2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

内村鑑三『後世への最大遺物』

金を遺(のこ)すものを賤めるような人は矢張り金のことに賤しい人であります。

川端康成『雪国』

自分の仕事によって自分を冷笑することは、甘ったれた楽しみなのだろう。 *日本の舞踊界には何の役にも立たない、フランス文人達の舞踊論の翻訳という自分の仕事に関する島村の感懐。

夏目漱石『吾輩は猫である』

人間は角(かど)があると世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ。

夏目漱石『吾輩は猫である』

金を作るにも三角術を使わなくちゃいけないと云うのさ――義理をかく、人情をかく、恥をかく是で三角になる。 ※太字は出典では傍点

夏目漱石『書簡』(明治三十九年十月二十日、皆川正禧宛)

世の中は泣くにはあまり滑稽である。笑うにはあまり醜悪である。

川端康成『虹いくたび』

世間はね、その人が自分で自分をいじめてるから、その人をいじめないかというと、必ずしもそうでないんですね。

森鷗外『青年』

平気で黙りたい間黙っていることは、或る年齢を過ぎては容易に出来なくなる。

河上徹太郎『私の詩と真実』

饒舌に聞き手が必要であるように、沈黙にも相手が要る。 *「そして恐らく饒舌よりも相手を選ぶのだ」と続く。

菊池寛『私の日常道徳』

あなたのことをだれが、こうこう云ったといって告げ口する場合、私はたいてい聞き流す。人は、陰ではだれの悪口でも云うし、悪口を云いながら、心では尊敬している場合もあり、その人の云った悪口だけがこちらへ伝えられて、それと同時に云ったほめ言葉の伝…

夏目漱石『断片』

人を啓発するという事は、先方で一歩足を此方(こちら)の領分へ踏み込んだ時に手を出して援(たす)ける時に限る。

夏目漱石『虞美人草』

凡ての会話は戦争である。女の会話は尤も戦争である。

埴谷雄高『深淵』

組織のなかでは、しばしば、罪があって排斥されるのではなく、排斥する気があってから罪がつくられるのだ。

林芙美子『清貧の書』

人気(ひとけ)のない部屋の空気と云うものは、何時(いつ)も、坐っている肩の上から人の手のように重くのしかかって来る。

谷崎潤一郎『雪後庵夜話』

我という人の心はただひとり われより外に知る人はなし

夏目漱石『書簡』(明治三十九年二月十三日、森田草平宛)

他人は決して己以上遥かに卓絶したものではない。又決して己以下に遥かに劣ったものではない。

森鷗外『大塩平八郎』

自分の心中の私(わたくし)を去ることを難(かた)んずる人程(ほど)却って他人の意中の私を訐(あば)くに敏なるものである。 *自らの利己的な心を克服できない人ほど、他人の心中の利己主義に敏感である、ということ。

有島武郎『己れを主とするもの』

己れを主とする以上、他人にも同じ心持ちのあるのに注意しよう。

三島由紀夫『小説家の休暇』

作家は一度は、時代とベッドを共にした経験をもたねばならず、その記憶に鼓舞される必要があるようだ。

斎藤緑雨『青眼白頭』

按ずるに筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし。 *筆一本で生計を立てる文筆家の困難さを述べた言葉。

西周『復某氏書』

負(まけ)じ魂の頑(かたくな)なる醜(しこ)学者に至りては、牽強附会の説など造りいでて、人ばかりかは己をも欺かんとするに至れり。 *「醜学者」は、旧説を固守する学者をあざけっていう。

夏目漱石『書簡』(明治三十八年七月十六日、中川芳太郎宛)

交際が多かったり女に惚れられたりして大学者になったものはない。

清少納言『枕草子』

人にあなづらるるもの 築土(ついじ)のくづれ。あまり心よしと人に知られぬる人。 *ひとにばかにされるもの。崩れた土塀、お人好しであると皆に知られている人。

武田泰淳『悪徳について』

「悪玉」は、遠くはなれて見れば魅力がある。現実に近よられると、たまったものではない。

萩原朔太郎『ふっくりとした人柄』

非常な善人と非常な悪人とは感じが殆ど同じです。

斎藤緑雨『鶉網』

馬鹿が馬鹿を馬鹿だと云へば馬鹿が馬鹿を馬鹿だと云ふ馬鹿で持ったる我が世なりけり。

吉川英治『草思堂随筆』

いくら正面では強がった顔をした男でも、うしろ姿を見ると、もろいのは分る。

武田泰淳『人間をささえるもの』

われわれは、人間の美しさ強さをありがたがるが、しかし、同時に人間の醜さや弱さもありがたがっていいのじゃないだろうか。

川端康成『父母への手紙』

人間が人間の後ろ姿を、深く心に刻みつけるほど感情こめて見る折りは、そうたくさんないのではないか。

田中澄江『鋏』

だれかの幸福が、だれかの不幸にきまっているのに。

萩原朔太郎『絶望の逃走』

父は永遠に悲壮である。