2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

津覇実明「日本国憲法のために 沖縄をテクストとして」(「現代思想1999年2月号 特集 部落民とは誰か」所収)

「平和」「平等」を旨としながら、実は「差別」を発動するものとしての憲法に終止符を打つこと。あるいは、憲法の生命維持装置を外すこと。それは憲法の死=廃棄を意味しないことに注意して欲しい。逆である。それは憲法の自力呼吸を可能とするような再生で…

津覇実明「日本国憲法のために 沖縄をテクストとして」(「現代思想1999年2月号 特集 部落民とは誰か」所収)

「天皇」の名義で振り出した「日本国憲法」は国内の日本国民に流通するが、その実効性は実は添付された「安保条約」によって保証されることになる。勿論その裏書きはアメリカ合衆国である。しかし、「安保条約」の担保提供は沖縄人を中心としてなされている…

津覇実明「日本国憲法のために 沖縄をテクストとして」(「現代思想1999年2月号 特集 部落民とは誰か」所収)

憲法第一一条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」、同第一三条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追…

津覇実明「日本国憲法のために 沖縄をテクストとして」(「現代思想1999年2月号 特集 部落民とは誰か」所収)

明治憲法と日本国憲法との関係をめぐって不連続か連続かといった問題が理論構成の対象となるが、少なくとも同一の「声」の主が維持されている点ではその連続性は明白だと言うべきである。

津覇実明「日本国憲法のために 沖縄をテクストとして」(「現代思想1999年2月号 特集 部落民とは誰か」所収)

しかし、「日本国憲法」の文言を読む時、私たちは自分の声で読むことが可能であろうか。厳そかで、瞑目と沈黙と正しい姿勢を強制する「声」が響き出して来ないであろうか。その「声」は玉音放送から流れ出たあの「声」であり、かつて自身を「朕」と称してい…

黒田亘『行為と規範』

しかしじつは、行為と行為ならざる人間の営みの境界はけっして明瞭ではない。クシャミをすること、シャクリをすることは行為であろうか。居眠りをすることは行為か。ボンヤリすることはどうか。たいていの場合、それらは行為ではないであろう。しかしたとえ…

D・スペンダー『ことばは男が支配する 言語と性差』(れいのるず=秋葉かつえ 訳)

このため、言語は人間にとって一つのパラドックスになる。つまり、言語は創造的であり、同時に、抑制的な伝達手段である。言語は、一方において、私たちが自分の住む世界を「創造する」ことを可能にし、限りない自由を与えてくれる。こんなにも数多くの文化…

松田薫『[血液型と性格]の社会史』

デュンゲルン博士は、動物の血液も調べていた。ウサギ、イヌ、チンパンジーといった動物の血液を調べて、どうやら動物は「B型」の血液型であり、唯一チンパンジーからだけ「A型」が見つかることを認めていた。 ともかく、片っ端から血液型を調べる博士だから…

ジャン・ジョゼフ・グー(土田知則 訳)『言語の金使い――文学と経済学におけるリアリズムの解体』

ヨーロッパにおいて、小説や絵画におけるリアリズムの危機が金貨幣の終焉と時期を同じくするのは単なる偶然であろうか。また、「抽象」化した芸術の誕生が、不換的な貨幣記号という、今や遍くいきわたっているスキャンダラスな発案物と同時代に属するのは偶…

ホワイトヘッド『象徴作用』(市井三郎 訳)

このように人類は、その念入りな象徴的移行体系によって、遠隔の環境や問題的な未来に対する奇蹟のような感受性を達成することができる。しかし人類は、それぞれの象徴的移行がやたらに不適当な性格をもちこむかも知れない、という危険な事実のために、罰金…

黒崎政男『カント『純粋理性批判』入門』

『純粋理性批判』によれば、真理は最初から誤謬や仮象と峻別されてア・プリオリに与えられているようなものではなく、実験や経験の検証を重ねる運動のうちからえられてくるものである。このような真理のダイナミックな性格は、感性と悟性とをともに人間認識…

黒崎政男『カント『純粋理性批判』入門』

つまり、時間・空間という直観も、カテゴリーという概念(例えば、因果関係)もすべては、〈人間〉の認識に特有なものである。つまり、時空も因果関係も、人間の認識の都合なのであって、世界そのものの成立にそれらが関わっているのではなく、人間認識の成…

黒崎政男『カント『純粋理性批判』入門』

カントの問いも、人間の都合で存在しているカテゴリーが、なぜ(それとは無関係に存在しているように思われる)世界を説明認識する場合に、きちんと役に立つのだろうか? というものである。 そして、カントの答えは、まさに、世界(カントの場合は〈現象〉…

薄井坦子『科学的看護論』

ともあれ,一般論は抽象的で役に立たないという人が多いが,それらのほとんどは抽象的な一般論が悪いのではなく,その一般論がどのような手続きでとり出されたかを見抜く能力,および一般論を表象し具体化する能力が低い,すなわち一般論と現象とのあいだの…

薄井坦子『科学的看護論』

どのような対象も,たとえば人間も,一般的なものと特殊的・個別的なものとを併せもっており,何を一般と見,何を特殊と見るかは,実践上の必要性が決めるのであって,現実的な問題を解こうとしたとき,この論理構造は容易に納得されるはずである。たとえば6…

鷲田清一「見えているのに、見ていないことを、見えるようにする」(『死なないでいる理由』所収)

その後、前衛的といってよい華道家の生け花を間近に見る経験をしました。華道というのは、とにかく美しい花をきれいに生けて室内に飾るものだぐらいにしか考えていなかったわたしは、驚いてしまいました。 「生け花」と言いながら「殺し花」だからです。その…

鷲田清一「空を飛ぶ夢」(『死なないでいる理由』所収)

なぜひとはくりかえし飛ぶ夢を見るのか。 ひとが言葉を話すからだ、というびっくりするような答えに、最近、友人の精神科医が書いた本のなかで出会った。彼、新宮一成はいう。 「振り返って考えてみれば、かつて嬰児として横になって上を見ていた我々人間に…

鷲田清一「からだで聴く」(『死なないでいる理由』所収)

大工さんは手でのこぎりを挽きながら、木の声を、その木目や繊維のくせを聴き、それを呑み込んで木と木を組み上げるのだという。電気のこぎりを使うとその木のくせが読み取れない。だから時間がたつと柱がいびつになってくる。 大工さんは掌に伝わる振動で木…

鷲田清一「死なないでいる理由」(『死なないでいる理由』所収)

同じ問いは自死をめぐっても立ってくる。 数年前だったか、新聞紙上で、大宅映子さんのこんな行文にふれた。 「死ぬとわかっていて、なぜ人間は生きてゆけるのか」、そういう根源的な問いに答えを出していくのが文学部というところだという、ある大学での講…

鷲田清一「「親密な」光景」(『死なないでいる理由』所収)

家庭、そこでは社会というものをかたちづくるひととひととの最後の絆としての〈親密性〉とか〈信頼〉をからだで覚える。家庭という場所、そこでひとは無条件で他人の世話を享ける。言うことを聞いたからとか、おりこうさんにしたからとかいった理由や条件な…

鷲田清一「まえがき」(『死なないでいる理由』所収)

わたしがここにいる。物は物としてそこにある。わたしの眼の前に物があるということのほかに、そこには関係も何もない。ありふれた光景だといえば、たしかにありふれている。 だが、ここで、関係がないというかたちでわたしと物との関係があるということじた…

芹沢俊介『母という暴力』

教育する母の暴力は、究極的には子どもの死を欲望する

芹沢俊介『母という暴力』

名づけるということは、親にとっては、わが子としての承認です。家庭という場に新しいいのちを迎え入れる行為でもあります。では子どもにとっては名づけはどんな意味をもつのでしょう。第一に、強制的に名づけられるという点で、誕生と同様、暴力です。ただ…

伊藤俊樹「カウンセラーの感情体験・感情表出」(澤田瑞也、𠮷田圭吾 編『キーワードで学ぶカウンセリング――面接のツボ――』所収)

土居は、面接者の「わからない」という感覚が、クライエント理解にはとても大切だと述べている。「なぜなら、『わからない、不思議だ、ここには何かあるにちがいない』という感覚は、理解力のない人には生じないからである(中略)。逆に、あまりにも簡単に…

高森淳一「沈黙」(澤田瑞也、𠮷田圭吾 編『キーワードで学ぶカウンセリング――面接のツボ――』所収)

沈黙の伝える意味はそれを受けとる側との関係性に委ねられているために、不確実性を余儀なくされる。しかし、だからこそ沈黙のうちには、ありとあらゆる意味を潜ませることが可能である。なぜならば、関係性の求めている意味が沈黙の意味をも決定し、関係性…

高森淳一「沈黙」(澤田瑞也、𠮷田圭吾 編『キーワードで学ぶカウンセリング――面接のツボ――』所収)

沈黙が生じるのはそこにかかわる人間が二人以上いる場合に限られる。ひとりでいるときに黙っているのを普通はわざわざ沈黙と呼ばない。逆にいえば沈黙が生じるのは、他者からの期待、関係の中での役割といったものが前提にされているときである。そして、こ…

竹内健児「助言」(澤田瑞也、𠮷田圭吾 編『キーワードで学ぶカウンセリング――面接のツボ――』所収)

しかし、カウンセラーは助言できないから助言しないだけではない。助言しないのは、助言することがカウンセリングの倫理に反するからである。

竹内健児「助言」(澤田瑞也、𠮷田圭吾 編『キーワードで学ぶカウンセリング――面接のツボ――』所収)

クライエントは自分がどうしていけばよいか、なぜそうなっているのかについて「無知」であるし、カウンセラーもまたクライエントがなぜそうなっており、どうしていけばよいのかについて「無知」である。カウンセリングは、二人が「無知」という入り口に立つ…

伊藤俊樹「傾聴」(澤田瑞也、𠮷田圭吾 編『キーワードで学ぶカウンセリング――面接のツボ――』所収)

傾聴するということは、ただ漠然とクライエントの話を聞いていることではない。それをひとつのたとえ話で説明してみよう。あなたはある湖に来ている。湖の表面を見つめていると、ときどき魚がはねるのが見える。「あ、あそこで魚がはねた。」そして、今度は…

伊藤俊樹「傾聴」(澤田瑞也、𠮷田圭吾 編『キーワードで学ぶカウンセリング――面接のツボ――』所収)

初心者のカウンセラーにはよくあることだが、クライエントが自分自身に否定的になったときに、クライエントをフォローしようと思って「でも、そんなことはないよ」と、言ってしまうのである。しかし、そこでフォローせずに聴いていくと、たとえば自分の父親…