2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧
私の祖先たちの最大の特性は死者であるということである。私は慎ましく、しかし誇りをもってその特性を受け継ぐ瞬間を待ち望んでいる。
「お願いだから窓を締めて」とタリタが言った。 「窓が開いているってことはなによりも必要なことなんだよ」とオリベイラが言った。
彼はいろいろな意味において還りは往きであることに気がつき始めていた。
「問題は」とラ・マーガは、ヒーターの上でミルクを搔きまわしながら言った。「幸福はたった一人のものでしかないのに、不幸はみんなのものらしいってことよ」 「当然至極の帰結です」とグレゴロヴィウスが言った。
この世の誰にでも同様のことは起る、双面神像をきめこんでも無駄なこと、現に四十歳を過ぎればほんとうの顔はうなじにあって、絶望的に後ばかり見ているではないか。それこそまさに陳腐というものだ。なにもすることがない、ということを、一つ顔になった若…
また人間はいつでも人間以上であり人間以下であるが、人間以上なのは人間はジャズが暗示しはぐらかし予兆しているものを内に持っているからであり、人間以下なのは人間はこの自由を美的・倫理的な遊戯に、その上で自らビショップかナイトになりすますところ…
考えてみれば、われわれにはほとんど前途の見通しはつかないものなのだ。そこにまた、世界を造りたもうた偉大な神に安んじて依り頼むいわれもでてくるのである。つまり、神がその被造物である人間をまったく無一物の逆境に陥れるということはなく、どんなひ…
私の今までの境涯は、人間誰しもかかりやすい例の業病にみまわれた人々へのみせしめであった。思うに人間の不幸の半分は、じつにこの業病に発するといってもよかった。つまり、それは、人間が神と自然が定めた境遇に満足できないということ、まさしくこのこ…
われわれ人間にとって、自分の境遇のほんとうな姿はそれとまったく相反するものをつきつけられるまではわからないものなのだ。げんに自分がもっているものの値打ちは、それを失ってみなければわからないものなのだ。
われわれ人間にとってぎりぎりの最悪の事態でさえも、神は場合によってはいともたやすく、それをさらに悲惨なものにすることができるということを私は知った。
欠乏を訴える不満は、すべて、現にあたえられているものを感謝する心の欠乏から生ずる、というのが私の考え方だった。
もう今では世間を、自分とは関係のない、それについてなんら期待も欲望ももたない、ある遠い存在とみなすようになっていた。じっさい、私は世間とはまったく無縁であったし、おそらくいつまでもそうであろうと思われた。したがって、世間をみる私の見方は、…
私はいった。「もし神が自分を捨てたまわないとすれば、たとえ全世界が自分を捨てても、それがどんな不幸な結果をひきおこすというのか。どんな意味があるというのか。だがその反対の場合はどうか。もし自分が全世界をえても、神の恩寵と祝福を失えば、これ…
飛ぶように過ぎて行く群衆の中に、一段と鮮やかに浮ぶ顔は、いったい、誰なのだ? ああ、そうだ、これらの顔! 私が、自分の胸にこの質問を発すると、みんな、一斉に私の方を向く!
この人生というものは、案外ついに起らないことが、結果においては、往々、起ったと同様、いや、それ以上の現実性さえ持つことがあること、それもよく考えてみた。
話し進むにしたがって、私は、だんだん彼女が、自分のことを、過去の形でしゃべっているのに気がついて、たまらなく心が痛む。
「つまり、欲と奸智という奴は、必ずきまってやり過ぎをやる、そして結局、策士、策に倒れるということなんだな。これは、君、大地を打つよりもたしかだ」
誰でも、今私のしているように、その一生を一ページ一ページ回想して、もしあとで、みすみす粗末にしてしまった数々の才能、むざむざ浪費して失った機会、さては、たえず胸の内で戦い合う気紛れ、邪(よこし)まな思いについに負けた、等々という鋭い悔いを残…
ところで、私たち誰でも、ときどき、こんな経験をすることがあるのではなかろうか? つまり、今言ったり、したりしていることが、そのまま遠い昔に言ったり、したりしたことででもあるかのような気がしてくる――そして、今周囲に見る顔や物や事情は、そのまま…
「君、世間を見たまえ。いいところもあれば、悪いところもある。教会法だって、その点同じことさ。みんな組織の一部分なんだからね。それでいいんだ。な、そうだろう!」
「つまり、よほどの理由でもないかぎり、どんなことにも、どんな人の意見にも、決して動かされないだけの強い人間になることなの。私の望むのは、ただそれだけ」
「まず自分自身に恥ずかしくないような人間になることね」
「あなたは、まだ年端もいかない子供だから、この世の中が、どんなに毎日変るものだか、また次々と人々が死んでゆくことなど、おわかりにならないだろうけどもね」とミセス・クリークルが言った。「やはり、わたしたちはね、そのことを知らなければならない…
われわれが愛するものに対して勇気がもてるのは、いっそう愛さなくなった時である。
人は孤独のなかから、性格を除いたあらゆるものを得ることができる。
人間は、自分の気質即ち魂を思うままにえらびとれないように、自分以上の役割はやれないものである。
恋が与えることのできる最大の幸福は、はじめて愛する女の手を握ることである。 これと反対に、色ごとの幸福は、はるかに現実的で、いっそう冗談の的にされやすい。
涙は極端な微笑なのである。
羞恥心の不都合な点は、たえず嘘をつかせることである。
我々は、それぞれ自分が真実だと思うことを勝手に書きつけて、その隣人を否認している。