2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧
閣下くらいのもんでしょう、あれが愛だ、恋だと思ってるのは、閣下はあの程度のものしか知らないんだ、ほんとの話。
年五十にして四十九年の非を知る。 五十歳になって、今まで四十九年間の生き方が間違いであったことを悟る。一生の終わり近くになって、それまでの生き方が過ちだらけであったことに気づくということ。
死者がもし生きている人の心の中に埋葬されなかったら、それこそ本当に死んでしまったのだ。
現在とは一つの橋にすぎず、この橋の上で、世界がうめき苦しむのに合わせ、彼らはいまだに苦しみつづけ、いっそ橋ごと爆破してしまおうと考える一人の阿呆すらいないのだ。
「うん、一つこういうのを覚えているよ――『Rは巨大な柱時計の陰にかくれている。その時を刻む音は雷鳴のようだ、神の脈搏のようだ、そして指し示す指のような形をしたその指針は、三時十七分を示している。六時になると、わたしは彼を捜し出す、彼はわたしか…
人間という動物には本当に変わったところがある。この世は仮の宿で、未練などまったくないと感じている時には、もともと悠々自適の心境のわけだが、同時に空虚と寂寞の感を免れない。
たとえ我々が一本のマッチだったとしても 一番大事な時に一度輝かねばならない たとえ我々が死んだ後(あと)死体が腐爤したとしても 燐火となって荒野の中で燃えなければならない。
Yesだって先にはぜったいしなかったことよ朝の食じを卵を2つつけてベッドの中で食べたいと言うなんてシティアームズホテルを引きはらってからはずうっとあのころあの人は亭しゅ関ぱくでいつも病人みたいな声を出して病きで引きこもってるみたいなふりを…
生きているということは、結局賛美すべきことなのだ。何かすることができるのだから。
勇気のある者が怒れば、刀を抜いてもっと強い者に向かって行く。臆病な者が怒れば、刀を抜いてもっと弱い者に向かって行く。救いようのない民族の中には、必ず子供たちだけを睨みつける英雄がたくさんいる。
彼らもだれしもとおなじようにどの部隊、どの連隊あるいはどの師団をおとりに使ったとか、それも戦略上の計算だとか、分断作戦なのだとかいうのは聞いていて、最初のうち、彼らもそれを信じ、「仕方がない! ついてないのさ。たまたまわるい籤(くじ)をひいた…
天下の事業に終わりはなく、人の寿命には限りがある。どんな学問や専門でも、いかなる人も「後(あと)に来る者なし」の情況を作ってはならない。
官官、相護る。 政府や宮廷に勤める者はみなお互いにかばい合うものだ。官吏が自分の得をするようにお互いにうまく権力を利用し合い、少しも民衆の立場に立とうとしないということを諷するのに用いることば。
ぼくの耳の手触りは、新鮮で、ざらざらしていて、冷たく、水気を含んでいて、木の葉のような感じだった。
列車が通りすぎるたびに、見物人たちが立ちすくむ。 〈彼がいつもぼくにたじゅねるたびに。〉このじゅが、文章から離れて、ボールが草原の上を転がってゆくように飛び去った。 (※ たじゅねると訳したfrägtはfragtの方言形である。この『日記』の仏訳者のマ…
爾(なんじ)の俸(ほう)、爾の禄は、民(たみ)の膏(あぶら)、民の脂(あぶら)なり。 おまえの俸禄は、人民のあぶら汗なのだ。官吏の俸禄は、人民の膏血を絞った税によってまかなわれていることを官吏達に戒めたことば。
君子は上達す。小人は下達(かたつ)す。 君子は本質的なことによく通じ、小人は枝葉末節のことにばかりよく通じている。
「君は自尊心というものを知らないのか」 「きいたふうなことをいうじゃないか」 「そう聞こえるか。ぼくのいう自尊心はちがうんだ。ほかに何も持っていない人間の自尊心なんだ。気をわるくしたのならあやまるよ」 ※太字は出典では傍点
彼は手に一通の手紙を持っていたが、目をあげてぼくの顔を見つめ、それからまた手紙を見、それからまたぼくを見た。
私は新しい生命の道へ第一歩を踏み入れなければならない。真実を心の傷に深く秘めて、黙々と前進しなければならない。忘却と虚言を道案内にして……。
士に死を忍ぶの辱(はじ)有るは、必ず事を就(な)すの計有るなり。 男子が自殺してしまいたいほどの恥辱をうけて、しかも我慢して自殺せずに恥を忍ぶときは、その人が何か雄大な企てを心に秘めて計画しているときである。
だが、わたしには、アリョーシャはだれにもまして現実主義者(リアリスト)だったような気がする。もちろん、修道院に入ってから彼は全面的に奇蹟を信じてはいたが、わたしに言わせれば、奇蹟が現実主義者を困惑させることなど決してないのである。現実主義者…
私はよく知っているが、あの本全体がこの調子です。 私もこれにはだいぶ暇をつぶしましたよ、 というのは、およそ完全に矛盾したことは、 愚者にも賢者にも等しく神秘的に聞えますからね。
坐ったままで平安を期待し、前進を期待することは、もしそれが可能なら、もちろん大変結構なことである。ただ心配なのは、死ぬまで待っても、期待していたものが結局来ないことである。
才能がありながら不遇な者は特に自分の才能を見せたがるものだ。
屋根の南西部の角(かど)を支えている柱の影が、いま、露台(テラス)の同位角を二つの等しい部分にわけている。この露台は屋根のある広い廻廊で、家を三方からとり囲んでいる。中央の部分も両翼も広さは変らないので、柱によってつくられる影の線は、正確に、…
未開の土地を長く騎行するものには都会が恋しくなってまいります。ようやくたどりつくイシドーラの都は、館という館には螺旋階段がそなわり、そのまた一面に田螺がへばりついている都市(まち)、遠めがねと提琴を工匠(たくみ)の技をもってつくりだす都市、異…
尺水(せきすい)長瀾(ちょうらん)無ければ、蛟竜(こうりゅう)豈に其れ容れんや。 浅い水で大波が立たないような所に蛟(みずち)はどうして身をおくことができようか。「長瀾」は、大波。大きな才が有りながらつまらない所にしか用いられなければ特長を発揮でき…
尺水(せきすい)長瀾(ちょうらん)無ければ、蛟竜(こうりゅう)豈に其れ容れんや。 浅い水で大波が立たないような所に蛟(みずち)はどうして身をおくことができようか。「長瀾」は、大波。大きな才が有りながらつまらない所にしか用いられなければ特長を発揮でき…
巫咸(ふかん)善く祝すと雖も、自ら祓うこと能わず。 祈禱師は、人のために幸いを祈りはするが、自分で自分のおはらいはできない。たとえどんなに有能な人であっても、自分で行うことには限界があり、第三者の協力を必要とするものである。