2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』

奉仕の心を投げ捨てたとき、自分の最後の価値を投げ捨ててしまった者も少なくない。

マキアヴェッリ『政略論』

人間というものは、往々にして小さな鳥と同じように行動するものである。 つまり、眼前の獲物にだけ注意を奪われていて、鷹や鷲が頭上から襲いかかろうとしているのに気がつかない、小鳥のように。

ゲーテ「温順なクセーニエン」

自分に命令しないものは、 いつになっても、しもべにとどまる。

ニーチェ「遺された断想」

何もすることがない人は、くだらないことに悩まされる。

マキアヴェッリ『政略論』

長期にわたって支配下におかれ、その下で生きるのに慣れてしまった人民は、なにかの偶然でころがりこんできた自由を手にしても、それを活用することができない。活用する術を知らないのだ。 動物園で飼われた猛獣に似て、原野に放たれてもどう生きていくかを…

ゲーテ「ボアスレーへ」

個人は何ものかに達するためには、自己を諦めなければならないということを、だれも理解しない。

ニーチェ「遺された断想」

幸せになるために私は何をしなければならないのか? まず幸せであれ、そのうえで君のしなければならないことをせよ。

マキアヴェッリ『政略論』

民衆とは、キケロも言ったように、無知ではあるけれども真実を見ぬく能力はもっているのだ。 だからもしも彼らの信頼を一身に集めている人物が、彼らに向って真実を告げれば、意外と容易に説得されうるものなのである。

ゲーテ「イタリア紀行」ナポリ

かくも無数の、おやみなく動いている群衆の間を抜けて行くのは、珍しくもあり、からだのためにもいい。人波に入り乱れて流れるが、各人それぞれ道と目的とを見出すのだ。こんなに大きな人の集まりと動きの中にあって、初めて私はほんとに静かな孤独な気分を…

ニーチェ『曙光』

疲れ果てているときに自分の一日の仕事や一生の仕事を反省する者は、たいてい憂鬱な考察に陥る。しかしそれは、その一日や一生のせいではなく、疲労のせいである。――創造活動のさなかには、ふつう私たちは人生や存在について判断することに時間をかけたりし…

マキアヴェッリ『君主論』

民衆の気分というものは、はなはだ動揺しやすいのが特質だ。それゆえ彼らの支持を得ることはさして困難なことではないが、その支持を保ちつづけることは大変にむずかしい。

ゲーテ「格言的」

苦しみが残して行ったものを味わえ! 苦難も過ぎてしまえば、甘い。

ニーチェ『さまざまな意見と箴言』

ある程度までならば、所有は人間をいっそう自立させ、いっそう自由にする。もう一段階進むと――所有が主人となり、所有者は奴隷となる。

マキアヴェッリ『政略論』

次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。 第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。 第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない。

ゲーテ「格言的」

世の中のものはなんでも我慢できる。 幸福な日の連続だけは我慢できない。

ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』

職業は人生の背骨である。

マキアヴェッリ『戦略論』

なにかを為したいと思う者は、まずなによりも先に、準備に専念することが必要だ。 機会の訪れを待っての準備開始では、もう遅い。幸運に微笑まれるより前に、準備は整えておかねばならない。 このことさえ怠りなくやっておけば、好機が訪れるやただちに、そ…

エッカーマン「ゲーテとの対話」

気のいい人たちは、読むことを学ぶのにどのくらい時間と骨折りがいるものか、知らない。私はそれに八十年を費やしたが、今でもまだ目ざすところに達したとは言えない。

ニーチェ『華やぐ知慧』

自分が深いとわかっている者は、明るく澄んでいようと努力する。大衆に深いと思われたい者は、暗く濁っていようと努力する。なぜなら大衆は、底が見えないものなら何でも深いと思うからである。大衆はひどく臆病で、水のなかに入るのをひどくいやがるものだ!

マキアヴェッリ『政略論』

人間は、運命に乗ることはできても逆らうことはできないというこのことは、歴史全体を眺めても、真理であると断言できる。 人間は、運命という糸を織りなしていくことはできても、その糸を引きちぎることはできないのである。 ならば、絶望するしかすべはな…

ゲーテ「格言と反省」

外国語を知らないものは、自分の国語についても何も知らない。

ニーチェ『さまざまな意見と箴言』

君には人生の荷物が重すぎるのか?――それなら君は君の人生の荷物を増やさなければならない。

マキアヴェッリ『政略論』

古代ローマの歴史家ティトウス・リヴィウスはこう言っている。 「運命は、自分の考えが中絶されるのを望まない場合、その人を盲(めくら)にしてしまう」と。 これほど真実を射た意見はない。 だからこそ、好調を謳歌する者も逆境に泣く者も、賞讃されたりけな…

ゲーテ「格言と反省」

文学は断編の断編である。起こったこと、語られたことのごく僅かが書きとめられた。その書かれたもののごく僅かが残っている。

ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』

ある欲望を完全に断念することは、その欲望において節度を保つことよりもたやすい。

マキアヴェッリ『政略論』

サルスティウスが、その著書の中でユリウス・カエサルに語らせている次の言葉は、まったくの真実である。 「どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそものきっかけは立派なものであった」

エッカーマン「ゲーテとの対話」

われわれ(詩人)は女のようなものだ。女はお産をする時は、もう二度と男の側に寝まいと誓う。しかもいつの間にか、また身ごもっている。

ニーチェ『漂泊者とその影』

一つのことをすぐに別の言い方でも表現し、それに右足と左足を与えてやるのはよいことだ。確かに一本足でも真理は立つことができる。しかし二本足ならば、真理は歩いたり動きまわったりもするだろう。

マキアヴェッリ『政略論』

多くのことは、はじめのうちは内容もあいまいで不明確なものなので、これらをはじめから明確な言葉であらわすことはむずかしい。 だが、いったん決定しさえすれば、言葉など後から生れてくるものであることも忘れてはならない。

ゲーテ「格言と反省」

ディレッタントの誤り。それは、空想と技術を直接に結びつけようとするところにある。