2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧

マキアヴェッリ『手紙』

わたしは断言してもよいが、中立を保つことは、あまり有効な選択ではないと思う。 とくに、仮想にしろ現実にしろ敵が存在し、その敵よりも弱体である場合は、効果がないどころか有害だ。 中立でいると、勝者にとっては敵になるだけでなく、敗者にとっても、…

ゲーテ「地質学について、警句的」

なぜ私は結局最も好んで自然と交わるかというに、自然は常に正しく、誤りは専ら私の方にあるからである。これに反し、人間と交渉すると、彼らが誤り、私が誤り、更に彼らが誤るというふうに続いて行って、決着するところがない。これにひきかえ、自然に順応…

ニーチェ『偶像の黄昏』

何にせよ私を殺さないものならば、私をいっそう強くしてくれる。

マキアヴェッリ『政略論』

結果さえよければ、手段は常に正当化されるのである。

ゲーテ「格言と反省」

空はどこに行っても青いということを知るために、世界をまわって見る必要はない。

ニーチェ『さまざまな意見と箴言』

他人に加えた自分の不正は、自分に加えられた他人の不正よりもはるかに耐えがたい。[……]それゆえ私たちは、宗教や道徳が命じる一切のことは度外視しても、自分の内面的幸福のためにだけでも、すなわち自分の心地よい気分を失わないためにだけでも、不正を…

マキアヴェッリ『君主論』

君主は、新しく君主になった者はとくに、地位獲得の当初は敵に見えた者のほうが、もともと味方であった者よりも役に立つことが多いということを、知っておく必要がある。 なぜなら、敵と見られていた人々は、その評判を消したいという想いからなお、君主のた…

ゲーテ「自然に関する断片」

最も不自然なものもまた自然である。至る処(ところ)に自然を見ない者は、どこにも自然を正しく見ない。

ニーチェ「遺された断想」

自ら意欲する人間も若干はいるが、たいていの人間は他人から意欲されるだけだ。

マキアヴェッリ『君主論』

人を率いていくほどの者ならば、常に考慮しておくべきことの一つは、人の恨みは悪行からだけでなく善行からも生れるということである。 心からの善意で為されたことが、しばしば結果としては悪を生み、それによって人の恨みを買うことが少なくないからである…

ゲーテ「格言と反省」

あけぼのの薄ぐらいうちにいち早く起き出して、太陽を待ちこがれていたくせに、太陽が上って来ると、目がくらんでしまう人のような気持を私は、学問において味わった。

ニーチェ「遺された断想」

きわめて厳密に過去を回顧するならば、私たちは多くの過去の掛け算であるという洞察に導かれる。[……]しかしそれは何の役にも立たない。私たちはあらゆることを再び自分のために、ただ自分だけのためになさねばならない。[……]君が君自身の魂以上に尊重し…

マキアヴェッリ『君主論』

人は、自分のもちものが奪われたときよりも、父親が死んだことのほうを、早く忘れるものである。

マキアヴェッリ『君主論』

わたしは、愛されるよりも怖れられるほうが、君主にとって安全な選択であると言いたい。 なぜなら、人間には、怖れている者よりも愛している者のほうを、容赦なく傷つけるという性向があるからだ。 人間というものは、恩義の絆で結ばれている愛情などは、利…

ゲーテ「格言と反省」

人は一生のうちにしばしば述懐する。色々なことに手を出すのを避けなければならない、特に、年をとればとるほど新しい仕事につくことを避けなければならない、と。だが、そんなことを言ったって、自他を戒めたって、だめだ。年をとるということが既に、新し…

ニーチェ『教育者としてのショーペンハウアー』

誰も君のために、ほかならぬ君が人生の河を渡るための橋を造ることはできない。君ひとり以外には誰もできないのだ。確かに数えきれない小道や橋が存在するし、君をかついで河を渡してやろうというお偉方も存在する。しかしそれは君自身を代償にしての話にす…

マキアヴェッリ『君主論』

君主たる者、酷薄だという悪評を立てられても気にする必要はない。歴史は、思いやりに満ちた人物よりも、酷薄と評判だった人々のほうが、どれほど民衆を団結させ、彼らの信頼を獲得し、秩序を確立したかを示してくれている。

ゲーテ「詩と真実」

人は、少女については、そのあるところのものを愛し、少年については、それが予想させるものを愛する。

ニーチェ『教育者としてのショーペンハウアー』

特別な瞬間がある。それはいわば、その光のなかでは私たちがもう「わたし」という言葉を理解できない、このうえなく明るく愛に満ちた火花のような瞬間である。私たちの本性の彼岸には、そのような瞬間に此岸となる何かが存在する。そしてそれゆえにこそ私た…

マキアヴェッリ『君主論』

君主(指導者)たらんとする者は、種々の良き性質をすべてもち合わせる必要はない。 しかし、もち合わせていると、人々に思わせることは必要である。 いや、はっきり言うと、実際にもち合わせていては有害なので、もち合わせていると思わせるほうが有益なの…

ゲーテ「格言と反省」

権威。権威がなくては、人間は存在し得ない。しかし、権威は真理と同様に誤りを伴うものである。それは、個々のものとして消滅すべきものを永遠に伝え、固く把持さるべきものを拒み消滅させる。こうして権威は往々人類をして一歩も先へ歩かせぬようにする原…

ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』

同情されたいという渇望は自己満足への、それも仲間たちに出費させて自己満足を得ることへの渇望である。

マキアヴェッリ『君主論』

古今東西多くの賢人たちは、想像の世界にしか存在しえないような共和国や君主国を論じてきた。しかし人間にとって、いかに生きるべきかということと、実際はどう生きているかということは、大変にかけ離れているのである。 だからこそ、人間いかに生きるべき…

ゲーテ「格言と反省」

真理と誤りが同一の源泉から発するのは、不思議であるが、確かである。それゆえ、誤りをぞんざいにしてはならぬことが多い。それは同時に真理を傷つけるからである。

ニーチェ『教育者としてのショーペンハウアー』

ひたすら君の人生だけを読みなさい。そしてそこから人生一般の暗号文字を理解しなさい。

杜甫

路(みち)には凍死の骨有り 朱門には酒肉臭きに 路には凍死の骨有り とつづく。「富貴の朱塗りの門内では余った酒や肉が腐臭を発しているのに、道端では困窮し凍死した人々の骨が横たわっている」の意。

『史記』淮陰侯列伝

天の与うるに取ら弗れば 反って其の咎を受く 前漢創業の功臣韓信(かんしん)に自立を勧めた言葉。「天の与えた機会を受け取らないと、逆に天の咎めを受ける」の意。

俗諺

世情 冷暖を看る 「人面 高低を逐う」とつづく。「人面」はここでは人情、情誼。「世の常として相手の境遇しだいで態度を変え、人情の常として相手の地位や力の変化に応じ態度を変えるものだ」の意。

『世説新語』任誕篇

興に乗じて行き 興尽きて返る 東晋の王徽之(おうきし)(王羲之の息子で有名な奇人)の言葉。彼は大雪の降った日、急に友人の戴逵(たいき)に会いたくなって小舟に乗り、一晩かけて到着したが、いざ門前まで来るとそのまま帰ってしまう。「興に乗じて出かけ、興…

趙翼

国家の不幸は詩家の幸い 「元遺山(げんいざん)集に題す」より。「遺山」は金の詩人元好問の号。 国家の不幸は詩家の幸い 賦して滄桑(そうそう)に到れば 句便(すなわ)ち工(たくみ)なり と結ぶ。「国家の不幸は詩人にとっては幸いだ。世の激変を表現する段にな…