2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

シェイクスピア『十二夜』(小田島雄志 訳)

ヴァイオラ あの人は利口だから阿呆のまねができるのね、 阿呆をつとめるにはそれだけの知恵がいる。 冗談を言うにも、相手の気持をさぐり、人柄を見きわめ、 時と場合を心得ていなければならない。そして、 鷹のように目の前を横切る獲物をのがさず 捕らえ…

シェイクスピア『十二夜』(小田島雄志 訳)

ヴァイオラ 私たち男は誓いのことばを並べます、まことしやかに。 でも心にもない見せかけだけです。口数は多めで 愛情は少なめ、というのが私たちの負いめです。

シェイクスピア『冬物語』(小田島雄志 訳)

ポーリーナ 現在というものはつねにいかなる過去よりもおのれが上と 自慢するもの

シェイクスピア『冬物語』(小田島雄志 訳)

ポリクシニーズ しかし実は その人工の手そのものが自然なのだ。

シェイクスピア『冬物語』(小田島雄志 訳)

ポリクシニーズ それはそうかもしれぬ。だが、 なんらかの手を加えて自然がよりよくなるとすれば、 その手を生み出すのも自然なのだ。したがって、 自然にたいして加えたとあなたの言うその人工の手も、 実は自然の生み出す手に支配されているのだ。

シェイクスピア『冬物語』(小田島雄志 訳)

ポーリーナ 饒舌が役に立たぬとき、無邪気な沈黙は なにより人の心を動かすものです。

シェイクスピア『冬物語』(小田島雄志 訳)

カミロー たしかに私は怠慢で、ばかで、臆病かもしれません、 そのうちのどの一つでもまぬがれている人間はおらず、 この世の数かぎりないいとなみのなかで、いつかは おのれの怠慢、愚かさ、臆病が顔を出してしまうものです。

阿部嘉昭『松本人志ショー』

そしてわかるはずだ、松本の「異類」コントの基本にあるのは「哀しみ」だと。それで笑いとともに「哀しみ」までもが転写されてゆく。

阿部嘉昭『松本人志ショー』

松本のつくりだす漫才やコントは見事にオチを欠いている。だから総体でそれらの時間をとらえれば、それはひとつの無変化という「停滞」をしか示さない。ただ、その瞬間瞬間が笑いのための創意にみち、だから「停滞」のなかを、なおも時間が豊かにあふれだし…

阿部嘉昭『松本人志ショー』

たけしの視線は状況に対して全体把握的だ。その全体把握をおこないながら滑空してゆくことで彼の漫才の「時間」が生じる。彼はだからそこに「現代」という領域をつくりあげることができた。領域の実体化というこの点を考えれば、その漫才は「積分的」と呼べ…

清水正『ビートたけしの終焉――神になりそこねたヒーロー』

ビートたけしは意味は〈ない〉ことを強調しているが、その根拠を示すことはできないから、意味が〈ある〉ことを強調しても、べつにおかしくはない。ビートたけしは「意味がないのに意味があるかのようにして生きていく方法がはびこっているんだよ」と言って…

清水正『ビートたけしの終焉――神になりそこねたヒーロー』

タイトルSonatineは中のonとtiと最後のeが消えてSanとなり、次いでSとnが消えてaとなる。これは面白い。Sanは太陽(Sun)ではなく、息子(Son)でもない。aはアルハベットの最初であるから原初的なものを意味する。 村川は真の意味での英雄・神としての太陽にな…

金井景子「自画像のレッスン――『女学世界』の投稿記事を中心に」(小森陽一 紅野謙介 高橋修 編『メディア・表象・イデオロギー――明治三十年代の文化研究』所収)

共感をもって読まれたいと思うとき、あるいは書かれたものが状況に有効に機能することを願うとき、そこに映し出されるのは自身の欲望ではなくて、ありそうな「みんな」の欲望だということを、百年前の女性雑誌に掲載された「自画像」群は教えてくれるのでは…

高橋修「はじめに」(小森陽一 紅野謙介 高橋修 編『メディア・表象・イデオロギー――明治三十年代の文化研究』所収)

明治三十三年(一九〇〇年)には「精神病者監護法」が、その前年の三十二年には「北海道旧土人保護法」と、(同列にあげるのも憚られようが)「高等女学校令」が施行される。「精神病者監護法」は、「精神病者」を健常者から切り離し、国家の治安維持のため…

竹宮惠子『竹宮惠子のマンガ教室』

――その「構成がうまい」って感じさせるのってどういうところなんですか? お話のうまさとは違うんですよね。 竹宮 お話ではないんです。とにかく短いものの中での手塚先生のうまさっていうのは、略し方。「略し方がうまい」ってことなんだと思います。伝える…

川島雄三『花に嵐の映画もあるぞ』

僕自身で最近少しわかりかけてきたような気がするんですが、いままでいろいろ模索していたものを喜劇のかたちでやってたんだけれども、そして冗談に「積極的逃避」なんていう言葉を使っておったんですが、それはどういうことかと自分で考えてみたら、つまり…

井上忠司『「世間体」の構造 社会心理史への試み』

このようにみてくると、「世間」はひろいようでせまい。「世間」は知らなくてはならないが、知りすぎてもこまる。「世間」をさわがせてはいけないが、そうかといって、無関心であってはならない。「世間」はあまくもなければ、つめたくもない場である。ざっ…

長谷川宏『ヘーゲル『精神現象学』入門』

そもそも、ものを書くということが思考の暴走に歯どめをかけることなのだ。どんなによく知っていること、よく考えぬいたことでも、さてそれを文章に書きしるすとなると、あらためてどう書いたものかと構成を練る必要があるのは、思考することとものを書くこ…

山崎正和『柔らかい個人主義の誕生――消費社会の美学』

さて、人間の欲望のうちで、もっとも基本的なものは物質的欲望であらうが、まづこれを観察しただけでも、ただちに、欲望が無限だといふ先入見が誤りであることが理解できる。人間にとって最大の不幸は、もちろん、この物質的欲望さへ満足されないことである…

山崎正和『柔らかい個人主義の誕生――消費社会の美学』

いはば、前産業化時代の社会において、大多数の人間が「誰でもないひと(ノーボディー)」であったとすれば、産業化時代の民主社会においては、それがひとしなみに尊重され、しかし、ひとしなみにしか扱はれない「誰でもよいひと(エニボディー)」に変った、と…

ヴァルター・ベンヤミン「複製技術の時代における芸術作品」(高木久雄・高原宏平 訳)

映画は、礼拝的価値をよせつけない。それは、単に映画が観客に審査員の姿勢をとらせるからだけではない。映画館内でのこの観客の審査の姿勢がいかなる精神の集中をも必要としない、という事情にも基づいているのだ。観客はいわば試験官である。だが、きわめ…

ヴァルター・ベンヤミン「複製技術の時代における芸術作品」(高木久雄・高原宏平 訳)

ところが映画館のなかでは、観客の批判的態度と享受的態度とは、完全にひとつに融けあっている。このばあい、個人個人の反応の総和が観客全体の反応を形成するわけであるが、映画館以上に、個人の反応が、その結果であるはずの集団の反応によって、あらかじ…

蓮實重彦「〈美〉について 谷崎潤一郎『疎開日記』から」(小林康夫/船曳建夫 編『知のモラル』所収)

実際,いつもとは何かがわずかに違っているという差異への敏感さを欠いている知性は,およそ知性の名には値しません.核実験を「美しい」スペクタクルとして鑑賞しうるものに欠けているのは,まさに変化を察知しうる知性なのです.そうした知性ならざる知性…

蓮實重彦「〈美〉について 谷崎潤一郎『疎開日記』から」(小林康夫/船曳建夫 編『知のモラル』所収)

作品の創造とは,まさしく知性の行使にほかならず,感性のほしいままな飛躍などではありえないからです.愚鈍さとは,「独自性」に徹することで「一般性」=「特殊性」という秩序を超えて,「普遍性」としてある真の知性に出会うための試練にほかなりません…

蓮實重彦「〈美〉について 谷崎潤一郎『疎開日記』から」(小林康夫/船曳建夫 編『知のモラル』所収)

では,「戦争とは斯くも美しきものかな」という断言は,「戦争は悲惨だ」とつぶやくほかはない核時代の状況と,どのようにかかわるのでしょうか.ここでひとこと付言しておくなら,広島の上空に核爆弾が炸裂してからも,戦争が野蛮であることを人類がこぞっ…

蓮實重彦「〈美〉について 谷崎潤一郎『疎開日記』から」(小林康夫/船曳建夫 編『知のモラル』所収)

20世紀は,1914年に欧州で始まった第1次世界大戦から,つい最近の湾岸戦争や旧ユーゴスラビアの内戦にいたるまで,人類が戦争の野蛮さや悲惨さをいやというほど思い知らされた時代です.にもかかわらず,20世紀の真の不幸は,人類が戦争の「醜さ」を知った時…

吉本隆明[聞き手]糸井重里『悪人正機』

僕なんかでも銀行からお金を借りて、ローンで返すっていうことがあるわけだけど、それを一五年近くもやってて、つくづく感じたことは、結局、こういうふうに月々幾ら返すんだとか、返すのきついなあとか、そういうふうにお金っていうのを考えている限りは、…

吉本隆明[聞き手]糸井重里『悪人正機』

だから、名前っていうのを人にわからせたいという願望というか、もっと深層でいえば本能って言いましょうかね。それはかなり……宗教的に根強いものじゃないかなと思うんです。 だから、偶然性の要素が強いほど、名前の呪術性というか、宗教性は大きいですよね…

吉本隆明[聞き手]糸井重里『悪人正機』

そうしてみると、要するに「名前」というのは、その人の相当に根源的な部分に関わっているものがあることを意味しているものなんじゃないのかなって思ったんです。その人の、根源的な何かっていう、累代の蓄積みたいなもの、それが「吉本」っていう文字の中…

吉本隆明[聞き手]糸井重里『悪人正機』

才能とか素質とかっていうものは、何をするにも必要だってことじゃないし、邪魔になるってこともありますからね。 だから、自分だけが決めたことでも何でもいいから、ちょっとでも長所があると思ったら、それを毎日、一〇年続けて、それで一丁前にならなかっ…