2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧

フォークナー『八月の光』(加島祥造 訳)

世間では、人をうまく騙せるのは常習的な噓つき屋だ、と言う。しかし熟練した常習的な噓つきはただ自分だけしか騙せない場合が多い。むしろ自分は一生ずっと真実しか言わないと思いこんでる人の噓こそ、たちまち信じこまれてしまうものなのだ。

『老子』

道の道とすべきは常の道に非ず。名の名とすべきは常の名に非ず。 これが道だと規定しうるような道は、恒常不変の真の道ではなく、これがことばだと規定しうるようなことばは、絶対的な真理のことばではない。「道」は、万物の根源を成す絶対的真理の意。「名…

黄庭堅

山を為(つく)りて山とすること能わず、過(か)一簣の止むに在り。 山を作ろうとして結局山ができないのは、あと一ぱいの土を運ぶことをしないで止めてしまうのが原因だ。「簣」は土を運ぶもっこ。

フォークナー『響きと怒り』(高橋正雄 訳)

「犬は死ぬわ」とキャディがいった。

フォークナー『響きと怒り』(高橋正雄 訳)

「もう一つだけじゃあ、あるめえが」とディルシーがいった。「だってよ、死なねえ人間がいたら、お目にかかりてえだよ。おお、イエス様」 「なにも死ぬことだけが問題じゃあねえだ」とロスカスがいった。

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』(高橋正雄 訳)

その四人目は母親で、つまりミス・コールドフィールドの死んだ姉のエレンだが、このニオベは涙も流さず、いわば悪夢にうなされて悪魔の子をはらみ、生きて動いているときも生きている感じがなく、悲しむときも泣くことがなく、今の姿には静けさと無意識のわ…

『論語』

三人行けば、必ず我が師有り。 同じ道を三人の者が歩いて行けば、その中に必ず自分の手本となるべき人物がいるはずである。つねに教わろうとする謙虚な態度の大切さをいう。

『程氏遺書』

知りて行うこと能わざるは、只だ是れ知り得ること浅し。 知識がありながら実行できないのは、持っている知識がまだ不足であるためだ。

レイ・ブラッドベリ『火星年代記』(小笠原豊樹 訳)

「ここは天国ですか」とヒンクストンが訊ねた。 「いいえ、ちがいます。ここはふつうの世界で、わたしらは第二の人生を生きているんですよ。だれも、わけは話してくれません。でも、地球にいたときだって、なぜ生きているか、そのわけをだれも話してくれなか…

カート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』(浅倉久志 訳)

群集は奇跡が大好きだった。

カフカ『城』(前田敬作 訳)

「なんてひどい中傷を!」と、フリーダは、小さな拳を打合せた。 「中傷だって」と、Kは言った。「ちがうよ。ぼくは、中傷なんかするつもりはない。だけど、ひょっとしたら、彼を誤解しているかもしれない。もちろん、これはありうることだ。ぼくが彼につい…

『十八史略』

読書万巻(まんがん)、猶お今日(こんにち)有り。 一万巻の書物を読んだというのに、ついに今日のような運命が訪れるのか。書物など読んでも何の役にもたたないということ。南朝の梁の君主がその滅亡に際していったことば。

庾肩吾

篇を開いて古を翫(もてあそ)べば、則ち千載も朝(ちょう)を共にす。 古い書籍を開いて深く読み味わうと、千年の時を超えて、同じ時間に生きているようだ。

J・L・ボルヘス「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」(鼓直 訳)

究極的に無益なものでない知的営為は存在しない。ある学説も当初は、宇宙のもっともらしい記述であるが、歳月がたつうちに、哲学史の単なる一章――一段落や一名詞とまではいわないが――に堕してしまう。文学の場合、この衰退はいっそう著しい。『ドン・キホー…

J・L・ボルヘス「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」(鼓直 訳)

(彼を非難する者は、より曖昧だと評するかもしれないが、曖昧性は豊かさというものである)

バルザック『ゴリオ爺さん』(平岡篤頼 訳)

ウージェーヌ・ド・ラスティニャックは、というのはそれが彼の名前だが、逆境のために刻苦精励に慣れたあの青年たち、若いときから両親が彼らにかける期待を理解していて、すでに彼らの学業の効力を計算し、また真っ先に社会から利益をしぼり取る人間となる…

徐幹『中論』

学ぶ者は、才の贍(た)らざるを患(うれ)えずして、志の立たざるを患う。 学問をする人は、自分の学識が不十分なことを心配するのではなく、自分の志が確立していないことを心配しなければならない。志こそが学問の根本である。

『淮南子』

学ぶに暇(いとま)あらずと謂う者は、暇ありと雖も亦学ぶこと能わず。 暇がなくて学問ができないと言うような人は、たとえ暇があっても勉強しないものだ。本当に学問する気になれば、暇はおのずとみつかるものだということ。

ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』(朱牟田夏雄 訳)

前章の最初で、私がいつ生まれたかは正確にお伝えしましたが、――どういう手順で生まれたかのほうは申上げませんでした。そのほうはそれだけで一つの章にと、そっくりとっておいたわけです。――それに第一あなた、あなたと私はいわばお互いに完全に見ず知らず…

『三国志』

学を為すは当に三余を以てすべし。 学問は、冬、夜、雨の三つの余暇にするのがよい。学問、読書にふさわしい時期が、「三余」、つまり、一年の閑期の冬、一日の閑期の夜、活動時間の閑期の雨であるということ。

魯迅『摩羅詩力説』(『墳』所収)

平和というものは、人間界には存在しない。強いて平和と呼ばれているのは、戦争が終わった直後か、またはまだ戦争が始まっていない時にすぎない。

カポーティ『遠い声 遠い部屋』(河野一郎 訳)

「いいかい、人間というのは肉体的、精神的を問わず、とにかく何か痛手を受けた後になって、きまってあああのとき虫の知らせに従っていたら(こういう場合の虫の知らせというやつは、たいてい想像ででっち上げたものなんだが)何事もなくてすんだのに、と思…

チャンドラー『長いお別れ』(清水俊二 訳)

「知らない人間に世話になる方が気楽だからね」

チャンドラー『長いお別れ』(清水俊二 訳)

「飲むのなら自尊心を忘れないようにして飲みたまえ」

魯迅『習慣与改革』(『二心集』所収)

体質と精神が硬化してしまった人民は、極めて小さな改革に対してでも、邪魔をしないではいられない。表面上は自分の不便を恐れているようだが、実は自分の不利を恐れているのである。

魯迅『論新文字』(『且介亭雑文二集』所収)

現状維持のために全力を使いながら、一方では大いに改革を論じ、それで彼の完全なる改革の事業をやっているつもりでいる。これはベッドの上で泳ぎを会得してから水泳に行くのと、実は同じことだ。

ヘンリー・ミラー『南回帰線』(河野一郎 訳)

苦々しい気持ちに駆られ、ぼくはしばしば彼らを非難するための、いやそれよりもぼく自身を非難するための、理由を捜し求める。なぜなら多くの点で、ぼくも彼らと似たようなものだからだ。長いあいだ、ぼくは彼らの愚から逃れたと思っていた。だが時のたつに…

『春秋左氏伝』

国の将に亡びんとするや、必ず制多し。 国が亡びそうになると、必ず法令が多くなってくる。

魯迅『謡言世家』(『南腔北調集』所収)

笑いの中に刀が隠されていることもある。平和を熱愛すると自称する人民も、血を見ずに人を殺す武器を持っていることがある。それはデマをとばすことだ。

ガルシア=マルケス「失われた時の海」(木村榮一 訳)

何度も試験的に回しているうちに、蓄音器が調子よく動きだした。心の底に刻みこまれたはるか昔の音楽が響きはじめると、人びとはいつの間にか黙りこんだ。一瞬語るべき言葉を失ってたがいにじっと顔を見合わせた。あの音楽を最後に聞いたのはいつのことだろ…