2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧
「たいていの人は、子供を持ってからの年月の方が長いのに、あたしたちは子供が生まれても、父や母になってからの人生の方が、短いんですわね。」と、市子に言われて、佐山は女の取越し苦労だと思ったが、四十過ぎであれば、たしかにそうかもしれなかった。
「なるほど、中年の調和には、子供が必要かもしれないね。」
とっさのことだ。佐山の強い平手打ちが飛んだのだが、痛いというより、電気にでもふれたようなおどろきだった。 顔をかくして、さかえは泣き出した。 「ごめん。」 うろたえてあやまる、佐山の声がただごとではなかった。 「ぶって、小父さま、もっとぶって……
「若さへの郷愁、老人が若さに感じる哀愁……。」 佐山はわざと大げさに、自分を「老人」と思ってみたが、じつは老けてゆくのがおそろしいのだった。
「ここへ来てみると、わたし、長い年月、どこへもいかないでいたような気がするわ。いったい、なにをしてましたんやろ。生きるということは、ただ年を取ることだけね。」
「このごろの女の子は、歩き方から、あぶなっかしく見えるね。まるで投げやりのような、すきだらけのような。」 「そんなの、ハイ・ヒイルをはいたら、直ることですわ。」
「帰る場所も行くところもないってことと、自由ってことは、全然別だと思うけどね」
信子は、いつか国語の先生が、人間には「見る」というシンプルな動作はできないのだと言っていたことを思い出した。人間にできるのは、「観察する」「見下す」「評価する」「睨む」「見つめる」など、何かしら意味のある目玉の動かし方だけで、ただ単に「見…
「あたしが言ってるのはそういうことじゃないのよ。あんた頭いいんだから、判るでしょ? だけど、判るだけじゃ違うんだよね」
人を人として存在させているのは「過去」なのだと、康隆は気づいた。この「過去」は経歴や生活歴なんて表層的なものじゃない。「血」の流れだ。あなたはどこで生まれ誰に育てられたのか。誰と一緒に育ったのか。それが過去であり、それが人間を二次元から三…
「あることが『無かった』ことを証明するのは、あることが『在った』ことを証明するよりも、格段に難しいものです」
そうやって考えてゆくと、日本人の形成する現代のコミュニティは、完全に「会社単位」なのだという現状が見えてくると、彼は話す。 「とりわけ、男の場合はそうですね。ところが、女の人たちはちょっと違う。これはなぜかと言えば、女性がおしゃべりだからと…
上手に狂う男だ、とつぶやいた。
「白髪(はくはつ)というものは、時によって白く見えたり黒く見えたりするものですね」
私はもともと、肩幅はあるほうの男なのだ。
――しばらく、年も取りかねているんだよ。
「この街は恐い」 「なぜだ」 「だって、焼けていないから」 「そうだ」
――それがいいんだよ。あいつ、死んだのかもしれないな、とあんたは思うだろう。しかし、だから俺の名刺をひっぱり出して俺の勤め先に電話をかけて確かめようとはしないやな。生きていても死んでいても、返事に困るからな。となると、これはあんたにとって、…
「ひさしぶりにね、人の立っている姿を、目にしたような気がしたんだよ」
この国では、決して大きい仕事をなしとげたとはいえない歴史学者や文学研究家、国家の芸術機関の権力者でもある作家などが、その晩年に、国を憂える言論を始めてベストセラーにすらなることがある。(中略) それらを見て気がつくのは、老齢に達して遺言のよ…
表現することは、端的に新しく経験すること、経験しなおすこと、それも深く経験することだ。
すでに小説はバルザックやドストエフスキーといった偉大な作家によって豊かに書かれているのに、なぜ自分が書くのか? 同じように生真面目に思い悩んでいる若者がいま私に問いかけるとしよう。私は、こう反問して、かれを励まそうとするのではないかと思う。…
しばしば考えることだが、読書には時期がある。本とジャストミートするためには、時を待たねばならないことがしばしばある。しかしそれ以前の、若い時の記憶に引っかかりめいたものをきざむだけの、三振あるいはファウルを打つような読み方にもムダというこ…
しかし、私がルイス・キャロルを愛好することにはならなかった。その理由は、『不思議の国のアリス』という作品に、都会の中流・上流階級のもの、という印象をかぎつけたからであったと思う。この作品に深く影響づけられていることのあきらかな安部公房は医…
ぼくたちは、その「敵」のことを「他者」ということばで表現している。そして、その敵に寄せる思いを、「他者への想像力」と呼んでいる。おのれの「正義」しか主張できぬ不遜なもの書きの唯一のモラルは「他者への想像力」である。だが、そのいいかたはすで…
では、なにも書かねばいいのか。それでは、もの書かぬ人を拒んだことになる。では、書けばどうなるのか。それでは、もの書く人がもの書かぬ人に対して作家個人の「正義」を押しつけたことになる。どちらを選んでも、救いはないのか。いや、ひとつだけあるの…
ものを書くということは、きれいごとをいうということである。あったかもしれないしなかったかもしれないようなことを、あったと強弁することである。自分はこんなにいいやつである、もの知りであると喧伝することである。いや、もっと正確にいうなら、自分…
もの書く人はそれだけで不正義である――作家太宰治のモラルはこのことにつきている。
この「威張るな!」のひとことには、太宰治という作家が文学に要求していたモラルのすべてが凝縮している。
誰も家族に多くを期待してはいない、しかし家族的なるものを捨て去って動じないほど幸せではない。