな偽りの光に照らされて…
水族館は無意識に対する意識のモダニズム的復讐である。魚、つまり「深海の住人」は無理矢理サナトリウムで余生を送らされるのである。
針と球はマンハッタンの形態的ヴォキャブラリーの両極端を構成し、その建築的選択肢の両外縁を形作っている。 針はグリッド内に位置する最も薄く最も内容積の小さい構造物である。 それは最大限の物理的インパクトと極小の土地面積とを両立させる。つまると…
マンハッタンはパリの対立物であり、反ロンドンなのである。
マンハッタンは進歩という名の演劇である。 ※太字は出典では傍点
波瀾万丈の人生を送った映画スターほど、我が強過ぎて決まりきった人生のパターンには飽き足らず、さりとて己れの意図を述べるほどには頭が整理されておらず、また事件を記録または記憶しておくほど用意周到でもない場合が多いものだ。そこでゴーストライタ…
マンハッタンの建築とは、過密の活用のためのパラダイムなのだ。 ※太字は出典では傍点
マンハッタニズムとは、アーバニズムのイデオロギーである。
マンハッタンは見るものに、建築のエクスタシーというものを一貫して与え続けてきた。 それにもかかわらず――或いはそれ故に――、マンハッタンの都市としてのパフォーマンスとそこに含意されるさまざまな意味は、建築を職業とする人々から一貫して無視され、抑…
マンハッタンは二十世紀のロゼッタ・ストーンである。
私は予言するが、今後民主的な諸大国の中に台頭する好戦的君主はすべて、軍隊を用いて勝利を得ることより、勝利の後に軍隊を平和に慣れさせることの方がはるかに難しいことに気づくであろう。民主的な人民が為すのに常に大きな困難を覚えることが二つある。…
なぜなら、民主的な世紀にあって、すべてのものが動く中で何よりも動きやすいものは人の心だからである。
一国の人民がどんなに努力しても、その中で境遇を完全に平等にするには至らぬであろう。そして、仮に不幸にもこの絶対的で完全な平等に達したとしても、なお知力の不平等は残り、これは直接神に由来するだけに、つねに法の規制の外に出るだろう。 一国の人民…
演劇ほど時の社会状態と密接で多くの絆で繋がっている文学の分野は他にない。
民主的な国民にあっては、文筆に秀でようという野心をもつ者はすべて、古代の著作を時には養分とすべきである。それは良い薬である。 古代人の文学作品には非の打ち所がないと私が見ているわけではない。私はただ、それらには特別の長所があって、それがわれ…
平等は世界にとてもよいことをもたらすが、後に示すように、人々に極めて危険な本能を吹き込むことは認識しなければならない。それは人間を互いに孤立させ、誰もが自分のことしか考えないようにさせる。 それはまた人々の心を度外れなほど物質的享楽に向かわ…
アメリカはだからデカルトの教えを人が学ぶこと最も少なく、これに従うことは最も多い国の一つである。
人間は敵から真実を受け取ることは決してなく、味方が真実を告げることも滅多にない。