2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

山田詠美『放課後の音符(キイノート)』

若いということは、はっきり言って無駄なことの連続です。けれど、その無駄使いをしないと良い大人にはならないのです。死にたいくらいの悲しい出来事も、後になってみれば、素晴しき無駄使いの思い出として、心の内に常備されるのです。(中略)いかに素敵…

山田詠美『放課後の音符(キイノート)』

「最初に出会って、その女の内面を見抜ける程、男は利口じゃないのよ。外見って大切。綺麗な格好してると、とても便利なのよ」

立原正秋『帰路』

一切皆空(いっさいかいくう)であるのか、それとも一切皆苦であるのか……。一切皆成(かいじょう)は考える余地がなかった。

立原正秋『帰路』

「この空と海の色はなにかしら」 「余分なものが含まれていないんだな。それに乾いている」(中略) 「余分なものが含まれていないって、どういうことですの」 「1+1は2ということさ、かんたんに言うと。しかし日本人は2の答のあとに余情を求めている。…

三島由紀夫『葉隠入門』

長い準備があればこそ決断は早い。そして決断の行為そのものは自分で選べるが、時期はかならずしも選ぶことができない。それは向こうからふりかかり、おそってくるのである。そして生きるということは向こうから、あるいは運命から、自分が選ばれてある瞬間…

三島由紀夫『葉隠入門』

忠告は無料である。われわれは人に百円の金を貸すのも惜しむかわりに、無料の忠告なら湯水のごとくそそいで惜しまない。しかも忠告が社会生活の潤滑油となることはめったになく、人の面目をつぶし、人の気力を阻喪させ、恨みをかうことに終わるのが十中八、…

イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』(東洋、小澤周三 訳)

おそらく教師だけではなく印刷工や薬剤師も、彼らのような専門職業人の養成には非常に多くの費用がかかるという幻想を一般大衆に抱かせることによって、彼らの職業の利益を保護しているのである。

イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』(東洋、小澤周三 訳)

教育ばかりでなく現実の社会全体が学校化されてしまっている。

シュレーディンガー『精神と物質』(中村量空 訳)

意識および自分自身との不一致[=内的葛藤]は、互いに不可分に結びついており、まるで正比例の関係にあるとさえ言えるでありましょう。

ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』(澁澤龍彦 訳)

どうやら不安が人間というものの本質を形づくっているようである。単なる不安ではなく、乗り越えられた不安、不安の乗り越えである。生はその本質において一つの過剰であり、生とは生の浪費なのである。生は限りなく、その力と資源とを汲みつくし、限りなく…

ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』(澁澤龍彦 訳)

私たちは非連続の存在であり、理解できない運命の中で孤独に死んで行く個体であるが、しかし失われた連続性への郷愁(ノスタルジー)をもっているのだ。私たちは、偶然の個体性、死ぬべき個体性に釘づけにされているという、私たち人間の置かれている立場に…

安藤忠雄『建築を語る』

橋は,単なる機能を超えて,過去に架ける,未来に架けるというメタファーをもち得るような,人間の心に深く関わってくる存在なのですから,ことさら慎重に考える必要があると思います.

安藤忠雄『建築を語る』

建築を真に理解するには,媒体を通してではなく,自らの五感を通じてその空間を体験することが何より大切です.しかし「旅」はそのような実際の身体的移動を通じてだけではなく,回想,さらに夢想することでも可能なものです.「旅」とは,惰性的な日常を離…

鯖田豊之『肉食の思想』

ヨーロッパでしか近代科学が誕生しなかったのは、もともと、キリスト教が、人間中心主義の立場から、まがりなりにも、森羅万象を説明する統一的論理を構築していたからである。近代科学は、ある意味では、そのできあがった論理をひっくり返し、別の形で再構…

ポール・オースター『鍵のかかった部屋』(柴田元幸 訳)

「もし十年前誰かに、あなたの未来はこうなりますよって言われたら、私きっと笑って相手にしなかったと思うわ。結局人生から学ぶことってそのことなのよね――人生がいかに不思議なものかってこと。次々にいろんなことが起きて、とてもついて行けやしない。想…

ポール・オースター『鍵のかかった部屋』(柴田元幸 訳)

人と人とを隔てる壁を乗りこえ、他人の中に入っていける人間などいはしない。だがそれは単に、自分自身に到達できる人間などいないからなのだ。

ル・クレジオ『愛する大地』(豊崎光一 訳)

たまたま地上に ぼくは生れた 生ける人間として ぼくは大きくなった 画の中に閉じこもって 日々が過ぎた 夜々が過ぎた ぼくはああした遊びをみなやってみた 愛された 幸せだった ぼくはこうした言葉をみな話してみた 身ぶりを入れ わけのわからぬ語を口にし…

大江健三郎「「家族のきずな」の両義性」

たいていね、権力者というものは、おまえたちがかわいそうだから殺してあげようという仕方で、自分の権力のもとの民衆の死をみちびくようなことをするんですよ。私たちの国の永年の権力構造もそうした論理の上に成り立ってきたんです。われわれのことを赤子…

説経節「山椒太夫」

三郎に、鋸が、渡る。邪慳なる三郎が、この鋸を、奪(ば)い取って、「卑怯なりや、かたがた。主(ぬし)の科(とが)をば、のたまわで、われらが科と、あるからは、のういかに、太夫殿、一期(いちご)(一生の間)申す、念仏をば、いつの用に立て給うぞ。…

説経節「山椒太夫」

熊野には新宮くわうぐう、那智に飛滝(ひろう)権現、神(かん)の蔵(くら)には十蔵(じゅうぞう)権現、滝本に千手観音、

説経節「山椒太夫」

もはや落ちよはや落ちよ。見れば心の乱るるに。

説経節「信太妻」

「南無、日本、大小の神祇(じんぎ)、ただ今、勧請(かんじょう)申し奉る。まず、上(かみ)は、梵天(ぼんでん)帝釈、下(しも)は、四大天王、下界の地には、伊勢は神明(しんめい)、天照皇太神(てんしょうこうたいじん)、外宮(げぐう)、内宮、八十…

説経節「信徳丸」

若君御覧じて、座敷よりとんで降りさせたまい、するすると走り寄り、「のう父御様、信徳参りて候」と、抱(いだ)きつきてぞ泣きたもう。御(おん)涙のひまよりも、かの鳥箒(とりぼうき)を取り出だし、両眼(がん)におし当て、「善哉(ぜんざい)なれ平…

説経節「信徳丸」

信徳この由聞こしめし、「名のるまいとは思えども、今はなにをかつつむべき。乙姫殿かや恥ずかし。乳房の母に過ぎおくれ、継母(けいぼ)の母の呪いにて、かように異例を受けたるぞや。親の慈悲なるに、わが親の邪慳やな、天王寺にお捨てあって御ざあるが、熊…

説経節「信徳丸」

「熊野参りのその中に、四方(よも)の景色を、筆に写さんとせしけれども、心の絵にも写しかね、筆捨てにより、筆捨松(ふですてまつ)とは申せども、さてみずからは、夫(つま)に会わねばおもしろもなや。あらわが夫が恋しやな。かほど尋ねめぐれども、行…

説経節「信徳丸」

「たとい熊野の湯に入りて、病(やもう)本復したればとて、この恥を、いずくの浦にてすすぐべし」

説経節「信徳丸」

「熊野へ通る病者(やもうじゃ)に、斎料(ときりょう)たべ」

説経節「信徳丸」

「やあいかに信徳丸、御身がようなる異例は、これより熊野の湯に入(い)れ。病(やもう)本復申すぞや。いそぎ入れや」とおしあり、消すがようにお見えなし。信徳この由聞こしめし、「今のはわれらが氏神、清水の観世音にて、あるやらん」と、虚空を三度伏…

説経節「信徳丸」

「思い内にあれば、色外(ほか)にあらわるる、恥ずかしや。今はなにをかつつむべき」

説経節「苅萱」

「これは夢かや現(うつつ)かや。夢ならばはや覚めよ。現ならばとく覚めよ」