2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

川端康成『父母への手紙』

親と暮らしている子供が親の死を考えることはありましても、祖父母と生きている子供は、反って祖父母の死を思うことが出来ないものであります。

中野重治『その人たち』

サヤ豆を育てたことについてかつて風が誇らなかったように *親の子に対する無償の信頼と愛とを歌った詩句。「また舟を浮かべたことについてかつて水が求めなかったように」という対句が続く。

寺田寅彦『猫の穴掘り』

子供を教育するばかりが親の義務でなくて、子供に教育されることもまた親の義務かもしれないのである。

三島由紀夫『反貞女大学』

ある女は心で、ある女は肉体で、ある女は脂肪で夫を裏切るのである。

庄野潤三『流れ藻』

外で女の子と遊んでいる時は、女房に悪いと思うので、家に帰るといろいろと気を遣って、優しくする。しかし浮気しないとなると、家にいても、女房に何もいわない。機嫌を取らない。 *一見、妻に対して冷淡な態度を夫が取っている時の方が妻に対して誠実だと…

獅子文六『青春怪談』

男が女に慣れるのは、結婚生活が、一番の早道である。漁食家は、案外、女を知らない。

ナボコフ『キング、クィーンそしてジャック』(出淵博 訳)

彼女の最後の言葉は(彼がこれまで聞いたこともない優しい声だったが)、「ねえ、あなた、どこにあたしのエメラルドのスリッパ――いえ、イアリングを置いたの? 欲しいわ。あたしたちはみんな踊るのよ。みんな死ぬのよ」というのだった。そして、いつもの、お…

ナボコフ『キング、クィーンそしてジャック』(出淵博 訳)

「奇蹟があたしたちを救ってくれたのだわ」と後になってマルタはフランツに言った(人は軽々しく奇蹟を口にするものだ)、「でも、これを教訓にしましょう。自分でも判るわね。もうこれ以上は待てないわ。一度目は幸運、二度目も幸運、それから――露顕(バレ)…

ナボコフ『キング、クィーンそしてジャック』(出淵博 訳)

それにしても、人生って不公平――だって十年たっても、この人たちは、二人とも、今のわたしよりも若いんだから。あたり前の話だけれど。

ナボコフ『キング、クィーンそしてジャック』(出淵博 訳)

それというのも、人生はフランスの小説家たちを模倣することが稀ではないからだ。

ナボコフ『キング、クィーンそしてジャック』(出淵博 訳)

だが誰が知ろう。これこそ現実なのか。最終的な現実なのか。それともこれもまたもうひとつのいつわりの夢にすぎないのか。 ※太字は出典では傍点

『宗安小歌集』

十七八の独り寝は仏になるとは申せども、なに仏なり。二人寝(ぬ)るこそ仏よ。 *世間では、十七、八歳の娘が独り寝をすると仏になれるなんて言うけれど、何が仏なものですか。二人寝をして初めて仏になれるのだよ、の意。

三木清『人生論ノート』

愛は私にあるのでも相手にあるのでもなく、いわばその間にある。

島崎藤村『新生』

不思議にも、世に盲目と言われているものが、あべこべに彼の眼を開けてくれた。 *「世に盲目と言われているもの」は、恋愛のことで、恋は盲目という諺から来ている。恋愛によって、人間の心の真実がよく見えるようになったことを言う。

司馬遷『史記』「本紀」(小竹文夫・小竹武夫 訳)

周の后稷(こうしょく)は名を弃(き)といい、母は有邰氏(ゆうたいし)の女(むすめ)で姜原(きょうげん)(姜は姓、原は名)といった。姜原は帝嚳(ていこく)の元妃(げんぴ)(正后)であったが、ある日、野原に出ると巨人の足跡があり、それを見ると心がうきうきして践(…

司馬遷『史記』「本紀」(小竹文夫・小竹武夫 訳)

都の亳(はく)に奇怪な前兆があり、桑と穀(こうぞ)と抱き合って朝廷の庭に生え、一夜で両手で握るほどの大きさになった。帝太戊(たいぼ)はおそれて伊陟(いちょく)に問うと、伊陟は、「『妖は徳に勝たず』ということがありますが、帝の政治と関係があるかも知…

司馬遷『史記』「本紀」(小竹文夫・小竹武夫 訳)

「左に行こうと思うものは左に飛べ、右に行こうと思うものは右に飛べ。命(めい)に従わぬものはわが網にはいれ」

司馬遷『史記』「本紀」(小竹文夫・小竹武夫 訳)

「正直であって温和に、寛大であって謹厳に、剛正であって暴虐でなく、簡易であって驕傲でないようにせよ。詩は人のこころを述べるもの、歌は詩のことばを長くしたもので、ことばが長いから声に高低があり、高低の声が律に合えば、よく調和する。八音がよく…

『山家鳥虫歌』

吉野川には棲むかよ鮎が、わしが胸にはこひがすむ。 *「鮎」と「愛」、「鯉」と「恋」の掛詞により恋心を表現する。

斎藤緑雨『作家苦心談』(『唾玉集』所収)

幾等(いくら)進歩したって、握手で子は出来ない。

芥川龍之介『侏儒の言葉』

恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。少くとも詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに価しない。

カミュ「不条理な人間」(清水徹 訳)

ひとは、口に出して語ることによってよりも、口に出さずにおくことによって、いっそうそのひと自体である。ぼくは多くのことを口には出さずにおくだろう。しかし、これまでは、自分以外の個人を判断する人びとは、すべて、ぼくらひとりひとりが自分自身につ…

カミュ「不条理な論証」(清水徹 訳)

まったく教訓的だと思えるひとつの明々白々たる事実がある。人間はつねに自分が真実と認めたもののとりこになってしまうということだ。なにかをひとたび真実と認めてしまうと、人間はなかなかそれから自由になれない。なにかを真実と認めたのだから、すこし…

カミュ「不条理な論証」(清水徹 訳)

世界は不条理だとぼくは何度も語ったが、ぼくは言葉をいそぎすぎたようだ。この世界はそれ自体としては人間の理性を超えている、――この世界について言えるのはこれだけだ。不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥…

カミュ「不条理な論証」(清水徹 訳)

真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。

夏目漱石『それから』

凡そ何が気障(きざ)だって、思わせ振りの、涙や、煩悶や、真面目や、熱誠ほど気障なものはない。

夏目漱石『吾輩は猫である』

天下に何が薬だと云って己れを忘れるより薬な事はない。

慈円『愚管抄』

人といふものは、身づからを忘れて他を知るを実道とは申し侍る也。 *人間というものは、自己の身を忘れ捨てて他人を理解するのが実道というものなのである。「実道」は、人の行うべき真実の道。

カミュ『ペスト』(宮崎嶺雄 訳)

「人間はどんな能力でももちうるような気がしますがね」と、タルーはいった。 「そんなことはありません。人間は長い間苦しんでいることも、幸福でいることもできません。つまり、価値のあることなど、なんにもなしえないのです」

カミュ『ペスト』(宮崎嶺雄 訳)

しかし、筆者はむしろ、美しい行為に過大の重要さを認めることは、結局、間接の力強い讃辞を悪にささげることになると、信じたいのである。なぜなら、そうなると、美しい行為がそれほどの価値をもつのは、それがまれであり、そして悪意と冷淡こそ人間の行為…