2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧

李賀

二十にして 心已に朽ちたり 李賀の「陳商に贈る」より。 長安に男児有り 二十にして 心已に朽ちたり とつづく。「長安に男が一人おりまして、二十で心はもはや朽ちはてています」の意。

武帝

歓楽極まって哀情多し 「歓楽が極に達すると哀感がわきおこる」の意。

王陽明

山中の賊を破るは易く 心中の賊を破るは難(かた)し 「山中に出没する悪しき敵を撃破するのは簡単だが、わが心中の悪念を打破するのは難しい」という意味。

『易経』

亢龍 悔い有り 「亢龍」は天高くのぼりつめた龍。「天高くのぼりつめた龍はあとで悔いが生じる」の意。亢龍は進むことしか知らず退くことができないため、後悔する羽目になるというのである。これは富貴をきわめた人物が自戒しないと、あとで失敗することを…

『世説新語』賢媛篇

慎んで好(よ)きことを為す勿かれ 三国呉の趙母が結婚する娘に与えた忠告。「くれぐれもよいことをするな」の意である。娘が「よいことをしないなら、悪いことをしてもよいのですか」と聞くと、趙母は「好(よ)きことすら尚お為す可からず、其れ況んや悪しきこ…

俗諺

人に千日の好(よし)み無し 花に百日の紅(くれない)無し 「人に千日もつづく友情はなく、花に百日も色あせないものはない」の意。人の心の変わりやすさの比喩としてしばしば用いられる。他者を全面的に信じると、裏切られたときに回復不能の打撃をうけること…

盧綸

花は幾遍(いくたび) 人に逢わん 中唐の盧綸の「興善寺の後池(こうち)に題す」より。興善寺は長安の南にあった寺。 月は何年 樹(き)を照らし 花は幾遍 人に逢わん と続く。「月はどれほどの歳月 樹木を照らし、花は何度 人と出会ったことだろう」の意。

許渾

山雨来たらんと欲して 風 楼に満つ 「山雨のやって来る前兆として、風が楼閣に満ちあふれる」の意。後世、動乱や戦争などが勃発する寸前の緊迫した雰囲気をあらわす喩えとしてよく用いられる。

袁衷『庭幃雑録』

万言万中(ばんげんばんちゅう) 一黙に如かず 「一万言がすべて的中しても、しばしの沈黙には及ばない」の意。

陶淵明

甚だしくは解するを求めず 陶淵明の自伝「五柳先生伝」に見える「書を読むことを好めども、甚だしくは解するを求めず。意に会する有る毎(ごと)に、便(すなわ)ち欣然として食を忘る」による。「読書は好きだが、徹底的にわかろうとはしない。ただ心にかなうと…

桓寛『塩鉄論』

罷民は刑法を畏れず 「疲れた民衆は刑法を恐れない」という意味。人々の生活を安定させる国家政策を実施せず、むやみに刑法を強化しても効果は期待できないというのだ。

蘇東坡

一人(いちにん)にして成るに非ざる也 北宋の蘇東坡「呉道子の画(え)の後(あと)に書す」の「知者は創り、能者は焉(これ)を述ぶ。一人にして成るに非ざる也」による。呉道子は唐の傑出した画家。「叡智をもつ者が創造し、才能のある者が継承する。一人で完成し…

王翰

古来 征戦 幾人か回(かえ)る 辺境守備に当たる者の「昔から出征して何人が帰ってきたか」という悲痛な結び。

『論語』学而篇

人の己れを知らざるを患(うれ)えず 人を知らざるを患うる也 「自分が人から認められないのは悩みではなく、自分が他の人のよさを認められないことこそ悩みである」との意味。

『論語』述而篇

三人行けば必ず我が師有り 「三人でともに行動すると、他の二人の行動は必ず自分の手本になる」との意味。

陶淵明

心遠ければ地(ち)自(おの)ずから偏なり なにも辺鄙な土地に住んでいなくとも、「心が俗世を遠く離れていれば、土地もおのずと辺鄙になる」というのである。

『老子』

千里の行(こう)は足下(そっか)に始まる すべては小さな積み重ねから始まるが、だからといって無理する必要はなく、自然体で対処するのがよい、という脈絡で述べられている。

『論語』為政篇

学んで思わざれば則ち罔(くら)し 思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し 「読書をするだけで考えないと混乱するばかりだ。考えるだけで読書をしないと不安定だ」との意味。

西條八十

「……遠い除夜の鐘を聴いていた。 風のなかに断続するその寂しい音(ね)に聞き入るうち、 わたしはいつのまにかうたた寝したやうに想った。 (中略) と、誰かが背後からそっと羽織を着せてくれた。 私は眼をひらいた と、そこには誰もいなかった。 羽織だと思…

本居長世

「野口君のものはあどけない童心を歌ったものだから、自分もそのつもりで、やさしい歌いやすい譜をつけた。それに比べると、西條君のものはおとなが歌って子どもに聞かせる童謡という性格をもっている」

阿久悠

「歌が一番大事なのは、こんな不幸な目にあって悲しいっていうことではなくて、不幸のちょっと手前の、切ない部分がどう書けるかということが僕は一番大切なことだと思っているんです」

淡谷のり子

「ピンとくる歌が実に少ない。詩ではなくて、言葉なのだ。『朝起きてごはんを食べて学校へいった……』みたいな、そんなのがたいへん多い」

宮城道雄

「やがては、誰しも騒音も何も聞こえぬ所へ行かねばならぬのだから、せめて生きている間は、騒音でも何でも聞こえることに感謝しなければならぬと思う」

フランツ・ペーター・シューベルト

「他人の苦しみを理解するものは誰もいないし、他人の喜びを理解するものも一人だっていない! 人はいつも、一緒に歩いていると信じているが、実は、ただ並んで歩いているだけだ」

ローザ・ルクセンブルク

「鳥の歌声がいつも同じ調子にしか聞こえてこないというのは、無頓着な人間の粗雑な耳だけのことです」

オリヴィエ・メシアン

「私の場合は、テンポの積み重ねに導いたのは鳥たちです。春の朝の四時ごろ、鳥たちの目覚めを聞いていると、偉大なソリストたちが、それぞれ自分のテンポで歌っているのが聞こえます」

グスタフ・マーラー

「悪魔が私と踊る! 狂気よ、私を捉えよ」

忌野清志郎

「最初の武道館に出た頃なんて まだ銭湯通いだよ、俺」

ウラジミール・ホロヴィッツ

「完全であること自体が、 不完全なのだ」

ボブ・マーリー

「いったん金にだめにされたら、 友達は得られない」