2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧

フォークナー『八月の光』(加島祥造 訳)

名前というものはただ人間を区別するための記号にすぎないはずなのだが、場合によると名前が当人の未来の行動を暗示するものとなり、いつかは『やっぱりそうだった』と人々にうなずかれるようなことにもなるんだ

漢武帝

歓楽極まって哀情多し。 喜びや楽しみが最高潮に達すると、どういうわけか、かえって胸のうちにかなしみを覚える。

『春秋左氏伝』

喪無くして慼(いた)めば、憂い必ず讎(あ)たる。 肉親の喪がないのに、むやみに悲しむと、それ相当の憂いが必ずやってくる。

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』(高橋正雄 訳)

彼女の声はとぎれるのではなく、ただ消えて行くだけだった。

フォークナー『響きと怒り』(高橋正雄 訳)

「でも、あたしがどんなにクリスマスをこわがっているか、だれにもわからないんだわ。だれ一人知っちゃいないのよ」

バルザック『ゴリオ爺さん』(平岡篤頼 訳)

ほんものの苦しみとしばしばにせものの喜びに満ちあふれたこの盆地は、それはおそろしくざわついているので、多少とも長続きする何らかの感動を惹き起すには、何か途方もないものを必要とするくらいである。だが、そうはいっても、この盆地のここかしこには…

巴金『寒夜』

この世界はあなたのような人のために造られているんじゃない。だからあなたは自分を傷つけ、他人まで傷つけてしまう……。

〔俗諺〕

人を嚙む犬は、歯を見せぬ。 人を嚙むような犬は、歯をむきだしたりしない。ろくでもないことをやる人物は、表にそぶりなど現さぬものだ。

レイ・ブラッドベリ『火星年代記』(小笠原豊樹 訳)

「ちょっと耳を貸して下さい」と、疲れた隊長は赤い目をして言った。「われわれは地球から来たのです。ロケットでです。われわれは四人、隊長と乗務員、非常に疲れて、空腹でどこか眠れる場所をさがしています。だれかから町の鍵か何か、そういうものをわた…

カート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』(浅倉久志 訳)

たくさんのインチキ宗教が幅をきかせていた。 あらゆる人間の中にひそむ真実に気づかずに、人類は外をさぐった――ひたすら外へ外へと突き進んだ。この外への突進によって人類が知ろうとしたのは、いったいだれが森羅万象を司っているのか、そして森羅万象はな…

〔俗諺〕

人善ければ人に侮られ、馬善ければ人に乗らるる。 よい人は他人にばかにされ、よい馬は人に乗られる。性格がよいと、とかく人に軟弱にみられ、侮られるものだ。

『新唐書』李林甫伝

口に蜜有り、腹に剣有り。 ことばは蜜のように甘いが、腹の中に恐ろしい剣をひそめている。うわべのことばは親切だが、心の内は陰険なことのたとえ。唐の宰相李林甫についていったもの。

J・L・ボルヘス「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」(鼓直 訳)

あらゆる哲学はもともと弁証法的な遊戯で、つまりアルス・オプの哲学であるという事実が、その数の増加に寄与している。信じがたいが、みごとに構築された、感動的な体系が多数ある。トレーンの哲学者たちは真理を、いや真理らしきものをさえ探求しない。彼…

カフカ『城』(前田敬作 訳)

「じつは、ここで泊めてもらいたいんだがね」と、Kは、きりだした。 「残念ながら、それはできかねます。あなたは、まだご存じないようですが、ここは、もっぱら城のお方たちしかお泊りになれないことになっておりますので」 「規則は、そうなっておるかもし…

魯迅『忽然想到・十一(一)「急不択言』(『華蓋集』所収)

たとえば人は、自分で自分の頰を殴っても平気だが、人に殴られると非常に怒る。だが自分で自分の頰を殴るほど意気地がなければ、人に殴られるのはどうしても免れ難い。

魯迅『忽然想到・五』(『華蓋集』所収)

世の中にもしまだほんとうに生きて行こうとする人々がいるなら、まず敢えて言い、敢えて笑い、敢えて泣き、敢えて怒り、敢えて罵り、敢えて打って、この呪うべき場所から呪うべき時代を撃退すべきだ!

ガルシア=マルケス「大きな翼のある、ひどく年取った男」(鼓直 訳)

タマネギを刻み終えるまで、エリセンダは天使を見つづけた。見ることがもはや不可能になるまで、見つづけた。なぜなら、そのときの天使はもはや彼女の日常生活の障害ではなくなり、水平線の彼方の想像の一点でしかなかったからである。

ガルシア=マルケス『族長の秋』(鼓直 訳)

つまり彼は、自分のものではない他人の運命を生きるという、ぱっとしない境遇に喜んで甘んじたのだった。

『宗鏡録』

海枯れて終(つい)に底を見るも、人死して心を知らず。 海はその水が干上がってしまえば、どんなに深い底でも見ることができる。しかし、人は死んでしまったからといって、その心がのぞいて見えるわけではない。

『荘子』

人の心は山川(さんせん)よりも険しく、天を知るよりも難し。 人の心というものは、山や川よりも険しく、天よりも測り難いものである。

ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ『(朱牟田夏雄 訳)

「ねえ、あなた」私の母が申したのです。「あなた時計をまくのをお忘れになったのじゃなくて?」――「いやはや、呆れたもんだ!」父はさけびました。さけび声はあげながらも、同時にその声をあまり大きくしないように気をつけてはいました――「天地創造の時こ…

ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ『(朱牟田夏雄 訳)

私めがかたく信じておりますのは、人間は微笑を浮かべるたびに――いえ、哄笑ということになればいちだんとそうでございますが――それだけこのつかの間の人生には、何かが加えられるということでございます。

『管子』

思索は知を生じ、慢易(まんい)は憂いを生じ、暴傲(ぼうごう)は怨みを生じ、憂鬱は病を生ず。 深く考えることが知識を生じさせ、あなどることが心配ごとを生じさせ、おごりたかぶることが怨みを生じさせ、ふさぎこむことが病気を生じさせる。

〔俗諺〕

夕食を一口控えれば、九十九までも生きる。 晩の食事をお腹いっぱい食べないで、ひと口少なめに食べれば、九十九歳まで長生きができる。夕飯を節制することは健康に非常によいというたとえ。人は暴飲暴食さえ慎めば長く生きられるものだ。

ドストエフスキー『未成年』(米川正夫 訳)

事実、心ひそかにおのれの優越を自覚するということは、あらわに人を支配するよりも、はるかに耐えがたい快感を与えるものだ。

ゲーテ『ファウスト 第一部』(相良守峯 訳)

今あの人たちの賞讃の言葉は、まるで嘲笑のように聞こえる。

〔俗諺〕

病の来たるは山の倒るる如し、病の去るは糸を抽(ひ)くが如し。 病気にかかるのは急で、山が倒れるような勢いだが、病気のなおるのは細い糸を抽くように、少しずつなおっていくものだ。多くは病人をゆっくり治療するように慰める時や、人の病気の回復が遅いこ…

〔俗諺〕

食後の散歩は薬屋いらず。 食後に百歩も歩けば、薬屋に行く必要がなくなる。食後に適度の散歩をすれば、とても健康によく、薬を飲む必要もなくなるというたとえ。特に老人や病弱な人を食後の散歩に誘う時に用いられることば。

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(原卓也 訳)

だが、事実フョードルは一生を通じて、演技するのが、それも突然なにか意外な役割を、しかも肝心なことは、たとえば今の場合のようにみすみす自分の損になるとわかっているときでさえ、何の必要もないのに演技してみせるのが好きな男であった。もっとも、こ…

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(原卓也 訳)

しかし、変人ぶりや奇行は、世の注目をひく資格を与えるというより、むしろ損うものである。特に、だれもが個々の現象を総合して、全体の混乱の中にせめて何らかの普遍的な意味を見いだそうと志しているような時代にはなおさらのことだ。奇人とはたいてい個…