2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

宮本常一『家郷の訓』

いつも母から「道はアングリアングリあるくものではない」と言われた。道のシャンと歩けぬようなものは、人の上にたてぬ。道を歩いている姿が一番人の眼につくものである。

福沢諭吉『学問のすゝめ』

独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛(へつら)うものなり。

中江兆民『三酔人経綸問答』

剣をふるって風を斬れば、剣がいかに鋭くても、ふうわりとした風はどうにもならない。私たちは風になろうではありませんか。

吉野源三郎『君たちはどう生きるか』

世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。

柳宗悦『手仕事の日本』

実に多くの職人たちは、その名を留めずにこの世を去ってゆきます。しかし彼らが親切に拵えた品物の中に、彼らがこの世に活きていた意味が宿ります。

吉田松陰『講孟余話』

経書を読むの第一義は、聖賢に阿ねらぬこと要なり。若し少しにても阿る所あれば、道明ならず、学ぶとも益なくして害あり。

鈴木大拙『日本的霊性』

一人は米を食べる人、いま一人は米を作る人、食べる人は抽象的になり易く、作る人はいつも具体の事実に即して生きる。

懐奘『正法眼蔵随聞記』

学道の人、世間の人に智者もの知りとしられては無用なり。

柳宗悦『手仕事の日本』

そもそも手が機械と異る点は、それがいつも直接に心と繫がれていることであります。機械には心がありません。これが手仕事に不思議な働きを起させる所以だと思います。

和辻哲郎『古寺巡礼』

奇妙なことかも知れぬが、腕のとれた彫刻などでも、あまりに近くへよると、不思議な生気を感じて、思わずたじたじとすることがある。

岡倉覚三『茶の本』

おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。

柳宗悦『手仕事の日本』

日々の生活こそは凡てのものの中心なのであります。またそこに文化の根元が潜みます。人間の真価は、その日常の暮しの中に、最も正直に示されるでありましょう。

和辻哲郎『風土』

「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。無限に新しいものを見いだして行くことである。だから観ることは直ちに創造に連なる。しかしそのためにはまず純粋に観る立場に立ち得なくてはならない。 ※太字は出典では傍点