2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧

『史記』

病に六の不治有り、巫(ふ)を信じて、医を信ぜず。 病気に六つの治らないことがある。その一つは、みこ(占い)を信じて、医者を信用しないことである。

劉兎錫

昏昏として枕衾(ちんきん)を恋うれば、安んぞ天地の英を見ん。 いつまでもぼんやりとして布団を恋しがっているようでは、天地大自然の精華を見られるはずがない。

ヘンリー・ミラー『南回帰線』(河野一郎 訳)

ひとたび死んでしまえば、たとえ混沌のさなかにあっても、すべては必然的になるようになるものだ。そもそものはじめから、混沌以外の何ものでもなかった――分泌物がぼくを取り囲み、ぼくはそれを鰓を通して呼吸していた。月がたえずおぼろに輝いている下層部…

楊万里

小荷(しょうか)才(はじ)めて露(あらわ)す尖尖(せんせん)の角(かど)、早(つと)に蜻蜓(せいてい)の上頭(じょうとう)に立つ有り。 水面に顔をのぞかせたばかりの初生の蓮の小さな葉の角の上に、早くもとんぼが来てとまっている。「蜻蜓」は、とんぼ。小池の景物…

〔俗諺〕

食は広州にあり、住は蘇州にあり、衣は杭州にあり、死するは柳州にあり。 広州では、動植物なら何でも料理にするので、食べることなら広州が一番だ。蘇州は庭がきれいで、のどかな所なので、住むことなら蘇州に限る。杭州は絹織物の町で、絹の衣類は杭州が一…

カポーティ『遠い声 遠い部屋』(河野一郎 訳)

「すっかりわれわれを空想的にすることができるんだね、鏡は。それが鏡の秘密なんだよ。世界じゅうの鏡をすっかり壊してしまうのは、どんなに名状し難い苦痛だろう――そしたらいったいわれわれは、自分が自分であるという安心をどこに求めればいいのだろう? …

『易経』

終われば則ち始め有り。天行(てんこう)なり。 ものごとの終わるときは、次のものごとが始まるときである。秩序の混乱が極まったときは、太平が始まるときである。かくのごとくに終始し循環するのは、天の運行そのままである。

李白

今の人は見ず 古時の月、今の月は曾経(かつ)て古人を照らす。 今生きている人は、昔の月を見たことがない。しかし、今頭上にある月は、かつて昔の人をも照らしてきた月である。

レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(清水俊二 訳)

「ぼくの名を覚えていてよかったな」と、私はいった。 「頭にしみこんでいたんだ。会いたかった」 「なぜ電話をかけない。いつもここにいるんだぜ。オフィスもある」 「あんたに迷惑をかけるわけにはいかない」 「どうせ誰かに迷惑をかけるんだ。あまり友だ…

馬場朝子 編訳『タルコフスキー 若き日、亡命、そして死』

大好きなパパ 四二年四月三〇日 こっちはみんなとっても元気。ママはボルガ川のほとりにつるこけももをとりにいくんだ。 僕たちも夏休みになったら村にいくんだよ。ママはコルホーズで働くし、僕もできたらそこで働くよ。パパは僕にフランス語を勉強するよう…

ウディ・アレン『これでおあいこ』(伊藤典夫・浅倉久志 訳)

この宇宙は、神の頭をかすめていく思いつきのひとつにすぎない。これはかなり不愉快な考えである――もし、あなたがマイホームの頭金を払ったばかりなら、なおさらだ。 *もし、ディオニュソス、いま生きてありせば! どこで彼は食事を取ればいいのだ?

ロダン『ロダンの言葉抄』(高村光太郎 訳、高田博厚・菊池一雄 編)

辛抱です! 神来を頼みにするな。そんなものは存在しません。芸術家の資格はただ智慧と、注意と、意志とだけです。正直な労働者のように君たちの仕事をやりとげよ。 真実であれ、若き人々よ。しかしこれは平凡に正確であれという事を意味するのではない。低…

バーリン『自由論』(「二つの自由概念」)(生松敬三 訳)

自由は自由であって平等ではなく、公正ではなく、正義ではなく、人類の幸福ではなく、また良心の平静ではない。もしもわたくし自身の自由、あるいは自分の階級、自分の国民の自由が、他の多数の人間の悲惨な状態にもとづくものであるとするならば、この自由…

コンラート・ローレンツ『攻撃 悪の自然誌』(日高敏隆・久保和彦 訳)

攻撃は元来健全なもの、どうかそうあってほしいと思う。だがまさに攻撃衝動は、本来は種を保つれっきとした本能であるからこそ危険きわまりないのである。つまり本能というものは自発的なものだからだ。もし攻撃本能が、多くの社会学者や心理学者たちが考え…

ロバート・キャパ『ちょっとピンぼけ』(川添浩史・井上清一 訳)

暁闇(ぎょうあん)の中、爆弾で噴火口のようにあけられた穴だらけの道にクリスが目をこらしているあいだに、私はふと先刻の写真をとりだしてみた。それらは、ちょっとピンぼけで、ちょっと露出不足で、構図は何といっても芸術作品とはいえない代物であった。…

メルロ=ポンティ『知覚の現象学』(竹内芳郎・小木貞孝 訳)

現象学はバルザックの作品、プルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品とおなじように、不断の辛苦である――おなじ種類の注意と驚異とをもって、おなじような意識の厳密さをもって、世界や歴史の意味をその生れ出づる状態において捉えよう…

ヒューム『道徳原理の研究』(木田元 訳)

冷淡で利害的関心から離れた理性は、行動の動機ではない。理性は、幸福を獲得し不幸を避ける手段をわたしたちに教えることによって、欲求もしくは傾向性から受けとる衝動を導くにすぎないのである。好み(テイスト)こそ、快と苦をもたらして、そこから幸福と…

ホッブズ『リヴァイアサン』(水田洋 訳)

第一に、私は、全人類の一般的性向として、つぎからつぎへと力をもとめ、死においてのみ消滅する、永久の、やすむことのない意欲をあげる。そして、このことの原因は、かならずしもつねに、人が、すでに取得したよりも強度のよろこびを希望するとか、ほどよ…

チェ・ゲバラ『ゲバラ、革命の回想』(フィデル・カストロ宛書簡、一九六五年四月一日)(真木嘉徳 訳)

僕はこの地に、僕を息子のように受け入れてくれた国民を残し、僕はこの地に、僕自身の一部を残して行く。僕は、新しい戦場に、君が僕に吹き込んでくれた信念と、わが国民の革命魂と、もっとも神聖な革命家としての義務を果すための良心をたずさえて出かける…

ファラデー『ロウソクの科学』(矢島祐利 訳)

金銀の美しさ、金剛石や紅玉その他の宝石のすばらしい輝きも一つとして炎の輝きと美しさに比べられるものはありません。炎のように光を発する金剛石があるでしょうか。金剛石が夜きらきらするのは炎のおかげです。炎が照らすから金剛石は輝くのです。炎は暗…

マーガレット・ミード『フィールドからの手紙』(畑中幸子 訳)

サモア、ツツイラ島パゴパゴ 一九二五年八月三十一日 今朝、夜明けに港に入りました。今朝は雲の多い夜明けで、太陽は陰うつそうにほんの少し現われたにすぎず、われわれが「南海で陸にかこまれた唯一の港」に入ってきたとき、きり立った黒い崖が迫る海岸に…

シュリーマン『古代への情熱』(村田数之亮 訳)

たえがたい暑さであった。私の寒暖計は摂氏五二度を示していた。私は焼けつくような渇きをおぼえたが、水も酒ももっていなかった。しかしオディッセウスの宮殿の遺跡にいるのであったから、私はわが身のなかに感じる大きな感激のために暑さも渇きも忘れてい…

オクターヴ・オブリ編『ナポレオン言行録』(大塚幸男 訳)

一つのすぐれた力が私を私の知らない一つの目的へと駆り立てる。その目的が達せられない限り、私は不死身であり、堅忍不抜であろう。しかし私がその目的にとって必要でなくなるや否や、たった一匹の蠅でも私を倒すに充分であろう。

エリック・ホッファー『魂の錬金術』(中本義彦 訳)

自然は完全なものだが、人間は決して完全ではない。完全なアリ、完全なハチは存在するが、人間は永遠に未完のままである。人間は未完の動物であるのみならず、未完の人間でもある。他の生き物と人間を分かつもの、それはこの救いがたい不完全さにほかならな…

マルクーゼ『エロス的文明』(南博 訳)

フロイトの理論から生まれた人間の概念は、西欧文明のもっとも決定的な断罪であると同時に、そのもっとも強力な擁護にもなっている。フロイトによれば、人間の歴史は、抑圧の歴史である。文化は、人間の社会的な存在だけではなく、生物的な存在も制約し、人…

ディドロ『ラモーの甥』(本田喜代治・平岡昇 訳)

ラブレーの修道士の知恵は、自分の安泰のためにも、ほかの人々の安泰のためにも、本当の知恵ですよ。曲りなりにも自分の義務を果し、いつも僧院長さんのことをよく言い、世界を勝手気儘に運行させておくという奴です。それで大部分の者が満足するんだから、…

ラスキ『信仰・理性・文明』(中野好夫 訳)

一口にいえば、キリスト教が解決しようとした問題は、一方には貧民における貧困の存在と、他方には富者の富を侵犯から防衛する国家権力と、この二つをいかに和解させるかということにあった。そしてその問題を、一切露骨に本質だけをいえば、彼等は、貧民た…

マルクス『経済学・哲学草稿』(城塚登・田中吉六 訳)

自然の人間的本質は、社会的人間にとってはじめて現存する。……ここにはじめて人間の自然的なあり方が、彼の人間的なあり方となっており、自然が彼にとって人間となっているのである。それゆえ、社会は、人間と自然との完成された本質統一であり、自然の真の…

バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』(川端香男里 訳)

笑いは深い世界観的な意味を持つ。笑いは統一体としての世界、歴史、人間に関する真理の本質的形式である。それは世界に対する特殊な普遍的観点である。この観点は世界を別な面から見るが、厳粛な観点よりも本質をつく度が少ないわけではない(多くはないと…

メダウォー『科学の限界』(加藤珪 訳)

根元的なことがらについての疑問、たとえば人間の起源や目的、運命などに関する問いに対しては、われわれは決して答えられないかもしれない。しかし、個人としてであれ、政治的な人間としてであれ、われわれは将来起こることがらに対して多少の発言権がある…