2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

(『柳多留』)

二つ三つ内端(うちば)に年をあてるなり 若く見られることを喜ぶのが人情。そこで人の年令をあてるときは、自分が推量したのよりは二、三歳若い年令を言う

(No Title)

喫茶去(きっさこ) (趙州(じょうしゅう)禅師が、だれに対しても言った言葉)まあ、お茶を一服お上がり。

(井原西鶴『万の文反古』)

世界にこはき物は、酒の酔ひと銀(かね)の利 世の中で恐ろしい物は、酒の酔いと借金の利息である

(井原西鶴『世間胸算用』)

金銀ほど片行(ゆ)きのするものはない 金銀ほど、集まる所が片寄るものはない(大商人のもとに金が集まり、庶民はいつになっても金が溜まらない)

(浜口国雄「便所掃除」)

便所を美しくする娘は 美しい子供をうむ といった母を思い出します

(河竹黙阿弥『三人吉三廓初買』)

なるほど世間はむづかしい

(近松門左衛門『鑓の権三重帷子』)

世の中の人こそ人の鑑(かがみ)なれ 世の中というものは人の行動が我が身の行動の善し悪しを写す鏡となるものだ

(井原西鶴『世間胸算用』)

人の身の上に実(まこと)ほど恥づかしきものはなし 真実ほど恥ずかしいものはない(とくに、他人からあれこれ批評されることの中で、真実を言いあてられた時が最も恥ずかしい思いをする)

(『閑吟集』)

何せうぞ 燻(くす)んで 一期は夢よ ただ狂へ どうしようというのだ、そんなに真面目くさって。そんなにしかつめらしく固く考えないで、人生なんて夢のようにはかないものさ。ただ遊び暮して面白おかしく生きた方がよい。

(『閑吟集』)

世の中はちろりに過ぐる ちろりちろり 人の世というものは、〝ちろり〟と瞬く間に過ぎ去ってゆく。ちろりちろりと。

(鴨長明『方丈記』)

世にしたがへば、身(み)苦し。したがはねば、狂せるに似たり 世の中の流れに従って生きていると、この身がやり切れず、苦しくなる。といって従って生きなければ、まるで狂気の如くである。

(与謝蕪村『むかしを今』序)

俳諧のみちや、かならず師の句法に泥(なず)むべからず 俳諧のみちというものは、けっして師匠の作風・作法にこだわってはいけない。

(『柳多留』)

碁敵(ごがたき)は憎さも憎しなつかしさ

(真山青果『玄朴と長英』)

君がおれを悪口(あっこう)云ひながらも愛してゐるのは、俺は何(ど)うしても君の笛に踊らないからだ。君は人を踊らせながらも人に踊られるのが畏(こわ)いのだ。君の憎(にくし)みも愛も、そこにある

(佐藤一斎『言志四録』)

春風(しゅんぷう)を以て人に接し、秋霜(しゅうそう)を以て自ら慎む 人と接するときは、春風のように穏やかな態度で対し、自身に対しては、秋の霜のごとき厳しさで自ら戒めなければならない

(井原西鶴『日本永代蔵』)

わが子を見るより面白きはなし 何よりも、わが子の成長を見ることほど楽しいものはない

(長谷川伸『瞼の母』)

俺(おら)あ、かう上下(うえした)の瞼を合せ、ぢッと考へてりやあ、逢はねえ昔のおッかさんの俤(おもかげ)が出てくるんだ――それでいいんだ。逢ひたくなつたら俺あ、眼をつぶらうよ

(近松門左衛門『生玉心中』)

人の親には病となるも子の心 薬となるも子の心 (とかく)人の親には病気のもとになるのも子の心であり、薬となるのも子の心である

(近松門左衛門『女殺油地獄』)

子は親の慈悲で立ち 親は我が子の孝で立つ 子供というものは親の慈しみを受けて生きていけるのであり、親は親で我が子の孝行によって生きられるものだ。

(防人丈部稲麻呂『万葉集』)

父母が頭(かしら)掻き撫で幸(さ)くあれて言ひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる 両親がかわるがわるこの頭を撫でて「達者でな」と言った、その言葉が今も忘れられないよ。

(防人丈部真麻呂『万葉集』)

時々(ときとき)の花は咲けども何(なに)すれぞ母とふ花の咲き出来(でこ)ずけむ 四季折々に花は咲くのに、どうして母さんという花は咲き出てくれないのか。

(菊池寛『茅の屋根』)

思ひ合つた男と女とが、心中すると云ふのも、相手の心が変るのを恐れるからだ。いや自分の心が変るのを恐れるからだな

(『柳多留』)

添へ乳(ぢ)して棚に鰯がござりやす 亭主が仕事から戻っても、女房は赤子に添い寝して乳をふくませたまま、起きても来ない。「棚に鰯があるから、それで食べてください」などと言って、食事の世話もしないのである。

(『柳多留』)

針箱をさがすと女房飛んで出る 亭主が指にとげを刺して、毛抜きを捜そうとしている場面であろうか。針箱の中をかきまわしていると、台所あたりにいた女房があわてて飛び出してくる。むろん、夫の手伝いをしようというわけではない。針箱の底か、引き出しかに…

(近松門左衛門『冥途の飛脚』)

恋とあはれは種一つ 恋とあわれはもともと人の心から発するもので種は一つだ

(『柳多留拾遺』)

嫁の歳(とし)捨て鐘(がね)ほどは嘘をつき 嫁の年齢は、三つくらいは若く言うものである

(井原西鶴『万の文反古』)

とかく聟(むこ)は、不足に思ふ程なるが勝手によく候 娘の婿を選ぶときは、不足に思うくらいの家の息子のほうが、家の経済のためにはよいものだ

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

恋は宇宙的の活力である

(北村透谷「厭世詩家と女性」)

恋愛は人生の秘鑰(ひやく)なり 恋愛によって、人は初めて人生の秘密を解くことができる

(松貫四ら合作『伽羅先代萩』)

手鍋提(さ)げるが真実の 誠の恋の 睦言や 人を雇わず自らつつましく煮炊きする生活こそ本当に仲のよい男女の語らいというものだ。