徳田秋聲「あらくれ」

 お島が養親(やしなひおや)の口から、近いうちに自分に入婿の来るよしをほのめかされた時に、彼女の頭脳(あたま)には、まだ何等の分明(はつきり)した考へも起つて来なかつた。
 十八になつたお島は、その頃その界隈で男嫌ひといふ評判を立てられてゐた。そんなことをしずとも、町屋の娘と同じに、裁縫やお琴の稽古でもしてゐれば、立派に年頃の綺麗な娘で通して行かれる養家の家柄ではあつたが、手頭(てさき)などの器用に産れついてゐない彼女は、じつと部屋のなかに坐つてゐるやうなことは余り好まなかつたので、稚(ちひさ)いをりから善く外へ出て田畑の土を弄つたり、若い男達と一緒に、田植に出たり、稲刈に働いたりした。而(さう)してそんな荒仕事が如何かすると寧ろ彼女に適してゐるやうにすら思はれた。