リルケ『マルテの手記』(望月市恵 訳)

 この立派なオテル・ディユ病院は、ひどく古い病院で、クローヴィス王のころにも数台のベッドで息がひきとられた。今は五百五十九のベッドで息をひきとっている。これはもちろん大量生産の死というほかはない。このような大量生産ではだれも悠長に入念に死んではいられないが、それは問題ではなくて、数が問題なのである。今の世に入念な死などにあこがれる者があるだろうか。そういう者は一人もあるまい。その余裕のある金持ちでさえも、このごろは死に対して無頓着に、冷淡になり始めた。個性に富んだ死に方を願うことは、しだいに流行らなくなり始める。もうしばらくすると、個性に富む死は、個性に富む生活と同じくらいにまれになるだろう。ああ、今はなにもが既成品でまに合う時代である。この世へ生まれ出て、既製品の生活を見つけ、それをからだにつけさえすればいいのだ。そして、この世から出て行く日――出て行かなければならない日が来ると、御心配なさいますな、これがあなたの死です、お客様、というようなわけである。今はだれもが行きあたりばったりに死んでしまう。だれもが病気に付属している死をあてがわれるのである(今ではあらゆる病気が知りつくされて、最後の総決算はどれも病気に付属していて、人間に付属していないことは、だれもが知っている。病人はいわばなにもしなくていいのだ)。