2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

三島由紀夫「卒塔婆小町」

詩人 ……僕は又きっと君に会うだろう、百年もすれば、おんなじところで……。 老婆 もう百年!

三島由紀夫「邯鄲」

美女 理窟を云うとき、あなたの目はずいぶんかわいいわ。自分の理窟に自分で酔ってる目ね。

三島由紀夫「邯鄲」

次郎 女はシャボン玉、お金もシャボン玉、名誉もシャボン玉、そのシャボン玉に映っているのが僕らの住んでいる世界、そんなこと、みんな知ってらあ。 菊 ただ言葉で知っておいでなだけでございますよ。

三島由紀夫「邯鄲」

菊 いったい、まあどうしてそれで人生がおしまいになるんでございますねえ。はじまってもいないものが、一体どうして。 次郎 はじまらないうちにおしまいになったのさ。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

完全な愛というのは、もっとも美しい欲求不満だと信じている。なんとなれば、それは言葉以上のものであるからである。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

わたしの味わった不幸、不運がなんであれ、もともと人間の運、不運などというものは、空行く雲と同じで、結局は風次第のものにすぎないと信じている。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

こうして世界は若返る。若い人たちの時代になるのだ。そしてわたしたちのように少しばかり長生きしたものは、旅路につれて、ますます遠い人間になってしまう。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

というのは、作者自身が感動もしないような作品で、どうして大衆の感動を期待できるかということである。率直に言って、わたしはわたしの喜劇を、観客以上に楽しむのがつねだ。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

世間というのは、たとえどんな新しい衣裳はつけてみても、結局は恋の話が好きなのである。ハズリットも言ったように、感性は知性よりも強い、しかも芸術作品には、そのほうがはるかに大きな寄与になるのである。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

歌舞伎はなにも純粋に様式演劇というだけではない。それは古いものと新しいものとの混合である。もっとも重要視されるのは俳優の名人芸であり、台本は彼が演技を見せるための素材でしかない。西欧の基準から言えば、彼らのテクニックには厳しい制限がある。…

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

すぐれたサイレント映画のほうがトーキーよりも芸術であることは疑いないが、ただ音が人物により現実感を与えるという事実だけは認めざるをえない。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

トーキーの出現以来すでに三年がたち、俳優たちがほとんどパントマイムの演技を忘れてしまったことがひとつ。つまり、彼らのタイミングがすべて動作から台詞に移ってしまっていたのだ。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

わたしは貧乏をいいものだとも、人間を向上させるものだとも考えたことがない。貧乏がわたしに教えたものは、なんでも物をひねくれて考えること、そしてまた金持やいわゆる上流階級の美徳、長所に対するひどい買いかぶりという、ただそれだけだった。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

時間の節約ということ、これが映画では根本要件なのだ。エイゼンシュタインやグリフィスなどは、ちゃんとそれを知っていた。一つの場面から次の場面へとすばやいカット、または溶暗、溶明ということ、これが映画技術の力学なのである。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

わたしの場合、カメラ操作はもっぱら俳優の動きを楽にするような演出(コレオグラフィ)に基づいて決定される。カメラが床に据えられたり、俳優の鼻先をうろうろしたりするとき、演技をしているのは、それはカメラであって、俳優ではない。カメラがのさばり出…

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

頭の中が活発に動いていないときは、自然な演技というものがなかなかできない。たとえば舞台でただじっと聞いているなどというのは、どうしてむずかしいものなのだ。しろうと俳優などは、聞くことばかりに気をとられすぎるのである。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

つまり、簡単なシーンのほうが難しいのだ。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

思いあがりととられるかもしれないが、ドタバタ喜劇にこそもっとも厳しい心理学が要求されるのだ。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

人間の不幸を司る神々は、ときおりその遊びにも飽きて、慈悲をたれることがある。

チャップリン『チャップリン自伝』(中野好夫 訳)

運命の女神たちが人間のそれを決定するとき、そこには憐憫もなければ公平感もない。

ユーゴー『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄 訳)

「死ぬのは何でもないことだ。生きられないのは恐ろしいことだ。」

ユーゴー『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄 訳)

罪人にとっては、仮面は単なる仮面ではなく、また一つの避難所である。

ユーゴー『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄 訳)

「一つの名前はすなわち一つの自己です。」

ユーゴー『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄 訳)

「沈黙が虚偽となることもあります。」

ユーゴー『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄 訳)

「幸福だけの幸福はパンばかりのようなものだ。食えはするがごちそうにはならない。むだなもの、無用なもの、よけいなもの、多すぎるもの、何の役にも立たないもの、それがわしは好きだ。」

ユーゴー『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄 訳)

「幸福のうちにも無用なものがなくてはいかん。幸福そのものは必要品にすぎない。だから大いにむだなもので味をつけるんだ。」

ユーゴー『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄 訳)

マリユスは人生の経験があまりに少ないので、最も緊急なのは不可能事であるということを知らず、常に予期しなければならないのは意外事であるということを知らなかった。

ユーゴー『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄 訳)

「君は信ずることも、思索することも、意欲することも、生きることも、死ぬることも、みなできない男だ。」

ユーゴー『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄 訳)

子供の難渋は母の心を動かし、若い男の難渋は若い娘の心を動かすが、老人の難渋はだれからも顧みられないものである。

ユーゴー『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄 訳)

極端な無邪気は極端な嬌態に近い。