2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

レイモンド・チャンドラー『湖中の女』(清水俊二 訳)

顔の上の半分は仕事の顔だった。下の半分はたださよならというだけだった。

レイモンド・チャンドラー『湖中の女』(清水俊二 訳)

彼女の上唇が少々まくれ上がった。長い上唇だった。私は長い上唇が好きだ。

レイモンド・チャンドラー『湖中の女』(清水俊二 訳)

「それから、もし私がいろんなことをよく覚えすぎてると思うんだったら、会話を覚えてるのは私の仕事の一つなのよ」

レイモンド・チャンドラー『湖中の女』(清水俊二 訳)

三十分すぎた。タバコを吸えないので、三十分は長い。

レイモンド・チャンドラー『湖中の女』(清水俊二 訳)

「それに、どんな人間でも、いざとなって面と向かって睨みつけられると、なんとか堪えられるものだ。世界中でいまそれとおんなじことが起こってる」

レイモンド・チャンドラー『湖中の女』(清水俊二 訳)

「俺はよごれてる人間だが、そんなふうにはよごれていない」 ※太字は出典では傍点

レイモンド・チャンドラー『湖中の女』(清水俊二 訳)

「あんた、結婚ってものがどんなものか知ってなさるだろう――どんな結婚だって同じさ。しばらくたつと、私のような男は――私のようなどこにもいるような男は女の脚にさわりたくなる。ちがう女の脚にね。いいことじゃないが、そういうものなんでね」

太宰治『お伽草子』

ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、 「あいたたた、あいたたた、ひどいじゃないか。おれは、お前にどんな悪い事をしたのだ。惚れたが悪いか。」と言って、ぐっと沈んでそれっきり。 兎は顔を拭いて、 「…

太宰治『お伽草子』

あそこの家へ行くのは、どうも大儀だ、窮屈だ、と思いながら渋々出かけて行く時には、案外その家で君たちの来訪をしんから喜んでいるものである。それに反して、ああ、あの家はなんて気持のよい家だろう、ほとんどわが家同然だ、いや、わが家以上に居心地が…

太宰治『お伽草子』

カチカチ山の物語に於ける兎は少女、そうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋している醜男(ぶおとこ)。これはもう疑いを容れぬ儼然(げんぜん)たる事実のように私には思われる。

太宰治『お伽草子』

年月は、人間の救いである。 忘却は、人間の救いである。

太宰治『お伽草子』

「言葉というものは、生きている事の不安から、芽ばえて来たものじゃないですかね。腐った土から赤い毒きのこが生えて出るように、生命の不安が言葉を発酵させているのじゃないのですか。よろこびの言葉もあるにはありますが、それにさえなお、いやらしい工…

太宰治『お伽草子』

「どうも、陸上の生活は騒がしい。お互い批評が多すぎるよ。陸上生活の会話の全部が、人の悪口か、でなければ自分の広告だ。うんざりするよ。」

太宰治『お伽草子』

「あなたたちは、人生の切実の姿を見せつけられるのを、とても、いやがるからね。それこそ御自身の高級な宿命に、糞尿を浴びせられたような気がするらしい。あなたたちの深切は、遊びだ。享楽だ。」

太宰治『お伽草子』

「人は、なぜお互い批評し合わなければ、生きて行けないのだろう。」

太宰治『お伽草子』

性格の悲喜劇というものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れています。

太宰治『お伽草子』

このように、所謂「傑作意識」にこりかたまった人の行う芸事は、とかくまずく出来上るものである。

太宰治『新釈諸国噺』

駄目な男というものは、幸福を受取るに当ってさえ、下手くそを極めるものである。突然の幸福のお見舞いにへどもどして、てれてしまって、かえって奇妙な屁理屈を並べて怒ったりして、折角の幸福を追い払ったり何かするものである。

太宰治『新釈諸国噺』

西鶴は、世界で一ばん偉い作家である。メリメ、モオパッサンの諸秀才も遠く及ばぬ。

太宰治「清貧譚」

「人は、むやみに金を欲しがってもいけないが、けれども、やたらに貧乏を誇るのも、いやみな事です。」

太宰治「道化の華」

ああ、なぜ僕はすべてに断定をいそぐのだ。すべての思念にまとまりをつけなければ生きて行けない、そんなけちな根性をいったい誰から教わった?

太宰治「道化の華」

ああ、作家は、おのれのすがたをむき出しにしてはいけない。それは作家の敗北である。

太宰治「道化の華」

青年たちは、むきになっては、何も言えない。ことに本音を、笑いでごまかす。

太宰治「道化の華」

「いいじゃないか。えらい芸術家は、みんなどこか素人くさい。それでよいんだ。はじめ素人で、それから玄人になって、それからまた素人になる」

太宰治「道化の華」

青年たちはいつでも本気に議論をしない。お互いに相手の神経へふれまいふれまいと最大限の注意をしつつ、おのれの神経をも大切にかばっている。むだな侮りを受けたくないのである。しかも、ひとたび傷つけば、相手を殺すかおのれが死ぬるか、きっとそこまで…

太宰治「道化の華」

素直な心を持った人なら、そのわかいときには、おのれの身辺ちかくの誰かをきっと偶像に仕立てたがるものである

太宰治「葉」

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目(しまめ)が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

三島由紀夫「熊野(ゆや)」

宗盛 どうしてそんなに自分の感情を大切にするんだ。ユヤ。それは一種の病気だよ。

三島由紀夫「道成寺」

管理人 春は怖ろしい季節ですよ。

三島由紀夫「班女」

花子 (再び扇を弄びつつ) 待つのね。待って、待って、……そうして日が暮れる。 実子 あなたは待つのよ。……私は何も待たない。 花子 私は待つ。 実子 私は何も待たない。 花子 私は待つ。……こうして今日も日が暮れるのね。 実子 (目をかがやかして) すばらしい…