国木田独歩『武蔵野』

日は富士の背に落ちんとして未だ全く落ちず、富士の中腹に群がる雲は黄金色に染って、見るがうちに様々の形に変ずる。連山の頂は白銀の鎖の様な雪が次第に遠く北に走て、終は暗澹たる雲のうちに没してしまう。
 日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁む、其時は路をいそぎ玉え、顧みて思わず新月が枯林の梢の横に寒い光を放ているのを見る。風が今にも梢から月を吹き落しそうである。突然又た野に出る。君は其時、
  山は暮れ野は黄昏の薄かな
の名句を思いだすだろう。