内田百ケン「特別阿房列車」

 気を持たせない為に、すぐに云っておくが、この話しのお金は貸して貰う事が出来た。あんまり用のない金なので、貸す方も気がらくだろうと云う事は、借りる側に起(た)っていても解る。借りる側の都合から云えば、勿論借りたいから頼むのであるけれど、若し貸して貰えなければ思い立った大阪行をよすだけの事で、よして見たところで大阪にだれも待っているわけではなし、もともとなんにもない用事に支障が起こる筈もない。
 そもそもお金の貸し借りと云うのは六ずかしいもので、元来は有る所から無い所へ移動させて貰うだけの事なのだが、素人が下手をすると、後で自分で腹を立てて見たり、相手の気持をそこねたりする結果になる。友人に金を貸すと、金も友達も失うと云う箴言なぞは、下手がお金をいじくった時の戒めに過ぎない。
 一番いけないのは、必要なお金を借りようとする事である。借りられなければ困るし、貸さなければ腹が立つ。又同じいる金でも、その必要になった原因に色色あって、道楽の挙げ句だとか、好きな女に入れ揚げた穴埋めなどと云うのは性質(たち)のいい方で、地道な生活の結果脚が出て家賃が溜まり、米屋に払えないと云うのは最もいけない。私が若い時暮らしに困り、借金しようとしている時、友人がこう云った。だれが君に貸すものか。放蕩したと云うではなし、月給が少くて生活費がかさんだと云うのでは、そんな金を借りたって返せる見込は初めから有りやせん。
 そんなのに比べると、今度の旅費の借金は本筋である。こちらが思いつめていないから、先方も気がらくで、何となく貸してくれる気がするであろう。ただ一ついけないのは、借りた金は返さなければならぬと云う事である。それを思うと面白くないけれど、今思い立った旅行に出られると云う楽しみは、まだ先の返すと云う憂鬱よりも感動の度が強い。せめて返済するのを成る可(べ)く先に延ばす様に諒解して貰った。じきに返さなければならぬのでは、索然として興趣を妨ぐる事甚だしい。いずれ春永(はるなが)にと云う事になって、難有(ありがた)く拝借した。