2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

黒田三郎「それは」(全)

それは 信仰深いあなたのお父様を 絶望の谷につき落した それは あなたを自慢の種にしていた友達を こっけいな怒りの虫にしてしまった それは あなたの隣人たちの退屈なおしゃべりに 新しいわらいの渦をまきおこした それは 善行と無智を積んだひとびとに し…

田村隆一「帰途」(全)

言葉なんかおぼえるんじゃなかった 言葉のない世界 意味が意味にならない世界に生きてたら どんなによかったか あなたが美しい言葉に復讐されても そいつは ぼくとは無関係だ きみが静かな意味に血を流したところで そいつも無関係だ あなたのやさしい眼のな…

伊藤比呂美「虚構です――TOPS」(抄)

だからあたしねにんげんってすごくこう 情緒のね 情緒的なね ものだとおもう。

辻征夫「落日――対話篇」(全)

夕日 沈みそうね ………… 賭けようか おれはあれが沈みきるまで 息をとめていられる いいわよ息なんかとめなくても むかしはもっとすてきなこと いったわ どんな? あの夕日の沈むあたりは どんな街だろう かんがえてごらん 行ってふたりして 住むたのしさを… …

R.D.レイン「この錠剤をのみたまえ」(全) (村上光彦 訳)

この錠剤をのみたまえ 叫ばないですむようにしてくれるよ そいつはいのちを奪い去ってくれるよ いのちがなければ きみはもっと楽な身になるさ

フェルナンド・ペソア『不穏の書』(澤田直 訳)

孤独だったために、私自身の姿が孤独とそっくりになってしまった。

ウンベルト・サバ「悲しみのあとで」(全) (須賀敦子 訳)

このパンには思い出の味がある、 港のどこより廃(すた)れて混みあった辺りの、 貧しい居酒屋で食べるこのパンには。 ビールの苦さがうれしい、 帰りがけに立ち寄って、 雲のかかった山々と灯台をまえにすわると。 苦悩にうちかったぼくのたましいは、 あたら…

ヘルマン・ヘッセ「困難な時期にある友だちたちに」(全) (高橋健二 訳)

この暗い時期にも、 いとしい友よ、私のことばを容(い)れよ。 人生を明るいと思う時も、暗いと思う時も、 私は決して人生をののしるまい。 日の輝きと暴風雨とは 同じ空の違った表情に過ぎない。 運命は、甘いものにせよ、にがいものにせよ、 好ましい糧とし…

武者小路実篤「しようがない奴」(全)

「しようがない奴だ」 「そうだ、しようがない奴だ」 「君がだぜ」 「そうだ、僕がだ」

室生犀星「小景異情 その二」(全)

ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや

金子光晴「洗面器」(全)

(僕は長年のあひだ、洗面器といふうつはは、僕たちが顔や手を洗ふの に湯、水を入れるものとばかり思つてゐた。ところが、爪哇人たちは、 それに羊や、魚や、鶏や果実などを煮込んだカレー汁をなみなみと たたへて、花咲く合歓木の木陰でお客を待つてゐるし…

萩原朔太郎「田舎を恐る」(全)

わたしは田舎をおそれる、 田舎の人気のない水田の中にふるへて、 ほそながくのびる苗の列をおそれる。 くらい家屋の中に住むまづしい人間のむれをおそれる。 田舎のあぜみちに坐つてゐると、 おほなみのやうな土壌の重みが、わたしの心をくらくする、 土壌…

宮沢賢治「『心象スケツチ 春と修羅』序」(抄)

わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなといつしよに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です (ひかりはたもち そ…

森鷗外「なのりそ」

耿子(てるこ)。ですけれどあなた誤解して入らつしやいますわ。わたくしの不平と申しますのは、そんな地位が出來れば無くなつてしまふやうな不平ではございませんの。 廣前(ひろまへ)。(少し慌てて。)そしてどんな不平ですか。 耿子。まあ、なんと申したら好(…

森鷗外「なのりそ」

廣前(ひろまへ)。併(しか)し少しも待たずに、なんでも直(す)ぐに遣つて見ると云ふのは、冒險ではないでせうか。弱點(じゃくてん)があるのに、萬一を僥倖して遣るのは無論非常に危險ですし、さうでなくても、なる丈(たけ)損害を少くして、なる丈利益を大きく…

森鷗外「なのりそ」

大島。まあ、あなたのやうな方がお出(いで)になるので、こちらの娘のやうなものが爲合(しあは)せします。實(じつ)はわたくしにしたところが、もう殆ど二十年前(ぜん)の事ではありますが、洋行もいたしたものですから、歐米の風俗習慣でも、善(い)いものは他…