2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧
変名というのは、いわば「変身」への願望の一つのあらわれであって、「この世の他の場所」をのぞむ気持がうかがわれる
人生はさよならが沢山あるほど幸福だと言えるのではあるまいか。
私は、実際に存在しなかったことも歴史のうちであると思っていて、たぶん、やってくることのない「恋人」も、恋なのだと思っていたので、この舌をかみそうな「あらかじめ失われた」という言いまわしのなかにリルケ特有の感傷の匂いを嗅いだのだった。
ホントよりも、ウソの方が人間的真実である、というのが私の人生観である。なぜなら、ホントは人間なしでも存在するが、ウソは人間なしでは、決して存在しないからである。
おまえはただの現在にすぎない! とトロツキーは言った。 だが、もしも「ただの現在」の次にやってくるものを、待つだけだとしたら、それはいったい、いかなる明日か?
夢を見すぎると、その夢に復讐される。かと言って夢も見ずに生きるのじゃ味気なさすぎる。
変身することは、存在の拡張である。
しかし、地獄は、イメージでも実感でもなく、思想なのである。
――親が子によせる愛は、ときには親自身の孤独とエゴイズムから生れる私有欲であり、子にとって重荷である場合もあるのです。 人間の思慮分別など、いつの場合だって自分勝手だったり、自己中心だったりする。それは、はかないものです。
「だが、生きたいという目的以上のものがこの世に存するだろうか?」
それにもかかわらず、大戦をヒットラーの独裁的判断のせいだったと思いこもうとしている人たちは、実は「心の片隅で、独裁者というものの存在を信じ、それを待望している」からではないだろうか?
私は、〈過去〉という文字にルビをふるときにエクスペリエンス(経験)とするよりも、ストーリー(物語)とする方が当っているという意見で、「過ぎ去ったことはすべて物語にすぎない」と思っている
数の増大を好むものの底には、権力への嗜好が読みとれるのである。
生が終って死がはじまるのではない。生が終れば死もまた終ってしまうのである。